幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

名古屋 東別院でボランティア

2011年04月26日 23時25分56秒 | ひとりごと
 今日、名古屋の東別院へ行って、
救援物資の仕分けのボランティアに参加させてもらってきた。


ここは
愛知ボランティアセンターの活動拠点。


いま、石巻で中期支援に頑張っているチーム神戸の
金田真須美さんと直結している。



現地で、あまりお役に立てなかった私は
少しでも後方支援をと思い
チーム神戸が作ってくれた

「Smile  Again 石巻」

と言うステッカーを使っての募金活動を始めたが
そのほかにも、少しでも、と思い
今日
知り合いを同行して東別院へ行って来たのだ。




老若男女、たくさんの人が来ていた。

みんな、何かしたくて
少しでも力になりたくて来ているのだろう。


土、日、月とかけて集まった山のような物資が
手際よく分けられていく。

タグもしくは袋のない洋服ははじかれ
少しでも汚れているものもはじいていく。


ではそれらはどうするのか。

フリマやリサイクルショップでどうにかなりそうなものと
ゴミになるものとに分けられる。
誰かが良かれと思って出したもので
他の誰かが労力を使わねばならなくなるのだ。



被災地に行く前
私はなぜ、提供する物資が新しいものでなければならないのか
よくわからなかった。

まだ使えるもの、それなりにきれいな物ならばよいのではないかと
腑に落ちなかった。


けれど、
今は、
なぜ、
新品を送ろうとするのか
その一つの理由のようなものを感じることができる。



被災した人たちは
本当に何もかもをなくしている。


もし、そういう人たちに少しでも何かしてあげたいと思ったとき
それは
自分の分を割いてこそではないだろうか。


うちにある物で
とりあえず
もう、未練のない物や
もったいなくはない物ばかりを出すのでは
廃品回収と同じになってしまう。

それでは「愛」を差し出した事にはならない。・・・と私は思う。

地雷村の人たちのように
貧しい自分たちの境遇を省みず
収入のほとんど全てを寄付してしまえば
その後の自分の生活はどれほど苦しくなる事か。

それを承知の上で、なおも身銭を切って寄付をする。
誠、頭の下がる人間性が潜む。
これこそ究極の「愛」であろう。




それにくらべ、古着や使い古したいろいろな物を
「いらないから出す」
とき、そこに、大きな愛は存在するのだろうか。


もちろん、われわれも、何も買えず、何も求められない状態であるなら話は変わる。

けれど、そうではない今

痛くも、もったいなくもないものを出し

何かをした気になってしまわないでほしいと、

ちょっと複雑な思いに駆られてしまうのだ。




さらには
その物資を現地に送るためには
大きなトラックを依頼しなければならない。

その費用が馬鹿にならない。

ではそれをどうするのか。
誰が出すのか。


“とりあえず物資を出した人”は其処から先をも考える必要があるのではないか。


もし何かをしてあげたいと思うなら
そこまで考えて欲しいと
現地に2週間いて、思うようになった。




腐った主婦の感覚  番外編

2011年04月26日 00時08分25秒 | ひとりごと
 今も、被災者がとてもたいへんななか
顰蹙物かもしれませんが・・・・・例の娘と私の会話です。





「腐った主婦の感覚」、と言われた話を娘にしたら、




「腐ってなにが悪い!!

 納豆だって、お酒だって

 腐ることの変化じゃん

 くさったれ、くさったれ、

 醸したれ、醸したれ   

 思い切り醸したら

 きっといい味出るよ~ん    」


・・・だって     *「もやしもん」という漫画を読むとこのギャグのおもしろさがわかります。
うーん、そうきたか。

なるほどねぇ 



さすが我が娘!!

名言だ・・・いや、迷言だ 

石巻 ど素人ボランティア体験記  その14 最終章  腐った主婦?!

2011年04月25日 14時28分57秒 | ひとりごと
 「腐った主婦の感覚」

・・・そう金田さんに言われた。


「・・・も、時には必要な事もある」

と、若いボランティアや
各自治体から派遣されてきている職員たちの前で、だ。


ち、ちょっとまってよ!!


「腐った」・・・って

よりにもよって

「腐った」って

それはあんまりじゃぁありませんか?!




そりゃあぁ

この被災現場で

みんなが通常ではない避難場所で

経験のない私が、

役立たずなのは言われなくてもわかってはいますけれど・・・





私だって
炊き出しかなんかの野菜刻みや分配くらいなら
少しはお役に立てたはず・・・


それが
いきなり受付で
物資の受け入れやら
訪れる人の応対やら

ある程度、
この避難所の事を理解していなければできないようなことをまかされ
(それが、肉体労働のできない私へのご配慮であることは重々承知ですが)
右も左もわからず
判断ミスばかり。

聞かなきゃいけないことを聞かずに
勝手に判断するなと叱られ
聞かなくていいことを聞いて
そんな事ぐらい自分で考えろと言われ
何が何だかわからないうちに
一週間が過ぎてしまった。


ああ、金田さん、

私はあなたほど
頭も経験もございません 

(・・・と甘えるのも、腐った主婦の感覚?????)


どうにか
全体構造が見えてきた頃には
もう帰る日が迫っていたと言う始末。




ま、金田さんにしても
もう少しつかえるかな、と思ったのに
思ったより鈍くて使えない相手を連れてきてしまった、と
後悔していたのかもしれない。


お誘いを受けた時、彼女は言った。


力仕事をする男はたくさんいる。
若い者もたくさんいる。


欲しいのは
よく、気配りのできる年配の女性の感覚だ、と。



だったら少しはお役に立てるかもしれない・・・

と思った私のあさはかさ。




全く持って
とんでもなかった。

彼女の要求することは
通常ではない場所における
とっても高度な判断

先の先までを見通した考え


しかも彼女流の・・・



立ち位置から始まって、声のかけ方、身の動かし方まで
私のそれは全く現場にふさわしくなかった。

賢く鋭い彼女の思考や態度には及びもつかなかった。



「おじいちゃま、お体気をつけてくださいね・・・なんだ?!それ!!

 ここは、避難所!! かける言葉が違うだろう?!

 感覚が全く鈍っている!!」

と、叱られても、
ではどうしたらよいのか。それすらわからないのだ   



「上から目線はダメ!!

 下から目線になる必要もない!!

 同等でいい!! 同じ位置に立て!!」


・・・最初にそういわれたけれど
物資を持ってきてくれる人にも
被災者にも
どうしても
下から、になってしまう。

「同等」の感覚がつかめない。

まるで、どこかの企業の受付のようになってしまう

「悪い、申し訳ない、可哀想」などという気持ちが働いてしまうのだ。
そうして、一歩も二歩も引いた下から目線で
物を考え、言葉を出してしまう。



結局
最後まで
同等になる事はできなかったと思う。



ああ、わたしは
腐った主婦の感覚のまま
たいしたお役にも立てず
この貴重な日々を過ごしてしまったのか・・・・・





いやいや、
腐った感覚の主婦は主婦なりに
ちゃんと見聞きしたものがありまするぞ 

どんなことにも
「無駄」はないのです。



金田さん、私だって半世紀生きた人間です。

ちょっとやそっとではへこたれません!!


あなたほど頭も経験もないけれど
私は私なりに
あなたを見続けていましたから、ね 


人として
リーダーとしてのあなたの
良いも悪いも含めて
しっかりお勉強させていただきましたよ 



「偉いですよね。
 金田さんにあんな言われ方して、
 それでも怒ったりへこんだりしないんですから・・・」


と、若いボランティアたちが慰めてくれた。


若い人たちに慰められると言うのもどうかと思うけど、

ま、おばさんの良いところは

「それもありかな」

って、柔軟に受け入れられる事でしょうか。


自分が正しいと思っていると腹が立つ。

自分はダメだと思うと自己嫌悪に陥る。


「それもありかな」

という受け入れ方は
相手を否定せず、自分も否定しない。

とりあえず、いつもの自分の考え方でないものを受け入れてみる、
かといって、
自分をなくさない。


柔軟で、図太い過ごし方。

一本気な若い者にはできないでしょうねぇ。


おばさんは、しっかりおばさんなのです。





現に
金田さんにして言わしめました。


逃げて帰ると思いきや、なかなかしぶといわ、このおばはん


うふふ、  

最高の褒め言葉ではありませんか 




ほほほほほ・・・

こんな自分を見れただけでも儲けものでした。

大変勉強になりました。

ありがとうございます。

感謝です。




・・・ちなみに
どんなにどやされても
私は金田さんのこと恨んだりはしませんでした。

もちろん心の中で
「そんないいかたしなくたって・・・」
とか
「あなたみたいな人にはなりたくないわ」
と思ったりはしていました。


それでも
わたしはいつも
彼女の中の
被災者への大きな愛を見ることができていましたし、
彼女が着地しようとしている地点の素晴らしさを知っていましたから
心から
彼女を尊敬し肯定する事ができていたのです。

ただ、
それを知らない人たちは
彼女の表面だけを見るので
多少の軋轢が生まれてしまったりもします。


でも、彼女が大きな愛の人であり
災害現場の救援には欠かせない人であることに違いはありません。



わたしは
少しでも早く
少しでも確実に
自分の寄付したお金が
有効に使われるようにと
「スタート長田」を選んだ事を
あらためて「よかった」と思っています。


そして
金田真須美さんという
超エキスパートに連れられて
石巻へ入れた事をこの上なく感謝しています。


どんなにどやされ
どんなにあきれられても
私は彼女が好きです。

胃が痛くなるほど怖いけれど
でも
人として好きです。




ボランティアは人のためにするものではありません。

結局は
ボランティアをした人が
たくさんの事を学びたくさんの事を得るのでしょう。





こんな月並みな事を
この歳になって
初めて実感した私は
やっぱ、
腐った主婦!!・・・かもネ 






石巻 ど素人ボランティア体験記  その13 万事如意

2011年04月25日 13時42分23秒 | ひとりごと
 石巻で知り合った被災者の女性。

私より若い。

もう成人した子からまだ小学三年生の息子まで
4人の子持ち。

一度離婚して
二度目の夫はD.V.



被災後は実母の家の二階で暮らしている。

実母と、三年生の息子と猫との4人(?)暮らし。

もちろん、一階は津波にやられて住める状態ではない。

車も流され、時々、学校で自転車を借りて、遠くまで買出しに行く。




彼女は半年前まで介護士として海辺の老人養護施設に働いていた。

ところが、あらぬ風評をたてられ解雇された。

風評が立った理由も
それを理由に解雇されたことも
ま、彼女にその要因がなかったとは言い切れないかもしれない。
だって、彼女の考え方も行動も
現時点での
東北の田舎町では
かなり浮き上がってしまいそうだもの・・・。


それでも当時、
彼女にしてみれば根も葉もない事で

「どうして?!」

と怒らずにいられなかったそうだ。



ところが、その老人介護施設は津波にやられた。

もし、そこで働きつづけていたならば
あの津波の時刻
間違いなく
介護の必要な老人と共に
海辺近くの道路を走っていただろうし
きっと
もろともに津波の犠牲になっていた

・・・・・と彼女は話してくれた。



「だから、辞めさせられたんだと思う。

 あの時は“なんで?!”と悔しくてしょうがなかったけれど

 今は、“ああ、こういうことだったんだ。生かされたんだ!!

 助けてもらったんだ”って、心から感謝できる」


そう、語ってくれた。




さらに彼女は言う。



「この災害も、私が受けるべきもの
 試されている状況。

 それに立ち向かう資質を問われている。

 不自由な生活だけれど充実している。

 わたしは負けない」


と。





彼女は家族を失ってはいない。

だから、言えるんだ・・・と批判する人もいるかもしれない。




しかし
万事如意



天はどこにあっても
生かすべきものは生かす。
与えるべきものを与える。


よい事も悪い事も
与えられる以上
全てが必要な事なのだと理解できれば
彼女のように
こんな大きな災害にさえ屈せず
たくましく生き抜けるのかもしれない。




ただ

地震の被害も

津波の犠牲者も

放射能汚染も

万事如意と言い切るには

あまりに

あまりに過酷すぎて

あまりに悲しすぎる。

石巻 ど素人ボランティア体験記  その12 ボランティアはお金持ち?

2011年04月23日 18時47分26秒 | ひとりごと
 被災地には色々な人が出入りしている。

そのいずれもが、被災者にとっては
無報酬で、何かをしてくれる人たちだ。


自衛隊、外国のレスキュー隊、アメリカのアーミィ、
各都道府県からの消防隊員や職員、
日赤からの医師や看護士団、
NPOのボランティア団体、個人の有志者、報道陣・・・

本当に幾多の人が出入りしている。




「あなたは仕事で来ているんですか?」


・・・ボランティアだと言っているにもかかわらず
彼女は私にそう尋ねた。


彼女にとっては都道府県から派遣されてくる職員たちも
ボランテイァで来る私のようなものも
同じ「力を貸してくれる人」なのだ。


私は、その違いを説明した。



彼女はいぶかしんだ。


「ふ~ん、あなたはお金持ちなんだね。

 寄付した上に、お給料も貰わないで

 こんなところへ来てるんだ」


彼女はそう言った。


「余裕があるんだね。
 わたしだったら来ないね。

 もし、立場が逆だとしたら
 わたしはボランティアなんか絶対しない。

 だって、仕事があるもの。

 人のためにそんなことしている暇はないわ」





・・・・・ショックだった。


「お金持ち」

と言われた事に私は傷ついた。




少なくとも、我が家が「お金持ち」とは間違っても言えない。

若い頃から、いつも、お金が足りないと思ってきた。

一円単位の心配をした事さえあった。


ただ、
確かに、最近は、感謝する事の多い環境になりつつある。


「貧乏暇なし」の状態で仕事に追われ
毎日平均4,5時間しか眠れなかった頃に比べれば
今はとても時間的に優雅に暮らさせてもらっているし
借金取りに追われて困る事もない。


けれど、
かといって、余りあるほどお金があるわけではない。



中小企業の(?)サラリーマンの夫の給料は
食べていくには困らないけれども
小さな家のローンや税金、光熱費にとほとんど消えてしまい
世間様のように
連休だ、お盆休みだと言って
海外旅行に行くほどのお金は残らない。


貯蓄高だって平均よりずっとずっと少ないし
家だって三人で暮らすにやっとの小さなものだ。

慎ましやかな
都会(?)のサラーリーマン家庭の典型と言えるだろう。


ただ
最近、宇宙のエネルギーの法則にしたがって

「私は絶対お金には困らない。
 ありがたい事に
 必要な分は必ずまわってくる」

と、決めて、それを心から信じることにし
いつもいつも、感謝する事にした。

そうして、
できるだけ、他人様のためにお金を使う事にした。

そのほうが、お金回りが良くなると書いてあったから・・・。




そのおかげか、
あまるほどはないけれど
それなりにやりくりできている、と言うのが現実だ。



ま、やりたい事もある程度やらせてもらえているし。




それでも、夫の給料には限りがあるわけで
あくまでも、その範囲で
何を優先し
どのレベルで実施するかという選択をしているにすぎない。






・・・「余裕がある」
といわれれば、確かにそうかもしれない。



でもそれは、お金があるからの余裕ではなく
何を大切に生きるか、という選択から来る余裕だと思う。


ブランドのバックや服は一切買わないし
海外旅行や観劇もあまりしない。

だから
その分のお金は要らないし
ゆえに
そのために時間を割いて稼ぐ必要はない、という
ただそれだけのこと。




そんななかで、
何かを我慢して寄付し
何かを捨てて石巻に行った。



それを

「お金持ちなんだね」
「余裕があるんだ」

と言い切られたことに
かなりのショックを覚えた。





めぐみジャパーンでボランティアに来ている人の中には
ここまで来る交通費がかからないから、めぐみに入った、
という子もいた。



ボランテイァはお金持ちだからするものではない。
寄付だって
お金持ちだからするのでもないだろう。

カンボジアの地雷村の人たちのように
貧しすぎるほどの人たちでさえ
この被災者のために身銭を削って寄付してくれているではないか。



けれど、
けれどもだ。


確かに
明日、自分が食べることに困っていたら
人のために
お金も時間も割くことはできないに違いない。


そういう人から見れば
「お金持ち」であり
「余裕がある」
のかもしれない。



上を見ればきりがないが
下もまたたくさんいるということか・・・。





自身が被災し
今まで築いてきた財産の全てを失ったうえで知った“ボランティア”というものへ
どんな感情と理解が入って
彼女がそう言ったのか、

わたしは
己の説明のまずさを思うしかなかった。