幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

大道通長安

2018年02月28日 23時34分10秒 | ひとりごと
  2018.02.26 白骨温泉あたり

                                         北陸、上信越など豪雪だったところの方、ごめんなさい。
                                         それでも、やっぱり、雪景色はきれいだと思ってしまいます。


今日の題名「大道通長安」

どの道を歩んでも
人間は必ず幸せにたどり着くことができるのです


という意味です。


幸せの形は無数にあります。
その状態を「幸せ」と認識するかしないか、ただそれだけのことなのです。

動物たちは
言葉を持たないので
「痛い」とか「苦しい」
「幸せ」「不幸」を
認識しないのだとか。


もちろん痛いときには
その瞬間、大きな声を出してないたりもしますし
こちらから見れば
嬉しそうだったり
悲しそうだったりもします。


でも、本人たちはただ「その状態にある」だけで
認識、判別はしないのだそうです。


つまり
「痛い」という言葉を知っているから「痛い」と感じるし
「幸せ」という言葉を知っているから
「幸せ」になりたいと誰もが思うのでしょう。


ところが
この「認識」に個体差があるのですね。


誰かから見れば「幸せ」なことも
別の人から見れば全然幸せではないことも多々あるのです。



私は豪雪地帯に生まれて育ちました。

伴侶も同じ県の出身ですが、私の故郷から比べれば全然比にならないほど雪は少ない所です。


それでも彼は「雪の降る所は嫌いだ!!」とことあるごとに言います。

彼は雪国の「嫌なところ」ばかりを並べたて
いかに雪国が大変か、そして、だから自分は絶対に雪国には住みたくないと言い切ります。


でも、私の中には
雪国だったからこその美しい風景や、一瞬がたくさんあって
雪深い地に育ったことを「嫌だ」と思ったことはありません。

むしろ雪国に育って良かったと思っています。




新雪が降った後、満月が出て、その美しい雪を照らす神々しいまでの光景。

真っ青な空に生える白銀の山々。

降る雪は里山も街の風景も、水墨画の世界として見せてくれましたし
雪がやんで晴れ上がれば
つららは陽に光り、
融けて滴り落ちる滴は煌めきました。

しんしんと降る雪の夜の香り・・・・・
吹雪く夜の家のきしむ音も好きでした。

数え上げればきりがないくらい、美しい光景はたくさんたくさん思い出に残っています。


もちろん今年のような豪雪の大変さは言いようもありませんが
それでも、嫌なことばかりではないということです。

                    
                                   2018.02.27 乗鞍 剣が峰


どんなことにも可もあれば不可もあります。

陰陽のないことなどこの世にはありません。



それでも、そのどちらを意識しどう捉えるかで
同じ出来事も、環境も
「幸せ」になったり「不幸」になったりするのではないでしょうか。


そして
できるならば
「幸せ」と認識できる受け止め方をしたほうが
ずっと幸せになれるのではないでしょうか。



私の大好きな言葉

「すべてのことを自分の都合の良いように誤解すればいい」

おかれた場所に咲きなさい・・・???

2018年02月28日 22時38分19秒 | ひとりごと
春らしくなってきました。

コートなしにお出かけ。

信号待ちの交差点。

往来の激しい国道一号線です。


そこに見つけた小さな春

                         
仏の座です。

すごいですねぇ~~~

排気ガスいっぱい

騒音、尋常じゃない

振動もあるし、誇りもすごい


でも、美しい色で咲いている。



そんなことに感動しながら
公園を横切り
石段を下りました。

と、そこにも・・・・・ 
                         


              


土なんてほとんどないのに
春ののげしが咲いているのです。

まだ風が冷たいから
茎は伸ばさずに、へばりつくように咲いています。

ちゃんと、黄色いきれいな色!!



すごいですね~~~~~

強いですね~~~~~~


いくら置かれたところで咲きなさい、と言われても
やっぱりブーブー言ってしまいそうな私。

だのに
この子達は
ただひたすらに生きて、花を咲かせて、命を全うしようとしているのです。

不比等さん昇華?!

2018年02月24日 10時00分34秒 | 波動



かーごめかごめ

かーごのなーかのとりは

いついつでやる

夜明けの晩に

鶴と亀が統べった


後ろの正面だあれ





ご存じわらべ歌

私も子供のころにこの歌で遊びました。

今の子供たちは
こんな遊びはするのでしょうか。


わらべ歌には神髄が隠されていたりするものですが
これもその代表でしょうね。


すべるは
「統べる」

だったのですね。

「滑る」だとばかり思っていました


籠の中の鳥とは
己の心、
日本人の魂、
見えない鎖で閉じ込められている私たち一人一人の聖なるエネルギー、霊魂。


亀とは縄文以前からこの日本をお造りくださった神々。

鶴とは
高天原から降臨なさったと言われる大和朝廷以降の外来の神々。


大和の神々は「征伐」と称し
古来の産土神様方を封印し
自分たちの作り出した神の名に置き換えていった。

そうして
日本全体を「統一」した。


けれどその過程においてたくさんの亀の無念が残った。


この無念を解消し
「統一」ではなく「統合」を成すときにこそ
日本国は真の大調和の国「大和」になれるのだ。




三種の神器の一つが「鏡」」であるのは
この世はすべて「鏡写し」

己の思念こそが
己の現実を作り出すということ。
つまり
おこるすべてが「鏡写し」だからなのだ。


「後ろの正面」は結局自分自身。


そのことに気づきなさい。



そういう意味の歌だといいます。


そして、今こそその時期だといわれています。




例の不比等様は自分への誤解を無念に思い浮かばれずにいました。

だからこそ
カルマは輪廻転生し
代々お家が続いてきました。

何とかカルマを解消したい、
そんな思いもあられたのでしょう。


友人がこの話をし、みなで不比等様の真実を知り
語り、認め、理解したとき
その無念は光に変わったといいます。


そしてまた、だからこそ
もう、カルマを受け継ぐ「お家」はなくなってよいのだ、

と皆の意見が一致したとき
この絵のご本人は涙なさいました。


今まで、自分の代で由緒ある家が途切れることを「罪」だと感じてきた彼女。

でもそれは「罪」ではなく「カルマ」解消の証であり
もう必要ないからこそ途切れるのだ、と受け止めることで
彼女の心はとても軽くなりました。


そして、今まで以上にご先祖への思いを厚くし、感謝すると同時に
軽くなった自分の未来を見つめることができたのです。




描いた私がびっくりでした。

こんな深い展開になるとは想像だにできませんでした。

歴史に出てくるような方のエネルギーがいまだにうごめき、
それをその場に集められた人たちによって昇華できるなんて・・・・


きっとどのかたが欠けてもダメだったのでしょうね。

その場に必要な人が集められ
それぞれに必要な何かを解消し、気づいたのでしょう。


顕在意識ではわからなくても
ちゃんと見えない世界で
神計らいによって
なされるべきことがなされている。


有難いことです。







藤原不比等の無念

2018年02月24日 09時19分24秒 | 波動
 

倉吉の波動画シェアー会の一つです。


ご覧になってどう思われますか?


私にわかることといえば
かなり高貴な貴族?

鶴と亀…めでたい?!

ぐらいでした。


この絵の方にお会いして初めて知ったことは

この方はあの有名な藤原不比等の直系の子孫であるということ。
そして、その血筋が
今、自分の代で途絶えてしまうこと。

でした。

ちゃんと
家系図も見せてくださいました。

不比等の長男、南家の子孫でした。


丁度
彼女の絵のシェアーになったとき
倉吉でお香のお店を開き
「占い」と称してリーディングをしている方がいらしたのです。

その方はこの絵を見て

「胸が苦しい・・・
 深い悲しみを感じる」

と言い始めました・


えっ?!
えっ?!

えっ?!


この絵のどこが悲しい?

私にはそんな印象でしたが
なんせお相手はリーディングのできる方。

みんなが注目しました。


その時です。

私の隣にいた、
例の出雲の神々と懇意な友人。

(彼女はリーディングもできるし
 神々や龍君たちと対等にお話しできちゃう人なのですが)

その彼女が

「う~ん、いつ言おうか、さっきから迷っていたんですけれど…・」

と、控えめに口を開きました。

「不比等さんがね、

 誤解されたままで不本意だ

 って
 無念を残しているみたいなのよね」


要約するとこういうことです。


不比等はご存知、大化の改新で功をなした中臣鎌足(藤原鎌足)の息子で
我が国初めての法律ともいわれている「大宝律令」編纂の中心人物です。

そして、のちに天皇と婚籍関係を結び、摂関政治などで栄華を極める
藤原家の始祖となる人。


時の天皇に取り入り日本の国をわがものにした、
などとの悪評もあります。


しかし彼のエネルギーはその誤解を無念がっているのです。

自分がしたかったのは
大和と出雲の本当の和合。

豪族たちの戦いをなくし
平和で住みやすい国にすること。

それぞれの良きところを統合し
真に平和な国にしたかった。


統一ではなく統合がなしたかったのだ



出雲にいけない!!

2018年02月24日 08時22分43秒 | 波動
2月8日の朝
10;50名古屋発の飛行機で出雲の空港に入るはずでした。

ところが
名古屋は美しい晴天でしたのに
出雲は珍しく前日に雪が降り
除雪が間に合わないということで欠航になってしまいました。


9日の倉吉の波動画シェアー会に赴く前に
十数年ぶりに出雲大社に参拝しようと計画していたのに、です(^^;)


しかも
わざわざ空港まで電車とバスを乗り継ぎ
かなりの時間を費やしてのちのことでした。



私は晴れ女!!
出雲で落ち合うはずの友人も
完璧なる晴れ女!!
しかも彼女は出雲の神々とは親しい仲。

行くことができないなんて思ってもいませんでした。
どんなに日本海側に雪が降ろうとも
出雲入りすることを疑うことすらありませんでした。


ですから
そのほかの交通手段など調べていようはずもありません。


欠航が告げられてから
他の空港から電車を乗り継いでいく方法や
新幹線などでの手段などいろいろ調べましたが
交通は乱れていて
仮に
その日のうちに出雲に着いたとしても
夜になってしまう確率が高いことがわかったのです。



その間に私はなぜかぐったり疲れてしまい
出雲に行く気を失っていました。


結局、出雲入りは中止、
翌日、早くに出発して直接、
倉吉に入ることにしたのです。



これにはどういう意味があるのでしょう?!
なぜ、出雲に招かれなかったのでしょう?

何に気づけということでしょう?



そんなことをいろいろ考えながら帰宅したら、
なんと!!

冷蔵庫が壊れていました

冷凍してあるお野菜はダメになり、
お魚やうどん、ご飯なども
すべて解凍状態になっているではありませんか!!



倉吉から戻るのは5日後の予定。

もし、今日出かけていたならば
帰ってきたときの冷蔵庫の中は・・・・・・

と考えるとちょっとぞっとしました。


「ああ、これに気づきなさいということだったのね」

と、合点し、神計らいに感謝したのでしたが・・・・・・


本当の神意はちょっと違っていたのです。



でも、まあ、お陰様で
すぐに修理とその間の貸し出し品の手配ができて幸いだったことに間違いはありません。


                                      2018.02.23 午前 7;32