![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/33/812ccd705375e8dca7af4e8220aae3a0.jpg)
北陸、上信越など豪雪だったところの方、ごめんなさい。
それでも、やっぱり、雪景色はきれいだと思ってしまいます。
今日の題名「大道通長安」
どの道を歩んでも
人間は必ず幸せにたどり着くことができるのです
という意味です。
幸せの形は無数にあります。
その状態を「幸せ」と認識するかしないか、ただそれだけのことなのです。
動物たちは
言葉を持たないので
「痛い」とか「苦しい」
「幸せ」「不幸」を
認識しないのだとか。
もちろん痛いときには
その瞬間、大きな声を出してないたりもしますし
こちらから見れば
嬉しそうだったり
悲しそうだったりもします。
でも、本人たちはただ「その状態にある」だけで
認識、判別はしないのだそうです。
つまり
「痛い」という言葉を知っているから「痛い」と感じるし
「幸せ」という言葉を知っているから
「幸せ」になりたいと誰もが思うのでしょう。
ところが
この「認識」に個体差があるのですね。
誰かから見れば「幸せ」なことも
別の人から見れば全然幸せではないことも多々あるのです。
私は豪雪地帯に生まれて育ちました。
伴侶も同じ県の出身ですが、私の故郷から比べれば全然比にならないほど雪は少ない所です。
それでも彼は「雪の降る所は嫌いだ!!」とことあるごとに言います。
彼は雪国の「嫌なところ」ばかりを並べたて
いかに雪国が大変か、そして、だから自分は絶対に雪国には住みたくないと言い切ります。
でも、私の中には
雪国だったからこその美しい風景や、一瞬がたくさんあって
雪深い地に育ったことを「嫌だ」と思ったことはありません。
むしろ雪国に育って良かったと思っています。
新雪が降った後、満月が出て、その美しい雪を照らす神々しいまでの光景。
真っ青な空に生える白銀の山々。
降る雪は里山も街の風景も、水墨画の世界として見せてくれましたし
雪がやんで晴れ上がれば
つららは陽に光り、
融けて滴り落ちる滴は煌めきました。
しんしんと降る雪の夜の香り・・・・・
吹雪く夜の家のきしむ音も好きでした。
数え上げればきりがないくらい、美しい光景はたくさんたくさん思い出に残っています。
もちろん今年のような豪雪の大変さは言いようもありませんが
それでも、嫌なことばかりではないということです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/ae/5d7670d5465b0ed5016b51583c52e435.jpg)
2018.02.27 乗鞍 剣が峰
どんなことにも可もあれば不可もあります。
陰陽のないことなどこの世にはありません。
それでも、そのどちらを意識しどう捉えるかで
同じ出来事も、環境も
「幸せ」になったり「不幸」になったりするのではないでしょうか。
そして
できるならば
「幸せ」と認識できる受け止め方をしたほうが
ずっと幸せになれるのではないでしょうか。
私の大好きな言葉
「すべてのことを自分の都合の良いように誤解すればいい」