幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

呼吸を意識して

2014年02月22日 22時53分24秒 | 波動
 腹が立った時
哀しくなったとき
自分で自分を持て余すとき
ただただ
自分の呼吸に意識を集中してみてください。

目を閉じても、何かをしていてもかまいません。呼吸だけに意識を集めるのです。

そうすると、いつの間にか
あの煩わしい、感情から解放され、心が落ち着いてきますよ。


これが、「今に生きる」ということの一つなんですって。

是非お試しください。

空に寝ころぶ

2014年02月22日 22時20分50秒 | ひとりごと
春大空 こころ解き放して無限大

       草萌える 仰臥すれば青空



 春も、夏も、秋も
空を見上げて季節を感じる。

そして、その空に力をもらう。

寝転んで空を眺めることが好きだ。

空に抱かれて、空の中に漂うことが好きだ。



 今、柔らかな若草の上に寝ころぶ子供はどのくらいいるのだろう。
温かくなり始めた大地の息吹を感じる子供はいるのだろうか。


どんなに寒くても春は必ずやってくる。
どんなに雨が降っていても、いつか必ず青空になる。
止まない雨はないし晴れない空もない。


 そんな当たり前なことを
子どもも大人もちゃんと心得ているだろうか。
必ず青空になるときが来ることを意識していれば
耐えて忍んで待って、待って、強く生きることができる。



 私は今年、
何度、
寝転んで大空を見やるだろうか。

いくつになっても、大空を見上げる自分でいたいと思う。

小さな贅沢

2014年02月17日 13時53分38秒 | 暮らし
 毎日の生活こそが人生だ、と私は思っています。
いきなりすごい日がやってきて
そこからが人生の始まり!!
な、わけはない。


この平凡な、
「今日」の積み重ねこそが人生を彩るのだもの。
そう思えば、今日を素敵に暮らさねばなんとしよう。


 というわけで、自分の毎日をなるべく自分自身で演出しようと思っています。
「めんどくさい」なんて言っていたらもったいない!!
「めんどくさい」が積み重なった毎日って
私から見ればなんだか灰色。

せっかく生きているのに自分で自分の毎日を灰色にするなんて
ああ、もったいない!もったいない!!



 さあ、今日の私の小さな彩、小さな幸せ。

テーブルに飾ってあったベビーピンクのバラがクタッとなってしまった。
一週間ほどたつから、水切りしてももう戻りそうにない。
でもまだまだ、色もきれい。

そこで、「お疲れ様」と、声をかけてのち
花だけ摘み取った。
たった五輪だけれど、
夜、それをお風呂に浮かべ
ローズのオイルを1,2滴たらした。

花は花のまま。
花びらだけにしたりはしない。
五つの可愛い花はかたまって浮いている。

何かの雑誌みたいに
湯船一面のバラの花びらではないけれど
良い香りに包まれ
可愛い花がぷかぷかして
とってもリッチな気分。

ああ、幸せなバスタイム!!

今夜の私の人生はまさにバラ色!!



ありがとうを言う

2014年02月14日 11時35分09秒 | 波動
 フィギュアスケートの羽生選手は
リンクに深々とお辞儀をする。
アイスに手を触れて感謝する。

と、今朝の新聞で読んだ。

それはあの3・11の震災がきっかけだとか。


他にも
ジャンプの選手
マラソンの選手

その「場」にお辞儀をするアスリートは少なくない。



 彼らは知っているのだろう。

動かないもの、生命がないと言われているものにも
エネルギーがあることを。

いや、単に感謝しているからしていることなのかもしれない。


 それでも、
この世のすべてが素粒子である限り
動かないもの、生きていないものにも
波動がありエネルギーがあることは否めない。


そして、素粒子は素粒子の単位で反応しあうし
エネルギーは出したものが返ってくるという
この紛れもない真理を思えば
彼らが取る行動が
いかに彼らを助けるかは言うまでもないことだ。




 私は
家に戻ったとき
誰もいなくても

「ただいま、ありがとうね」

そう、感謝の言葉をかけるようにしてきた。


P.C.をしまうとき、
ステレオのスイッチを切るときなども
「ありがとう、お疲れ様」
と、感謝する。


車に乗るときはボディーを撫でて
「ありがとう、今日もよろしくね」
と、お願いし
駐車場に戻った時には
「ちゃんと待っててくれてありがとう」
と、声をかける。


 そうすると
きっと
彼らが気持ちよく働いてくれたり
守ったりしてくれると信じているから。

 そしてそれよりも何よりも
周りにいてくれるかれらを愛したいから。


雪の朝の幸い

2014年02月14日 10時13分28秒 | ひとりごと
 何もかも白 白に包まれ古里は冬

 わたしの故郷は北陸の雪国。
自衛隊が来るほどの豪雪の時もあった。

屋根雪などは
一晩で5,60センチ以上積もることもあり
すぐに1メートルを越えてしまう。
ひどい時にはひと冬に三度も屋根雪下ろしをせねばならぬ時もあった。

おまけに北陸の雪は水分が多くて重いから
雪かきは大変な重労働だ。


 若い時の母はいつもその重労働をやってのけた。
屋根雪降ろしも
家の前の道を空けることも
父よりもたくさんやっていただろう。


マイナス思考の母の口癖は「たいへん」「いやになる」
雪の世話をする前後
母はいつもこれらの言葉を口にしていた。

 


 けれど
この母の口癖をいつも聞かされていたにもかかわらず
私はなぜか雪を嫌いにはならなかった。

もちろん、学校の行き帰りなど
吹雪の中を歩くのは一苦労。
コートも手袋もビショビショになるし
足元は寒いし・・・

今のようにホッカイロなどない時代だから
薄いゴム長靴の中で
指は氷のように凍えていく。
そんな時はさすがに嫌だなあと、思っていたような気もするが
それよりもむしろ
雪の美しさの方が印象に残っている。





 雪が降り始めると
遠くの山がかすみだし
あたりはまるで水墨画のようになっていく。
寒い中で
傘に積もる雪を重すぎると感じながらも
水墨画の景色に心はうっとりとしていた。



 ずっと降っていた雪がふっとやむと
木々の上にも、屋根の上にも、道路にも
一点の穢れもない新雪の世界ができる。
フワフワと
白ウサギの毛並みのような雪が一面に続く。
その上に頬ずりしたら
きっと気持ちいいんだろうなぁ、と思えるほど
本当に毛皮のようなのだ。

しかも
音という音、全てが吸い込まれ
あたりにはただ、静けさだけが広がっているのだ。

そんな瞬間を私は愛した。



 他にも、
放射冷却で冷え込んだ、
よく晴れた朝などの美しさは素晴らしいことこの上ない。
スキー場へ行ったことがある人はわかってくださるだろう。

真っ青な空の下に広がる白銀の世界だ。

どこまでも続く青空の下
白山連峰が燦然と輝く。

朝日が田んぼや畑の雪に反射して
きらきら、きらきら、
まるで
ダイヤモンドを散りばめたようだ。

雪は固く、その上に乗っても沈み込むことはない。
田んぼだろうが畑だろうが
自由自在、どこへでも行けてしまうのだ。
学校にだって直線距離で行けちゃう!!

私たちはそれを「おそら」と呼び、
喜々として楽しんでいた。

朝一番の授業が
「おそら乗り」に変更になったりもした。

昔の先生は余裕があったということか・・・・・


田んぼの雪の上で
鬼ごっこしたり、どっちボールをしたり
きらきらきらきら輝く雪に照らされながら
子どもたちは幸せだった。

本当に
雪国に育ったからこその思い出だ。



 あ、もうひとつ、
忘れられない美しさがある。

それは
何もかもを真っ白に包む新雪が降った後に見る月夜。


新雪があたり一面を真っ白に塗り染める。
そこに
皓皓とした月の光があまねく照らす。

雪の白さが光を反射して
夜なのに明るい。
本が読めるほど明るい。

暗くて、
明るくて、
静寂で、
なんだか寒いのに暖かな世界が展開されるのだ。


ここは果たして、本当にいつもの私の住んでいるところなのだろうか。
どうして、
こんなに美しいのだろう。

すごいなぁ、
きれいだなあ、

すごすぎる、
きれいすぎる、


中学生だったか
高校生だったか

あまりの美しさに
言葉を失った雪の月夜を今でもはっきりと思い出すことができる。




 



 ・・・とまあ、
私の中にはこんな風に
雪の美しさだけが貯蓄されているのだが、
マイナーだった母の中には
「雪は大変、雪は嫌」
という思いしかない。

同じくマイナスを見ることが上手な夫の中にも
「雪は嫌い!!」
が深く根付いている。

雪かき、屋根雪下ろし、重労働
重い、寒い、濡れる・・・・・

彼の口から出てくるのはそんな言葉ばかりなのだ。


同じ雪国
同じ県に育ちながら
母、夫、私では
雪に対する感情がまるで違っている。


 もっとも老いると雪は苦労の種となるから
今の私が雪国に住もうとは思はない。

それでも、もし、そうせざるを得なくなったなら
きっと私は不便なことは淡々と受け入れてこなし
ステキなことを見つけて、口にし、喜び、堪能するだろう。



 目の前にある現象はいつもひとつ。
良いも悪いもなく、ただあるだけ。

それをどう受け止め、どう扱うか
本当に紙一重で
幸せにも不幸にもなれるということだ。




 今朝の雪

朝一番
「うわあ~~~、いやだなあ」
と、顔をしかめた人は
きっとその後も
嫌なことが続いたかもしれない。

 
「あら、たいへん。
 でも、きれい」

と、思えた人は幸いだ。



 目の前に与えられた現象から
幸せを見つけ出すのは自分自身。

それを知っていれば
自らを幸せにする方法を考えるのみ。
 



 今日も一人でも多くの人が
自分を幸せにしますように。