幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

今日も元気でありがとう

2016年05月30日 22時47分31秒 | ひとりごと
うさぎのみこちゃんが学校から帰ってきました。

「ねえ、ねえ、おばあちゃん。
 おばあちゃんはありがとうっていっぱい言える?」


「もちろんですよ・・・
 でも、みこちゃん、
 いったいどうしてそんなことを聞くのかい?」

「あのね、
 今日の宿題はね
 〝ありがとうをいっぱい探すこと″なの」

「おや、おや
 なんて素敵な宿題だこと」

「え~~~~
 そうかなぁ、
 そんなにたくさんのありがとうを言うのってたいへんだよ。

 だって
 何にありがとうって言えばいいの?」


「みこちゃんは、ありがとうがないのかい?

 おばあちゃんはいっぱいありすぎて、一日中だって言えちゃうかもね・・・・・

 そう、たとえば・・・

 今日もこうしてみこちゃんが無事に帰ってきてくれたことにありがとう。
 今日もこうしてみこちゃんとお話ができることにもありがとう。
 今日もちゃんとみこちゃんのお声が聞こえること
 今日もちゃんとみこちゃんのお顔が見えること・・・・・」



「やだぁ~~~~おばあちゃん!!
 そんなの全部あたりまえのことでしょう?!

 そんなことにいちいちありがとうなんてへんでしょう?」


「おや、そうかしら・・・・・
 
 もしかしたら
 みこちゃんが途中でおけがをして帰ってこれなくなったかもしれないでしょう?
 もしかしたら
 おばあちゃんが死んじゃって、
 みこちゃんとはもうお話しできなくなっちゃうかもしれないでしょう?

 おばあちゃんにはね
 目が見えることも、耳が聞こえることも
 息ができることも
 みんなみんな有り難いのよ。

 これまでずっと心臓さんが休まず働いてくれているけれど
 おばあちゃんの歳になるといつ止まっちゃうかもしれないからね。

 今日もこうして生きていられることが一番ありがとうなんだよ」



 

 みこちゃんは宿題をノートに書きはじめました。


「おばあちゃんが今日も元気でありがとう。
 みこが今日も元気でありがとう。
 パパさんが今日もげんきでありがとう。
 ママさんが今日も元気でありがとう。
 お兄ちゃんが今日も元気でありがとう。
 お友達のマミちゃんが今日も元気でありがとう
 金魚のノンノンが今日も元気で・・・」





・・・おやおや、みこちゃんは宿題でたいへんそうです。
だって書きたい人がいっぱいで
宿題はいつまでたってもおわりそうにありません。


でも、それだけたくさんの人がみこちゃんの周りにいるということですもの、
みこちゃんはしあわせですね。


もし、あなたにも
お元気であることを願ってあげたい人がひとりでもいらっしゃるならば
あなたは
その人と共に生きているということです。
誰かと共に生きられる
あなたのそのお幸せに、八坂弥栄 

今日の幸せ

2016年05月29日 20時48分46秒 | ひとりごと
お餅がやってきた!!

昨日、食べたかったお餅が
今夜、やってきた!!!

しかも
食べたかったことすら忘れていたのに
昨日食べたいと思ったお餅は
確かにやってきたのだ。



昨日、買い物から帰ってすぐに私は叫んだ。

「あ~~~あ、お餅を買ってくればよかったわ。
 なんだかお雑煮が食べたくなったもの」


夫も私も北陸出身
だから、我が家のお雑煮は合わせ味噌の味噌汁の中で煮込んだもの。
その、味噌汁のしみ込んだお餅が美味しいのだが
なぜか急にそれが食べたくなって、
よほどもう一度買い物に行こうかと思ったほどだった。


が、車が渋滞する時間だったこともあって面倒さが先に立ち、
我慢してしまったのだ。


そうしたら・・・・・・

わぁ~~~~い

今日の夕方
お隣さんからお餅が届いたもんね~~~。


「訪ねた先でお餅まきがあって、たくさん拾ってきたから・・・」

ですって。


やったぁ~~~~~
おめでとうございます!!
ありがとうございまーす!!!



こんな風に小さな夢(思い?)はちゃんと叶うんです。
執着しないで
何気なくなく言ってしまったことのほうが叶うんですねぇ~~~

これって良いことばかりとは限らなくて
マイナーなことも何気なく言ったり思ったりしたほうが叶っちゃいますので、
くわばら、くわばら、ですね。


あ、でもね。

こんな風にラッキーを呼ぶには
普段から
まずは自分がいろんなお福分けをしておくとよいんですよ。

例えば
ありがとうをたくさんいう。
例えば
美味しいものをおすそ分けする。

寄付をしたり
人知れずごみを拾ったり・・・   

これが宇宙貯金になって
いろんなタイミングで引き出され
さまざまなラッキーになるらしいです  


絶対しあわせ・・・の秘訣

2016年05月27日 17時07分56秒 | ひとりごと
私は幸せ
何があっても絶対幸せ


なぜなら、自分でそう決めたから。


物事の元々は良いも悪いもないという。
ただ、その事象が起きているだけで
それ自体に宇宙は「良し悪し」を決めてはいない、らしい。

「良い」と考えるか「悪い」と考えるか、
それはその人の判断次第。



だから、大きな罪を犯した人の「死刑」についてさえ
反対する人と賛成する人に分かれるのだろう。

反対する人にとっては
どんな理由があろうとも
人が人を処刑することはそれ自体が大きな罪となるし
賛成する人にとっては
「悪いこと」をした人を処刑するのは当然の「善」となりうるのだ。


昔から、
「正義」の名のもとに戦争が行われてきた。
今も、戦っている人たちは自分たちの「正義」を信じ、相手側を「悪」としているに違いない。


けれど、「勝てば官軍」
歴史の中では勝ち残ったほうが「正しい歴史」の作り手となってきたではないか。

負けたほうにも必ず理はあり、正義も存在していたのに、だ。




というように
物事の良し悪しは
それに関わった人の価値づけ次第となるのだ。



つまり、何かが起こってしまったとき
それを「しあわせ」ととらえるか「不幸」ととらえるかも自分次第ということなのだ。



私はこのことも今まで何度となく書いてきた。
書くたびに
自分の中への落とし込みが強くなる。


物事事態にはもともとの幸、不幸がなくて
それを価値づけるのが自分自身ならば
いつだって「幸せ」のほうを選択すればよいだけの事。
何があってもそのなかから「幸せ」の要素を探し出せばよいだけの事。

だったら
幸せになるなんてとても簡単なこと。

決めてしまえばよいだけではないか!!

そう、いつだって私は幸せ。
何があっても私は幸せ。


「何があっても私は幸せ」と決めさえすれば
私はいつだって幸せだということなのだ。  

                   

                         


そういえば、いつだったか夫が尋ねた。

「貴女は今、幸せですか?」

即座に私は答えた。

「もちろん!!
 私はいつだって幸せですよ」


「こんな僕と結婚したことも?」



・・・・・そ、
それはまた、別の話・・・?


今私は確かに幸せ。
なぜなら、「わたしはしあわせ」と決めているから、なにがあっても、いつだって幸せ。

でもねぇ、
それが、あなたと結婚したこと自体となると、
う~~~ん、
話はちょっと違ってくるかも・・・(-_-;)

なにがあっても、お蔭様

2016年05月24日 10時18分35秒 | ひとりごと
子供をニュープリマスの義父母のところに残し
一人帰国しなければならなかった娘


娘は今生で何をしようとしているのだろうか。



子供と離れ、夫と離れ、ひとり日本に帰ってきた。

おまけに今は
夫婦間の意思疎通さえもぎくしゃくし始めて
毎日身体と心の痛みにさいなまされ
もがき苦しんでいる。


傍で見ている私もつらい。

でも
してやれることなどたかが知れている。

だから余計につらくなる。
でも、こんな時こそ自分に言い聞かせたい。


大丈夫!!
何があっても大丈夫!!!
私たちにもお蔭様はついている。
必ず行くべき道へと導いてくださってる。
ありがとう、ありがとう、ありがとうございます。
    



今までも何度も書いてきたけれど
私たちは必ずその問題を乗り越えられるし
結局は本人が何かに気付き、何かを変化させ、成長し、前に進むしかないのだ。

乗り越えたその先には、きっとあらたな成長を得るのだから
思惑道理にならないことにめげてはならない。


もちろん、夢が叶うことを信じて動かなくてはならないし
あきらめてはいけない。
あきらめた段階で、夢は夢で終わってしまう。


少し前まで私は「夢は叶えるためにある」と思ってきたが今は違う。

夢はかなうもの

なのだ。


信じてあきらめない。
あきらめずに続ける。

叶うまで続ければきっといつか実現するものなのだ。

ただ、そこに辿り着くまでに必要な数々の「乗り越えること」や「気付くこと」が
たくさんやってきて
時には障害となり、私たちをぺしゃんこにしてしまうけれど。

でも、
そんな時こそ、あきらめてはいけないし
信じることが大切なのだ。


信じる!!
なにを?!

信じる!!
だれを?!

信じる!!!
そう信じる。

私が思うことはできうることだから思うのだと自分を信じる。
そして
自分を信じるということは
自分を生かしていてくださるこの大いなる宇宙の「何か」を信じるということ。
「サムシンググレート」だったり「神様」だったり・・・・・・

で、まずは
その「サムシンググレート」や「神様」の意思に沿って
いつも私たちを見守り、導いてくださっている自分の「お蔭様」を信じよう。


しつこいようだけれど
私たちにはみんなそれぞれにお蔭様がついていてくださる。
そのお蔭様が、必ず、本当の自分のための成長を促してくださっている。

だから、
何があっても大丈夫!

大丈夫!
大丈夫!!
大丈夫!!! 

私たちにはお蔭様がついている


           





・・・娘の苦悩を見ながら
今、つくづくそのことをかみしめている。


母親である私が
彼女の「お蔭様」を信じ切ることができるかどうか。

彼女は今生でクリヤーしようと決めたことに向かって、いま、坂を上っているのだと
そして、彼女なら必ずそれをやり遂げるだろうと信じて見守っていればよいのだ。


何があっても動じない。
必要だからすべては起きる。

信じて、前へ進む。
信じて、信じて、お蔭様。

オークランドでお蔭さま その12

2016年05月15日 22時17分11秒 | ひとりごと
病室の窓から大きな二重の虹を見てから数日後
娘はどうにか退院することができた。
車椅子とタクシーを使って
どうにか私の滞在するアパートメントホテルまでたどり着いた。

その後しばらくは終日ホテルで寝て過ごし
少し歩けるようになったころ
色々悩んだ末に
彼女は単身日本で療養することを選んだ。



子供を義両親に預けたまま日本に帰ることは
母親である彼女にとっては苦しい選択だった。

けれど、5kg以上のものを3か月は持たないほうがいいと言われた彼女にとって
7kgを超えた子供たち二人を飛行機で連れて帰ることはもちろん
日本で世話をすることも難しい。

もちろんこちらサイドの肉親が手を貸すことはできるが
それでも生まれてからずっと世話をしてくれている義両親のほうが
子供たち自身への負担が少ないことはあきらかだからだ。


・・・というのは、彼女の立場からの思いであり、
実は「鬱病」と診断されてしまった彼女に
大切な子供たちを渡すことはできない、というあちらサイドの考えが強かったのだけれど。




ニュープリマスに戻れば彼女は鬱病患者としての扱いを受け
薬を服用する治療が強要される。

しかもまた、義両親と住まなければならなくなる。

それは
心身の回復にマイナスになることは火を見るより明らかだった。
もしかしたら、回復するどころか、また別の症状を発症する恐れさえあるではないか。

日本に帰れば、西洋医学以外にも代替え治療はたくさんあるし、
第一、本当に鬱病なのかどうかさえ疑わしいのだから
もう一度きちんと診察してもらわなければならない。


とにかく今は心身の回復が第一であり、
それが子供たちのためでもあるのだからと、
泣きじゃくる彼女を言い含め
鬱が治ったら、子供たちを日本に連れてきてもらう、という約束のもとに
私は娘だけを連れて帰国した。


空港内は車椅子で移動し
機内はずっと横になり、
待ち時間には救護室で休ませてもらいながら、
どうにか20時間余りをやり過ごして我が家にたどり着いた。

この間
どれほどたくさんの方々のお力と親切に助けていただいたことだろう。
ホテルのスタッフ、タクシーの運転手さん
機内はもちろん、空港の地上アテンダントの方々

不自由ということは
こんなにも他人様の親切と助けが身に染みるのだということを
いやというほど実感した。

そして、今後、自分がどんな人でありたいかをはっきりと教えてもらった。

実に、貴重で得難い体験だったと感謝以外の何物でもない。







3月22日の早朝、娘の緊急事態の一報を受けてから一か月余り。

ニュージーランド最大都市オークランドで
私は独り、アパートメントホテルを転々としながら
娘の病院に通い付き添った。
心身ともに衰弱しきっている娘を抱え
言葉もわからない異国の地で
どれもこれもが、初めてのこと、大変なことばかりだった。

よく泣いたし、嘆いたし
困ったし、落ち込んだ。


けれど、それら全てにおいて
私はたくさんのことを実体験し「味わって、知る」ことができた。



行き詰った時には必ず誰かが助けてくれた。

あきらめずに求め続ければ
最後には絶対に必要なものが与えられることを確信できた。


他人様の小さな親切が本当に有り難かった。

どんなことが人を助け、癒すのかも教えてもらった。


他人様の優しさ、親切さをしみじみと味わい
今後、どんな時に自分はどうすべきかをしっかりとインプットできた。


どんなに困難な最中でさえも
それらのことに意識を向けさえすれば
すぐにも
ものすごく有り難い気持ちになり、
幸せになれる。
自分の明日に希望を持つことができる。
絶対になんとかなる!!
と、安心できる事を知った。



私たちはいつだって導かれている。
私たちは必ず自分に訪れることをクリアーできる。
そして
その先にあるのは
逞しく、深く、大きく成長した自分自身なのだ。




このことを意識して事に当たるのと、そうでないのとでは
きっと苦しさがずいぶん違ってくるのだろう。


「信じる者は救われる」

この言葉はまさにそういうことだったのだ。


私たちにはいつだってお蔭様がついていてくださる。
だから大丈夫!!必ず何とかなる!!!

…こう信じられれば
本当になんとかなる。
大いなる力が働いて事態は動いてくれる。




大変だったけど、有り難かった。
苦しかったけれどたくさん勉強できた。
泣いたり、怒ったり、戸惑ったり、落ち込んだり
でも、
嬉しくて
有り難くて
面白くて
幸せな
本当に
ほんとうに貴重な素晴らしい体験だったと思う。




今回、私に出会ってくださった沢山の人たち、ありがとうございます。
苦しい中で私を支えてくれた何人かの人たち、本当にありがとうございます。
お蔭様です。
幸せです。

ありがとうございます。
ありがとうございました。






オークランドを飛び発つ朝
前夜の雨に洗われて
山も木々もグランドも
みんな鮮やかに美しかった。

そして
もうすぐ成田、という機内から見えた太陽は
あたり一面を黄金色に輝かせていた。

それはまるで神様が下さったおめでとうのサインのように思われた。