幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

柿のデザート

2012年11月30日 21時44分15秒 | お料理
 柿たわわ
           カラスも食わず熟し落つ




 今年は柿の生り年
どこのお宅の柿もたわわになっている。

おかげさまで、そんな柿をあちこちから頂戴し
夫婦二人では食べきれず
かといって、
よそ様も同じ状態であろうと思うと
「もらってください」
とも言いにくい。

柿を生で頂くことは
身体を中から冷やすことになるので
そういっぺんにたくさんの量を食べるわけにもいかなし
結局、冷蔵庫に入れて保管するのだが
おかまいなしに、どんどん柔らかくなっていく。


柔らかく熟柿になったのをスプーンですくって食べたり。
そのまま一旦凍らせて、それを半解凍し
シャーペットのようにしていただく。

いずれも好きな食べ方ではあるが
それでも追いつかない。


 ということで、
苦肉の策。
柿の梅ジュースコンポートを作ってみた。

柿をザクザクと切り
種を取って鍋に入れる。
そこへ濃いめの梅ジュースを適宜入れる。

後は、火を弱めにして
柿が完全に軟らかくなるまで煮る。

どんどん煮詰めればジャムができるが
今回はわざと汁を残しコンポート風にしてみた。

これがけっこういける!!

汁にコンスターチやくず粉の溶いたものを入れて
ゼリー状にしてもいいだろう。


ヨーグルトに入れてもおいしいし
好みのリキュールをかけていただくのもいい。

熱くても冷たくてもおいしいのだ。


柿の量も一度にたくさん頂ける。


 もし、柿がありすぎてお困りの方がいらしたら
是非一度お試しくださいな。



誰かのために

2012年11月29日 09時23分22秒 | ひとりごと
 河口湖の続きです。


 宿泊した湖畔亭うぶや。

食事の接遇をして下さったのは地元で生まれ育った21歳の女の子。

明るくて、はきはきした人だった。


 うぶやさんからそう遠くもない河口南中学出身。

今はオルゴールミュージアムや
ハーブの何とかなどという、
(あ、そうそう、サル回し何とかもあったっけ・・・)
いかにも、日本の観光地と化した
ごちゃごちゃした場所、
でも
河口湖を通して
富士山の全景を仰ぎ見ることのできる一等地に存在する中学校だ。

 
 毎日のほとんどをそこで過ごした彼女は
校庭はもちろんのこと
教室や廊下からも
いつも富士を眺めており
富士山があるのは
当たり前のことだったという。

富士山が出ていようがいまいが
さほど関心はなかったらしい。



 ところが
この仕事についてから
富士山が出てくれない日はとっても嫌だと思うようになったとか。


「私にとって当たり前だった富士山を
 わざわざ遠くから
 見に来て下さる。

 そして、
 一喜一憂なさる、

 そんなお客様に接するようになって
 自分はどれほど素晴らしい環境に暮らせているのかを
 しみじみと思うようになりました。


 せっかく富士山を見に来て下さる方々のために
 毎日晴れてほしいし
 毎日
 富士山が見えてほしいです。


 見えない日はとてもつらいです」


彼女は
美しく青空に映えた富士山に目をやりながら
そう話してくれた。




ステキだな、と思った。

誰かが喜ぶ姿がうれしいから、
誰かに喜んでほしいから
その誰かが喜ぶことを願う。


それは
人間の究極の美しさだろう。




彼女は
今日もきっと
誰かのために

「富士さん
 姿を見せてくださいな」

と、祈っているに違いない。

久保田一竹記念館

2012年11月28日 21時34分59秒 | ひとりごと
河口湖へ行ってきた。

湖畔亭うぶやに泊まった。

私はこの宿が好きだ。

宿として必要なものがすべて整えられながら
でも、押し付けがましくないところが好きだ。

部屋の大きなガラスの一枚戸の窓から
夜明けの富士山を堪能した。

真っ青な空に輝く
大きな富士を
露天風呂から飽くことなく眺めた。

富士という山は不思議だ。
何度見ても感動してしまう。


その後
富士吉田浅間神社に早朝参拝した。

今回は、本当はこちらがメイン。



一説によると
「せんげんじんじゃ」
と呼ぶか
「あさまじんじゃ」
と呼ぶかで神様のエネルギー的なものが変わるのだとか。

前者は男性的であり
後者は女性的になるとか。

呼び方としては
「あさま」のほうが古い。

地元の人も
「あさまさま」と呼ぶらしい。


ちなみに吉田の「浅間神社」は
絶対に「せんげんさま」的エネルギーだと思う。

だって
二の鳥居、その大きくて赤い鳥居をくぐったとたんに感じるエネルギーは
バーン!!
という感じで
大きくて強い。

「まいりました!!」
って言いたくなるほどだ。

絶対に女神様ではないと思う。


反対に
富士本宮浅間神社は
たおやかで優しい。

ああ、「このはなさくやひめさま」
って感じ。




話をもどして、

早朝の浅間様の参道は
上った直後の朝日が差し込み黄金色に輝いていた。
その
黄金の光の中を進む。

両手を合わせた本殿の中も黄金色だった。



静かで澄んだ気の中
ここへまた参拝できたことを感謝した。





・・・そして

実は
前日
宿に入る前に
久保田一竹記念館を訪れていた。


前日
河口湖についた時
残念ながら雨だった。

明日の参拝があるから
お浄めの雨であることは間違いなく
この雨があるから
明日は素晴らしい日になるだろうと期待する半面
この雨では
野外の観光は無理。
何とも残念な気持ちから逃れられずにいた。


しかたないので
翌日予定の
この記念館を訪れたのだ。




久保田一竹

ご存知の方も多いだろう。

そう
あの「まぼろし」といわれた「辻が花」を復活させた人


一度
訪れたいとは思いながらも
さほど執着もなく
後回しになっていた場所。


ところが
訪ねてみてびっくり。

まあ、なんと素晴らしいこと!!
なんと、エネルギーの高いこと!!


建物はピラミッドの形をしており
樹齢500年以上のアカマツやヒバがふんだんに使われている。

柱、床、階段、
そのいずれからも
樹々たちの迫力ある、でも優しいエネルギーが伝わってくる。

しかも
ピラミッドのような構築になっているからたまらない。

ドックン、ドックンと
もの凄いエネルギーが伝わってくる。


そこへ
一竹さんの作品からのエネルギーが加わる。
彼が「命を削って染めあげた」と表現する作品たち。



これらが
本当に凄いのだ!!


「凄い!!」としか表現できない自分の語学力のなさが情けないが
全く凄い!!
すごすぎる!!



素晴らしい!!、なんていうもんじゃない。


素晴らしくて凄くて
まさに命がこもっていて
見ていると
涙があふれてしまう。



じゃあ、どれが好き?
どれか一つあげるよ、
どれがいい?


…と、もし、言われたら

「ごめんなさい、ご辞退申し上げます」

と言わざるを得ないほど
私なんかでは
所有を許されないほどの
迫力と素晴らしさなのだ。


極貧になっても作品を手放さず
ただひたすら命を削って
こんなに素晴らしい作品を作り続け、
維持し続けた彼の写真に
額づき、両手を合わせ、感謝せずにはいられなかった。




雨の記念館は名残の黄葉紅葉。

静かで美しかった。



彼の命を懸けた努力に
神様はちゃんとご褒美を与えている。



周りの力をして
こんなに素晴らしい記念館を造らせ
彼の命の花を今に咲かせているではないか。


一竹さんも本望だろう。


この世で
これほどまでに一つの花を咲かせ続け
頑張り続けた自分を
あの世で
きっと認めているだろう。


生きるって
こういうことなのだろうな、と心底思った。

ああ、私は
まだまだ
本気で生きていないな、
とも思った。



雨であったがゆえに
訪れるれる人もまばらで
館内も
庭も貸しきり状態。
館長さんまで貸切状態。

たっぷりと、思う存分味わうことができた。


まったく
今回も
恵まれた神計らいである。

有難いことだ。





もし
河口湖を訪れるなら
ぜひ
うぶやにお泊り下さいな。

茜館五階
12畳プラス6畳の間をお勧めします。

食事は「ダイニングの方で」と
予約の段階でひとこと。
ガラス張りの素晴らしい眺めの中で朝食を頂けます。


もし
河口湖を訪れるなら
ぜひ
富士吉田浅間神社へ早朝参拝なさいませ。

心身ともに清められて
気持ち良いこと、この上ないです。

ただし
末社がたくさんありますので
お賽銭をたくさんご用意くださいね。




さてさて
そして、もし
河口湖を訪れることがあるならば
絶対絶対
久保田一竹記念館をお訪ね下さいな。


人生をかけた「仕事」の素晴らしさに出会えます。

死してなお生き続ける魂のエネルギーに触れることができるでしょう。



もし
河口湖を訪れるなら
あなたの時間がステキでありますように。

食べすぎと風邪

2012年11月24日 18時20分05秒 | 暮らし
 ちまたでは、また風邪が流行りだしているらしい。

ま、随分と寒くなってきたし、乾燥もしているようだから。

ことしもまた、いろんなインフルエンザが流行るのでしょうね。
人為的、あるいは自然発生のたくさんの病気達、
いずれにしてもその存在が許されるということは
この宇宙的進化のために必要なことだからでしょうけれど。


 善だけではだめで、悪もあってこそ善がわかる・・・という陰陽関係からいえば
それにもまた意味があるということなのでしょう。




・・・などと
訳の分からないようなことを一人考えながら
とにかく今は体調万全でいなきゃ!!
と、
明後日からの浅間大社参拝ツアー主催者として
自分に言い聞かせている。



・・・のに、
どうもイマイチの体調。

口内炎2,3有り。
微妙な寒気と頭痛。
時々咳が出たりもする。

先週、実家に帰ったあたりからちと怪しい雰囲気。


はい!!
こんな時まず考えられるのは
食べ過ぎですね。

確かに、実家にいるとき
両親に付き合い、三食しっかり食べて
夜もおなかいっぱい食べて、毎晩苦しかった。

そして、
こちらに帰ってきてからも
何かと外食が多く、
禁物のコーヒーや白糖入りの物を随分と取りすぎた。

(あっ、往復の運転中も
一人で眠気覚ましに
チョコレートやら
干し柿やらをたんと食べたっけ・・・ )



 そんな節制のないことをしてしまい、
お腹がつらくて
一度、陀羅尼助を飲んだほどだ。

あれは効く。
すぐ楽になる。
本当に効く。

でも、そのおかげで
まるで回復したかのような錯覚に囚われ
また、食べてしまったのだ。



う~~~~~ん、や・ば・い


 ということで、今夜は夕食を抜き
梅醤番茶だけで寝ることにする。

お風呂には塩と大根の葉の煮出し汁を入れる。

忘れてならないのは
お布団に入ってから
明日は元気になってニコニコ動き回っている自分を
イマジネーションすること。

「私の60兆個の細胞たちよ。
 あなた方は完全です。
 明日は元気です」

と、言い聞かせること。




 皆様、風邪のはやる季節になりました。
冷たいもの、甘い物はなるべく避けましょうね。

食べ過ぎたと思ったら、翌日は抜きましょうね。

空腹の方が病気になりません。

食べ過ぎがすべての病気のもとになります。

そして、もし、
変だな、と感じたら、自分に言い聞かせるのをお忘れなく!!

「だいじょうぶ、明日は元気」

と。

 


 どうぞ、お大事に。
元気にお過ごしくださいませナ。

自立

2012年11月22日 17時52分03秒 | ひとりごと

それじゃあね、と振り返りもせず
   小一の吾娘(あこ)は初一人旅


 21年前
娘が小学校一年生になったときの夏休み
名古屋駅から福井までの2時間10分を
一人で特急しらさぎに乗せた。

それは彼女にとっての初一人旅であり
私にとっての初“子供放し”でもあった。

もちろん、福井の駅には
おばあちゃんである美代子さんがプラットホームまで迎えに出てくれるし
車掌さんにもお願いしてあった。

ただ電車の中で座っているだけのことなのだから
問題などないはずではあるが
でも、今日この頃のこと
どんな事件に巻き込まれるやもしれないと思うと、
送り出したはいいが
着いたという連絡をもらうまで
心配で心配で気が気ではなかった。

ああ、こんなことなら一人でなんか行かせるんじゃなかった・・・
と、どんなに後悔したことか。


後で本人に聞けば
生意気にも
「私は大丈夫なのに、
 後ろの座席のおばちゃんたちが
 いろいろ声をかけてくれてうるさかった」
と言うぐらい
有難くも周りの親切を受けていたようだった。


結局、娘の初一人旅は
本人よりも母親にとって
ハラハラドキドキ
心配な二時間だったことになる。



 これを皮きりに
彼女はよく一人旅をすることになる。

 一人っ子であるがゆえに
甘えん坊になってはいけないと
私は彼女を強く育てることを芯においていた。

いずれ、私たちは死ぬ。
その後、彼女は一人で生きなければならない。
私が彼女に残してあげられるのは
一人でも生きられる強さを育てることだけだ…

ずっとそう思って彼女を育ててきた。

だから、幼い頃から
よく、一人でいろんな企画に参加させた。
見知らぬ人々の中に放り込んだ。
泣いて帰ってきたこともある。

そんな時、私はいつも心配していた。

今頃一人で辛い思いをしているんじゃないだろうか、
ちゃんとみんなと仲良くできているだろうか、

あれこれ心配して
彼女が帰って来るまで生きた心地がしなかった。


「そんなに心配なら、始めから出さなきゃいいだろう」

夫は冷たく言い放った。




 やがて、彼女の成長に伴い心配の質が変わった。

経験していることも
旅する範囲も
もう、私の手の届かないところまで広がった。

私にできることといえば
彼女が精神力強く
いろいろなことを自力で乗り越えてくれるように願い
無事に過ごしてくれることを祈るばかりとなった。


 心配や不安は災いをもたらしこそすれ、なんの守りにもならない。
どうせするならば、無事に、幸せに過ごしているイマジネーションに限る!!


そう学んでからは
ひたすらそれを自分に言って聞かせた。

が、ちょっと連絡が取れなかったり
ちょっと、うまくいっていないことを聞かされると
ついつい、心の中は不安と心配に覆われてしまう。
そんな自分の心を立て直すのにはかなりのエネルギーが必要だ。

結局、彼女が様々な困難を体験したり
見知らぬ土地を旅しているとき
私もまた
心を鍛えられていたことになる。


 おかげさまで、ようやくこの頃
彼女の持つ運の強さを信じることができるようになった。

「だいじょうぶ!!
 ちゃんと守ってくださっている方々がいらっしゃる。
 起きることは皆学び。
 彼女にとって必要だから起きる。
 彼女は必ずそれをクリヤーする」

そう、信じることができるようになったのだ。
そして
そのことに力を貸してくださっている方々に心から感謝している。

「感謝しなさいよ。
 感謝さえ忘れなければ
 必ず何とかなるからね」

と、口を酸っぱくして彼女にも伝えている。




 そんな彼女はこの10月にニュージーランドに行ってしまった。
就労ビザと国際免許を取り
いつまでという期限なしに
ひとりかの国に旅立って行った。

空港まで見送った私たちに彼女は一枚のカードを手渡してくれた。


「今まで本当にお世話になりました。

 普通の道を歩けない私を包んでくれてありがとう。

 いっぱいいっぱい数えきれない体験をさせてくれてありがとう。

 全てを許してくれてありがとう。

 たくさんの愛をありがとう。

 お父さんとお母さんの子供として生まれてこれて

 本当によかった。

 ニュージーで待ってるね。

 行ってきます」



 思えば
自分たちの常識とは違う道を歩もうとする彼女が理解できなくて
受け入れられなくて、
随分とぶつかった。

彼女が私たちを拒否した時期もあった。

互いに苦しんで、悲しんで、辛くて・・・


でも、私たちが
自分たちの常識を押し付けるのをやめたときから
彼女は変わり始めた。
それは
私たちにとって決して容易なことではなかったけれど
彼女の人生は彼女の物
どんなふうになっても
彼女が自分で責任を持って生きればそれでいい、
もともと人生は
いろんなことを体験するためにあるのだから、
と腹を据え
よけいな心配はせず
ありのままの彼女を受け入れられるようになったとき
彼女もまた
私たちに歩み寄るようになってきた。

そして

「彼女は大丈夫!!」

と本気で信じるようになってから
私たち親子は少しずつ打ち解けるようになったのだった。


 結局
この長い子育てを通して
私たちは
自分の常識や概念を捨て
他を受け入れるということを学ばせてもらったのである。



 カードを一目読み始めた途端
私も、夫も涙があふれて止まらなかった。


愛とはありのままを受け入れることである

どこかで目にしたこの言葉をつくづく実感した瞬間だった。




 彼女を乗せた飛行機は
雲一つない真っ青な秋の高い空にどんどん吸い込まれていった。


吾娘(あこ)飛び立ちて空高し 自立

 

 娘はすでに自立し、己が道を歩き始めている。

子離れし、自立しなければならないのは私のようだ。