幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

空腹は快感?!

2012年05月21日 21時35分58秒 | ひとりごと
 おなかがグーとなるときは危機管理遺伝子が働いているのだそうだ。
この遺伝子をサーチュイン遺伝子という。

生命の存続の危機を感じて
体の中の悪いところを治してくれる遺伝子。
壊れた細胞や異常のある細胞を修復再生してくれるらしい。

ということは、若返ったり
病気が治ったりするということだ。



 さて
これが働くためには空腹にしておくことが肝心。

グーとおなかが鳴り始めて初めて働くようになるのだとか。

で、今話題の一日一食健康法につながっていく。



 この話が巷で取り上げられるずっと以前から
胃腸が丈夫でない私は

「食べない方が何だか調子がいい」

と感じていたのだが
周りは

「なんでも、モリモリ食べないと体力つかないよ」

とか
「食べられない人は長生きしない」

と、私に忠告した。

そうして、もっとしっかり食べろと
好意を持って勧めるのだった。


「そうかもしれない。
 確かにしっかり食べる人は長生きしているかも・・・」

と、思って頑張ってみたりした。


でも、やはり
しっかり食べると必ず
調子が悪くなった。





 それで二年ほど前から
土日休日は遅いブランチと
軽い夕飯の二食にし
実家に帰った時などは
朝、目が覚めるとすぐに畑に出て
11時ごろまで働き
そのあと
ようやく
朝昼兼用の食事をとる、ということを実践した。

結果、
そういう風に過ごしているときは
すこぶる胃腸の調子がいいし
体も軽くてよく動くということを実感した。


この頃の本やテレビが
そんな自分の感覚が間違っていなかったことを
証明してくれたようでなんだか嬉しい。




 人間のエネルギーが高度になってくると
食事をしなくても宇宙エネルギーを取り入れ
元気に過ごせるようになるという説もある。


これから、水不足、食糧不足になるであろう世の中で
食物からエネルギーを補給するのは
野蛮で原始的だといわれるようになるのかもしれない。



 「小さな宇宙人 アミ」という
一見、子供向けのお話がある。

さくらももこがイラストを描いて文庫本になっているのだが
これは、われわれ人間の進化するべき方向が書かれている
とも言われている。


 その本の中では
全身毛むくじゃらで、肉食の
野蛮で戦闘好きな種族が
やがて
ピンク色のすべすべ肌の
愛に満ちた人(?)に変化することが書かれている。

そして、さらに進化すると
食物は全く口にせずに
自らも光り輝くエネルギーとして存在するようになるのだ。




 これが嘘か本当か
私ごときにわかろうはずもないが
食糧難になることは目に見えている気がするし
そうなれば
進化したエネルギー体だけが生き残れるというのも
うなずけるような気がするのだ。





 ところで
宇野千代がこんなことを言っている。

「なるべく菜食。間食は一切しない。
 いつでも腹の中は風が吹いているように軽い

さらに内田百は

「肉感の中で一番すがすがしい快楽は空腹感である」

と述べている。



空腹感=快楽・・・とは
さすがである。



およそ100年ほど前に生まれた「昔人」であるにもかかわらず
存外
彼らは進んだエネルギーだったのかもしれない。


 

 

執着を捨てると願いはかなう

2012年05月16日 19時26分57秒 | 波動
 「放下着」という禅語があります。

これは「執着を捨てなさい」ということです。

「執着を手放す」ということは幸せに生きるために最も大切で
これがなかなかできずに
私たちは、いろいろと苦悩するのです。


 ところで、この「放下着」
引き寄せの法則の中でも
大きな力を示します。

~したい、~がほしい・・・と強く思っているうちは
その~は叶いません。

でも、それを忘れてしまったり、
「もういいや」と思ったりすると叶うらしいのです。

ですから、引き寄せの法則の実践方法としては
願いを過去形で強く祈った後は
その願いをすっかり忘れてしまいなさい

と言われているのです。





  
 さてさて、話変わってわが娘
今、トルコに行っています。



 彼女は三年ほど前から

「トルコに行きたい!!
 カッパドキアへ行きたい!!」

と、しょっちゅうの賜っておりました。


けれど、そういいながらも、
お金もなく、思いも踏ん切りがつかず
うじうじしているうちに今年になってしまったのです。



 そんな今年の一月半ば

年一度くらいは外国へ行こうかなという気持ちになって

「もし行くとしたらニュージィーランドとトルコとどっちがいい?」

と、
旅慣れしている友人たちに尋ねた私。


「そりゃぁ、トルコでしょう!!」

彼女らに口をそろえて即答され
その日帰ってすぐに、

「ねぇ、今年はトルコへ行こうか。

 やっぱりトルコはいいんだって!!
 そうとういいらしいよ。

 ねぇ、トルコ行こうよ。

 あなた、カッパドキアへ行きたがっていたでしょう?!」

と娘に話を持ちかけたのですが、

「う~~~ん、もういいや。
 なんだか、マイブームすぎちゃった感じだもの・・・」

とすげなく断わられてしまったのです。



 ちょっとばかりがっかりはしたものの
まあ、もともとそんなに行きたかったわけでもないので
話はそれっきりになってしまいました。




 ところがです!!

4月に入ったある夜

「おかん!!
 エジプト、トルコ15日間の旅、198000円だって!!
 しかも、全食ついてだって・・・

 行って来たら?!」

と言うではありませんか。



「え~~~~~?!
 15日間も行くのに19万円って・・・
 そんな安い旅行、どうせ、
 ホテルはぼろぼろで、食事だっておいしくないに決まってるもん。

 やだよ、そんなツアー」


「モニター旅行だから安いみたいよ。

 ホテルは当社規定四ツ星以上ってなってる」


「四つ星以上って言ったってあなた、
 その“当社規定というのがこわいじゃん。

 すごいランクの低い規定だったらどうするの?

 それに、
 どうせ、
 移動ばかりだろうし・・・

 ツアー旅行で15日間は、身が持ちません。

 私が行くなら
 せいぜい8日間ほどでいいし、
 もっとリッチに連泊ばかりのゆったりツアーにするわさ」



と、
ここで言葉を止めればよかったのですが
何がどう間違えたのか
おしゃべりな私はつい言葉を滑らせてしまったのです。


「それより、自分こそ、行って来たら?

 ずっと行きたがってたんだし
 おまけに
 最近はまってるエジプトまでついてるんだから・・・


 若いんだから、
 ホテルがどうであろうと
 食事がまずかろうとがまんできるでしょう?

 なんだったら、援助してあげるわよ

 せっかくのモニタープライスなんだもの。

 行ってらっしゃいよ」


    


 ああ、なんでこんなこと言っちゃったんだろう?!

だれが、援助するって?!

援助なんかしたくなーい 


誰?! 誰?!

私にこんなこと言わせたのは?!


きっときっと、彼女についてる“おかげさま”達に違いない!!

うわぁ~~~ん
おかげさまの陰謀だぁ~~~ 





 しかし、出した言葉は元には戻りません。

 結局、彼女はルンルンで旅立ち
母の日の未明、私がまだ眠りの最中にメールをよこしたのです。


「今日のホテルはサイコー!!

 超豪華!!


 明日はカッパドキアで馬に乗る!!

 ああ、し・あ・わ・せ




・・・・・

今何時だと思ってるの?!

時差7時間をちゃんと考慮しなさいよ!!


人をこんな時間に起こしておいて
母の日のはの字もなくて・・・


はいはい、よかったわね。

おしあわせさま







 とまあ、こんな具合なのですが
それにしても
つまるところ
トルコで楽しんでいるのは彼女であり、
彼女の念願は叶ったわけです。


そして
その念願がかなったのは
彼女が
「トルコへ行きたい!!」
という執着を捨てた時だったということなのです。


 

求めよ されば与えられん

2012年05月15日 08時22分40秒 | 波動
 「浅見帆帆子の日記」より

“ 「求めよ、そうすれば与えられるであろう。
   探せ、そうすれば見出すであろう。 
   門をたたけ、そうすれば開けてもらえるであろう」
 
  っていう、新約聖書の言葉。

   大きくなってから思い出したことなんて一度もなかったのに
  当時の小学校の聖書の先生が教室の引き戸に手をかけて
 
  「遠くから部屋を見て人影がないからといって、
   誰もいないと思ったらそこで終わりです。
   そばまで近づいてみて、静かだからいないと思った人も、
   やっぱりそこまでです。
   ノックしてごらんなさい。
   きっと手ごたえがありますよ




   といいながら、廊下に出て、
   教室のドアを開けたり閉めたりしていた授業を思い出した。

   教育ってこういうことかも。
   長い時間かけて実るもの。”



“ あのあとずっと、Kさんという人と、
 「求めよ、そうすれば与えられるであろう」
 について考えている。
  今の私の「求めてつかみたいこと」はなんだろうと思った。

  私は求めて努力して、それでも与えられない時というのは
 まだその時期が来ていないんだろうと考える。
 または、それが与えられるにふさわしい人になっていないということ。

  努力して、自分がそれにふさわしくなって
 時期がめぐってくれば、
 かなわないことなんてないんじゃないかな。


 そう考えると、絶対無理なことというのはないだろうし
 人生楽しくなる。”



 浅見帆帆子はすごい。
 わずか23、4歳でこんなことが言えたのだから。

 私などは40歳半ばまで
 生きることがつらく
 思うようにならないことばかりで
 人生が楽しいなんて言えなかったもの。
 
 



 でも、今は言える!!
 
 人生は楽しい。

 おまけに
 この頃の私はおかげさまでラッキーなことが多い。

 でもそれは
 自分はラッキーだと信じ始めたからかもしれない。



 
 自分の思考が現実を導く三次元。

 「嫌だ」と思えば「嫌なこと」がどんどん増える。
 心配すれば心配したことが起きてくる。

 そんな中で
 たとえば都合の悪いことが起きても
 それを気付きへのヒントだと捉え
 一生懸命に文句を言わずに取り組めばよいのだ。

 「嫌だ」とか「ついていない」とか思わずに
 ただ、淡々と解決策を練ればよいのだ。
 
 反対に
 ラッキーなことがあれば
 感謝して感謝して、口に出して感謝して
 周りにもそのラッキーを配ればよいのだ。

 そうしているうちに
 本当に幸運で安らかな日々ばかりになってくるものなのだ。



 
 そうなるには
 まず
 心配をしないこと!!

 心配したことも必ず現実になるのだから
 心配しそうになったら
 意識してそれを止め
 その反対のうまくいっているほうをイメージするに限る。

 すべてがうまくいき
 みんなで喜んでいるところをイメージしよう。




 こんな話をすると
 心配性の人に限って
 「そんなことできない」
 という。

 「それができれば、苦労しない」
 という。




 できないんじゃぁない。
 しようとしないだけ。



 



 だれでも
 思考回路には癖がついている。

 生まれる前から持っていたり
 生まれてのちに擦り込まれたり・・・

 その癖を
 すぐに改善することは無理でも
 行きつ戻りつしながらも
 徐々に徐々に訓練していけば
 必ず、なりたい思考回路を手に入れることはできるはずなのだ。
 (IQなどは無理だろうけれど…)





 私たちは守られている。
 
 生まれる前から守られている。


 その守りの力を強くするのは
 信じることと感謝すること。


 自分を導き、守ってくださっている力を信じ切り
 絶対大丈夫と信じ切り
 どんな小さなことにも感謝する。


 これを根気よく繰り返しているうちに
 だんだんと心配をしなくなれるし
 幸運を引き寄せることも多くなるのだ。


 そうなれば
 やがて
 必ず、望んだものは最適の時期に与えられ
 人生は楽しいと言えるようになるだろう。




  

朝からラッキー?!

2012年05月14日 14時31分34秒 | ひとりごと
 朝8時20分、電話が鳴った。

仕事に出かける夫の車を見送り
ついでに、玄関先をお掃除し終え
さあ、次は・・・

と、言う矢先だった。

年配の聞きなれない女の人の声が
戸惑いがちに尋ねてきた。


「あの~~~~~
 お聞きしますが、お宅って
 写真、やってらっしゃる?」


 へっ?!
写真???

うーーーん、10年ほど前は仕事の関係もあって
かなりカメラに凝ってた時期もあったけれど、
今、写真のことで尋ねられるようなことは何もないはずだ。


「いえ・・・

 あの、

 それは・・・???」


 などと、応えに戸惑っていると
彼女はさらに言葉を続けた。


「お宅の近くに写真をやっているところがあるはずなんですが・・・
 名前と町名を言って104で尋ねたら
 お宅しか載っていないということで・・・」



そうなのよね。

この頃の104ときたら、まるで役立たずな時があるのだ。

 まず、電話帳でしか調べないから
電話帳に載ってなければアウト!!

おまけに
例えば
「カメラの○○」

「○○カメラ」などと言おうものなら

「お届けがありません」
と言われてしまう。

昔、近所のNTTの交換手につながっていたころは
かなりあいまいな情報でも
交換手さん同士が情報を提供し合って
いろいろ探してくださり

「あー、それそれ、それです!!
 よかったぁ、どうもお手数おかけいたしました」

なんてこともよくあったのだけれど
全てが合理化され
地方のNTTではなく中央につながるようになってからは
ホント、
電話帳以下になってしまった。

まったく
NTTさん、何考えてるの!!
ホスピタリーも何もあったもんじゃないわ!!

と、文句の一つも言いたくなる現状なのだ。



 で、お気の毒に
その御婦人も
「写真屋さん」「○○」という名、「△△町」というキーワードで探してもらった結果
我が家の電話番号を教えられてしまったようだ。

それで代金を取られているのだからたまらない。



 
 

 確かに、わが町内には
うちと同じ苗字の写真屋さんがある。

だが、正式な店名を知らない。

「○○カメラ」?「カメラの○○」?「○○写真」?「写真の○○」? 


正式名を教えてあげたいがわからない。
う~~~~~ん、なんていうんだろう。




 その時ひらめいた!!

そうだ!!
毎年配られる町内地図があるではないか。





「ちょっとお待ちくださいね。
 名前と番地がわかるかもしれませんから」

恐縮する相手を待たせて
それが貼ってある所へ急いだ。

地図は大きいのだが、軒数が多く
従って名前や番地が小さくて
老眼の目には読みづらい。

それでも何とか頑張って
お店の正式名と番地を教えて差し上げることができた。


これで、あの方は104で本当の番号を教えてもらうことができたはずだ。

うーん、よかったよかった。




 とまあ、こういう成り行きだったのだが
電話を切った後
私は声に出して叫んだ。


「朝からラッキーの出来事をありがとうございました。
 嬉しいです。感謝です」



 はてさて、それがなぜだか
あなたはお分かりになりますか?

もしかしたら

「朝から、迷惑な電話がかかってきちゃったわ」

なんて、思う人もいるかもしれません。
でも、私にとっては間違いなくラッキーなのです。




 近頃の私は
自分の運気を上げるために
毎朝目を覚ました直後
起き上がる前に

「幸運の女神様、いつもありがとうございます。

 今日も一日よろしくお願いいたします。

 よろしければ、今日も、女神様のお手伝いをさせてください。

 今日も成長させてください。

 人のお役にたたせてください。


 私は今日一日
 ラッキーなことだけを選択いたします。

 今日もとても幸せでした。

 本当にいつもありがとうございます」

と祈っている。


これは

“人は運をよくしたければ
 感謝することと
 親切にすることが一番だ”
 
というのを信じている私が
「運をよくする」方法などを書いている本の中の言葉を
私なりにをミックスさせたものなのだ。


他にもトイレ、鏡、玄関だけはピカピカに磨き上げておく、
ありがとうを毎日呪文のように唱える、
断捨離をする、

など、実行してその効き目を実感していることは山ほどあるが
上記の祈りもかなりの効き目がある。



この祈りの言葉の後に起き、
最初に発する言葉を「ラ」の高さから始めると
その日一日はたいてい
とても良い日になる・・・ように思うのである。


 そんな私にとって
家に居ながらにして
誰かを手助けできたことはこの上ないラッキーなのだ。

なぜなら
誰かを手助けしたということは
自分の幸せ貯金、ラッキー度が増えたということであり
誰にも会うはずのない家の中でそれができたということは
ラッキー以外の何物でもないからだ。



 アハッ

損得勘定オンリーの私?! 

ちょっと、あさましい?????




 でもいいのだ!!

小林正観もいっているではないか。

「尊徳勘定せよ」と。



浅見帆帆子の日記より

2012年05月12日 22時27分29秒 | ひとりごと
5月2日から8日間
またまた実家へ帰ってきました。

春になった奥越地方はとても美しかったです。

が、その分仕事も増えていました。

庭木の雪囲いをしていた木々を片づけたり
屋敷内や畑の草むしりなど、
冬とは違った仕事が山ほど後を絶ちません。

それでも、
老人たちとの暮らしは
夜になってしまえば結構暇ですので
毎晩読書ができるというメリットがあります。
おかげさまで
5冊の文庫本を読み終えました。

その中の一冊
浅見帆帆子の「毎日、ふと思う」から
気に入った文章をひとつご紹介いたします。



“この間ザンザンぶりの夕立が降った時のこと
 駅で雨宿りをしていたら
 高校生の男の子たちが傘をささずに
 「ウォー」とガッツポーズで、
 びしょぬれで通りずぎていった。
 見ているわたし達まで、楽しい雰囲気になった。
 「若い」ってもうそれだけで輝いている。
 私にもそんな時があったな、とボーッと思う。

 でもまあ、
 今日の目の前にあるのは今の自分だ。
 なので、今やりたいことをいろいろやらなきゃ



 



・・・ちょっと待ってよ
 この日記、著者が24歳の時のものでしょう?!

“「若い」って”とか“わたしにもそんな時があったな”って
その年で言っちゃうわけ?!

半世紀以上生きたおばさんは
何ともそんなあなたをこそ
微笑ましく思っちゃいますけれど・・・。


でも、確かに
「ウォー」とガッツポーズで
びしょ濡れになって走る高校生はステキ 

というより、私自身が今、それをやってみたい

だって、わたしには高校生の時
そんな楽しいことした記憶がないもの。


よし!!
今度、土砂降りの雨に遇ったなら
是非、試みてみるとしよう!!



・・・ただ、
「ウォー」
は、ちょっとねぇ。


でも
「わーい」
では、いまいちだし、

「あら~~~
も変だし

う~~~ん、なんて叫ぼうか。




それにしても

“今日の目の前にあるのは今の自分”


・・・この考え方、好き!!

そう、過去や未来を考えても何にもなりはしない。

私たちは「今」に生きているのだもの。
「今」にしか生きられないのだもの。
「今」に生きてこそでしょう。



“今やりたいことをいろいろやらなきゃ”


本当にそうなんです

明日はないかもしれないんです。

いえ、それどころか
一秒先だってわからないのです。


だから、高校生だろうがおばさんだろうが
若かろうが老いていようが
今やりたいことは
「ウォー」のいきおいでやっておかなくっちゃ!!・・・なのです。



・・・とまあ、心底共感した次第です。