幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

そっちの道をいくのね

2016年06月29日 18時56分14秒 | ひとりごと
「オークランドでありがとう」
をお読みくださった方はご承知ですが
いろいろ大変だったわが娘。

離婚するとかしないとか
双子の子供の親権は裁判になれば絶対取れないとか
いろいろもめて
もめて、泣いて
主張して
主張が通らずまた鬱状態になって
周りの人も巻き込んで
すったもんだしたのに
結局
ニュープリマスの義両親の家へと帰っていった。

まあ、子供たちがそこにいる以上
他に取る道がなかったとも言えるけれど、
私から見れば
パートナーにうまくコントロールされてしまった、かな、という感じ。

決して平等には思えない条件のもと
彼女は子供たちのそばへと戻ったのだ。



以前、出産直後
おそらく彼女はこうなるだろうということがほとんど予測できたにもかかわらず
私は何もできずに帰国した。
そして、三月末からの事態が起きた。

今度も
決して楽観できる状態ではない。
彼女にとってはしんどいことが続くはずだ。

でもそれは
わかっていて彼女が選んだ道。

そっちへ行けばしんどいよ。
こっちの道もあるんじゃないの。


そう、示唆したつもりだが
それでも彼女はそっちの道を選んだのだ。


親というものはとかく子供には苦労させたくないと願ってしまい
なるべくいつも幸せでいられるような道を選ばせようとする。


でも、本人がそうじゃない道を選ぶのなら
それはそれで仕方がない。

楽しい道ばかりを歩んで
今生はルンルンで過ごすと決めた人もいれば
かなりハードな山の多い道を選んで、体験成長しようと試みる人もいる。

どっちが幸せか、などと今生の見解では判断できるものではないだろう。


娘はどうも後者のようだ。

ならば私は彼女の魂とお蔭様たちを信じて見守るしかない。


「あらまあ、そっちの道はたいへんよ。
 でもあなたは、そっちの道を選ぶのね」



そうして
祈るしかない。
彼女が強くその山道を歩み、乗り越え、大きく成長することを。


何が起きても大丈夫
何が起きたって
たかがこの世のでき事

全ては経験
全ては魂の成長
無駄なことは一つもない

ついでのお料理

2016年06月29日 17時55分08秒 | お料理
お茄子の美味しい時期になりましたねぇ。

ナス、トマト、オクラ、しし唐・・・挙げればきりがない。
日本は本当にお野菜の種類が豊富な国です。
そのことをニュージーランドに滞在して、つくづく感じました。

季節ごとに旬のお野菜が味わえる、ってなんて幸せなのでしょう。

我が家では旬ではないものはあえていただかないようにしています。
理由はいろいろありますが
でも一番は、もしかしたら、この幸せ感のためかもしれません。

夫もよく申します。
「あ~~あ、うれしいね。
 トマトやナスが、思う存分食べられる季節になったね」
・・・と。

そうなんです。

今どきの事
トマトもナスも一年中手に入ります。
それでもけっして手を出しはしません。

だって、旬のに比べたら断然味が落ちますもの。
食べるほどのものではないとさえ感じます。
それは路地育ちの旬の取れたてお野菜たちがあまりにもおいしすぎるから・・・。

おまけに食べ物には身体を冷やしたり温めたりしてくれる働きがあって
旬のお野菜たちは季節に合わせてしっかり調整してくれるでしょう。
それを大切にしたいですものね。

だから、大好きな旬のお野菜たちを頂くとき
本当においしくて、うれしくて、有り難くて
このうえない幸せな気分になるのです。


小さな幸せはこんなふうにもつくれるんだなぁ、って思うから
なお、旬になるのを待つようになりました。
「待ち遠しい」ということもまた幸せな感覚ですし・・・。




とまあ、そういうことで
今年初めてのナスの煮物を作りました。

そのついでの一品
ご存知の人もご存じでない方もちょっとご覧くださいませナ 


ついでの一品 ナスの皮の炒め物



材料:ナスの皮適宜
   その他の野菜(ピーマン、ニンジン、玉ねぎ、など)
   すりごま、塩、ごま油、七味


作り方
    ① ナスの皮を適当な大きさに切る  *ナスの煮物を作る際、こんなふうに皮をむいて味を早くしみこみやすいようにするので、
                                                               余分な皮ができてしまうのです
    ② その他の野菜もナスの皮の大きさに合わせて薄く切る           
     * ピーマンを斜めに切っているのは、切り方で陰陽のバランスが変わるので、中庸にするために
       斜めに切っています。
       人参も同じようにすれば陰陽のバランスが取れますし、玉ねぎの場合は繊維に沿って回し切りにするといいそうですよ。
    ③ フライパンをあたため、ごま油を敷き、①②を軽く炒めて塩で味をつける   ④ ③にすりごま、七味を振って火を止め、よく混ぜる。

    * 調味は好みで、きんぴらふうにしてもいいですし、甘いみそ炒め、韓国風な味付け、などなんでもOKです。

   はい、出来上がり  

たかが死ぬだけ

2016年06月29日 10時34分42秒 | ひとりごと
今日のタイトル
きわどいですね。

ご批判を受けるかも、ですね。



この言葉
いつだったか何かの本で読んだのです。

〇〇してもたかが△△を失うだけ・・・まさか✖✖になるわけじゃあるまいし・・・・・

のパターンがいくつか続いていて
最後に
たとえ死んだとしてもたかが肉体がなくなるだけ。霊(たましい、真我)までなくなるわけじゃない
って書いてあったのです。


それを目にしたとたん
ストーンとその言葉が私の中に落ちました。

そう
「たかが死ぬだけ、たましいを(本当の私を)穢され、失うわけではない」
と意識した時
この世で一番大事なのは「たましい(私自身)を穢さないこと」なのだと妙に納得できたのでした。


それ以来
私の基準判断は
己の魂が穢れるか清まるか

なのです。


誰が見ていなくても私自身が見ている。
今取ろうとしている行動は私自身に恥ずかしくないか。

いつもそんな風に思います。


それによって最悪、己の命が危うくなることがあるかもしれません。
そんなとき命が惜しくて魂を穢してしまっていいのか・・・

誤解があるといけないのであえて記しますが
私は決して「命」をないがしろにしていいと言っているのではありません。
この世では「命」が一番大切ですし「命あっての物種」です。
小さな虫の命のひとつも、できる限り尊重したいと常々心がけています。


それでもなお、自分自身にいつもこだまさせておきたい言葉。

たかが死ぬだけ、私(真我)が穢れるわけではないと。

諏訪大社 前社の波動

2016年06月27日 21時35分18秒 | 波動
突然に諏訪大社の四社詣りに誘われた。

本当に思いもしなかった突然の誘い。

即決断。

行ってまいりました。





上社前宮さんの第二の御柱とその横のケヤキの大木です。
何とも言えず癒されました。

ご覧くださっていらっしゃる方にも伝わるとよいのですが・・・・・



上社のパワーは素晴らしいです。
清らかでちょっと厳しくて
テンション高いです…って感じました。


脇を流れる小川が御手洗場になっているのですが
この川がまたいいです。

心が洗い清められる気がいたします。
流石、瀬織津姫様のいらっしゃるお社です。




運のいいことに今日は月次祭
もちろん知らずに行ったのですが
いつもは閉められている扉が開かれ
灯もともされていました。

何というラッキー!!
・・・と、喜びに満ちて前宮の御前に立たせて頂くと同時に
太鼓が打ち鳴らされ始め
手を合わせて感謝をささげていると
今度は笙が奏でられ始めました。
そして
拝み終わって振り向けば
すぐ後ろには
月次祭に詣でられる神官様と氏子の方々が正装で歩いていらっしゃるではありませんか。

びっくりして
思わず、脇によけ
そのあと四本の御柱を拝見し、さあ、帰ろうか、という瞬間
またまた、太鼓が打ち鳴らされ
結局、その太鼓に送られる形で車に乗り込むこととあいなりました。

これもまた月次祭の終わりのタイミングに合ってしまったにすぎないのですが
なんともまあ、有り難い偶然の重なりでした。

神様が祝福して下さったような気がしてとても嬉しかったです。






                                  前日
                                   上諏訪温泉に宿泊した際のお部屋からの夕日です。

 


                        

これらの写真からも
少しでも皆様にエネルギーが届けば幸せです。

お読みくださっている方々にも佳きことがあふれますように。