幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

ノラ猫を選ぶ?

2013年04月18日 12時31分31秒 | ひとりごと
 住み替えることになって
一番頭を悩ませているのは猫の「ゆう」のこと。

 彼は一昨年くらいから我が家に入りびたるようになり
ついに、今年の冬は
数日間だけだったが
わたしの腕枕で夜を過ごした。

ま、ほとんどはベットの上の足元に敷いてあげた
彼専用の毛布の上だったけれど…


真夜中に目が覚めて眺めるペットの安心した寝顔ほど癒されるものはない。

心底、かわいかった。




 でも、それ故に私は困っていた。

これ以上可愛くなってしまうと
本当に我が家の一員にしたくなってしまう。

それよりも何よりも
もし、彼が私を信頼し、慕っているのなら
その気持ちを裏切るわけにはいかない。




 だが、私が越す先はマンション。
今のように戸建ではないし、庭もない。



 
 この冬、彼はほとんど我が家の中にいてぬくぬくしていたが
それでも、気ままに、自由に長時間外へと出かけて行った。


 そんな
外と自由が大好きな子を
マンション猫にしてしまってよいものだろうか。


かといって、これ以上
私になつき、依存するのであれば
絶対に放置するわけにはいかない。





 私は毎晩彼に尋ねた。

「ねえ、ここで、気ままに地域猫として生きるのと
 わたしと一緒にマンション猫としてお引越しするのと
 どっちがいい?」

「ここにいれば、自由はあるし、お隣のおばさまは猫が好きだから
 あなたを地域猫として面倒は見てくださるわよ。

 でも、夏は蚊に悩まされ、冬は寒さに耐えなきゃならないでしょうねぇ」


「マンション猫になったら
 半分は御留守番よ。
 もちろん
 ちゃんと、鎖をつけて、毎日お散歩はしてあげるけれどね…・

 ねえ、どっちがいい?

 お引っ越しまでに自分で決めてね」





 おとなしくて、悪さをしなくて
ちゃんと去勢されていて
でも、臆病で・・・・・・

きっと、一人でも生きていける。

でも、さびしいだろうなぁ。



 いつものように
私は神様にお願いした。


どうぞ「ゆう」にとって、より幸せな方へとお導き下さいませ。








 ここまでは以前にも書いた気がする。


で、ついこの間、ちょっとした事件があって
それ以来、彼はお家の中でまったりしなくなってしまった。



家の中に私しかおらず、その私が、座って仕事していたり
本を読んだりしているときは
彼も、以前同様、腹を見せて高いびきなのだが
私が動き出したり
夫がいたりすると
ビクビクして落ち着かず
そのうち「出ていく」と言い出す。

そして、二階の私の寝室へ来るのを嫌がるようになり
夜もリビングで一人過ごすようになってしまったのだ。


 昨夜は強引に寝室へ連れて行ったら
パニック状態になり、外へ出て行ったまま帰らなかった。


もちろん、
朝になれば、ちゃんと開き待ちしていたし
しっかり朝ごはんもお家の中で食べた。


でもまた、すぐに出て行ってしまった。


 

 春だから、恋の季節だから、お家の中にいられない?!

いやいや、この間のあのちょっとした「びっくり!!」が
彼を野良猫に戻してしまったような気がする。

やっぱり、一番おおもとに子猫の時期を野良で過ごした経験があるから
そう簡単に人を信じ切れないのだろうな・・・・・可哀そう。



ようやく慣れたとはいうものの
やはり、ノラ猫を家族猫にするには
まだまだ期が熟していないということか。



 
 売り出し中の我が家のうたい文句には

「もれなく地域猫一匹ついてきます」

となっていて、
今、脈のある買い手の方は
とりあえず動物好き。



彼がこのままここに住めて
今と同じようにちゃんと餌がもらえて
時々お家に入るのを許されるのであれば
マンション猫として
外へも出られず
飼い主を待つだけの生活よりは
ずっと猫らしく生きられるのだろうな。


 これで答えは出たようなものだわ・・・・・

と思いながらも
一抹の寂しさが残る。




 愛犬が逝ってから4年

庭をスルーする猫たちに癒され
「ゆう」の寝姿に癒され
私はすでに猫中毒になり始めている。







 ああ、ゆうちゃん、
あなたは地域猫の道を選ぶの??????

許す

2013年04月06日 21時57分30秒 | ひとりごと
人は誰かを(何かを)「許す」とき、一番美しく輝く


 少し前に何かの本で目にした言葉




 私は思春期以降
ずっと父を恨んできた。

父に傷つけられた思いは大人になってもずっと尾を引き
そのことに気付いてさえいない彼を憎み
いつまでも一向に変わらない彼を蔑みさえした。



 育ててもらったことへの感謝を差し引いても
それらの思いははるかに重く
ずっと彼が嫌いだった。




 が、父が父であることは変えようもない事実で
ゆえに、父を蔑んだり、憎んだりすることは
私の中に流れる「血」にそうすることであり
それは私自身を傷つける事でもあった。


 だから私はずっと自分が嫌いだったし
人も自分を認めることはないんだと思ってきた。
そんな私が子供を持つなどとはとんでもないことでもあった。

全て、父のせいだと思ってきた。




 けれど、昨日読み直した本「後悔しない生き方」に書かれていた。


人はみな、自分が直面している状況に対する反応を変える力を持っている
 ということに気づかねばならない。

 その原因の外的な要素ではなく内的な要素を探そう。他の人を責めたり
 勝手な言い訳をしたり、無力な人物を演じたりしてはいけない。


 自分を被害者とみなすのではなく、適切な解決策を探すのだ″



 


 ・・・私は
大人になっても
大人になり切っていなかったのかもしれない。

いわゆる「アダルト チルドレン」


でも、そこからさえも
自分の意志で脱出できるのだろう。



 考えてみれば、父自身が「アダルト チルドレン」だったような気もする。

認知症が進んで
家族に下の世話までしてもらわなければならなくなった父は
もう、「おとな」ではなくなっている。

周りのことを思いやる余裕などどこにもなく
ただ、自分の痛みと、不安にさいなまされ
食べることだけに執着を持って生きている。



 そんな父を世話しながら
私はだんだんと父を恨んだり、憎んだりする気持ちをなくしてきた。

むしろ、日がな一日、痛みに耐えなければならない彼を気の毒に思うようになっている。


意識的には父を許せないでいた私が
気づけば
父に同情し、父の下の世話までしているのだ。

そうして
いつのまにか
「許す」ことをしようとしている。




 もしかしたら私の今生の目的は「許し、愛する」ということ?

父は私のためにずっと「汚れ役」を担ってきた?

・・・もちろん本人もそんなことを意識的にしたわけではなく
あくまでも「ソウル」の段階での話だけれど。


おかげで、
父に傷つけられ、恨み、憎み
そして「許す」という
最も大変で、最も美しい行為を
一生を通して体験させてもらってきたのかもしれない。


もし彼が、コロリと逝ってしまっていたなら
きっと私は彼を許せないままにいるだろう。
そして
ずっとその重荷を背負って生きなければならなかっただろう。





〝誰かを許さないままであったことを、死ぬ瞬間にあなたは後悔しないだろうか″



何かで読んだこの言葉も
私の中でいつもリンクしている。




 
 
  

何やら哀し  だからこそ

2013年04月05日 17時09分32秒 | ひとりごと
両親、友だち、みんなどんどん老いていきます。
だからこそ、できるだけ
今、できるだけ
優しくしたいと思うのです。




 誰の言葉だったか
いつ頃読んだのか
思い出すことはできないけれど
この言葉はいつも私の中に響いている。


 この言葉を拾った頃も

「ほんとうにそうだ」

 と、思ったけれど
50も半ばを超えて
近頃とみに実感として迫ってくるものがある。


気持ちの中では
両親も友人たちも
皆、ある一定の年齢を保ち続けているような気がする。

出会ったその年齢で記憶され
年を経ているのはわかっていても
まだまだまだ…と思うそんな部分がある。



 が、みな
確実に老いているのだ。


そして
やがて
必ず
止まってしまう。




それが
予期せずに
突然だったりもする。



だからこそ
今日が大事なのだ。

今日を偽り
自分の真実を先延ばしにしていると
結局、後悔することになる。




〝愛する人たちともっと一緒に過ごせばよかった″

〝働き過ぎずに、もっと休暇を取って人生を楽しめばよかった″

〝自分の本当の気持ちに従って生きてみたかった″

〝あんなことを言わなければよかった″


 

死ぬ瞬間に後悔しても遅い。


まずは今日
仕事から帰ってくる夫に
心から
「お帰りなさい」
と言おう。

明後日から行く実家での父の介護に
心を込めて取り組もう。


外国で一人暮らす娘に
「愛してる」
とメールに書こう。







あなたは・・・

あなたは ・・・どうだろうか。



何やら哀し

2013年04月05日 16時46分54秒 | ひとりごと
 待ち焦がれ
      桜咲けば
        何やら哀し


   雛祭りが終われば
   家じゅうの絵や食器などを
   桜の物にする。

   そうして、繁く
   膨らみ始めたつぼみに目をやり
   今か今かと
   その開花を待つ。

   初花を見つけたときには
   心が躍り
   ああ、今年も桜の季節だ、と嬉しくなる。

   なのに
   五分咲きになり
   八分咲きになるころには
   なんだか
   淋しくなってくるのだ。


   もうすぐ桜の季節が終わってしまう・・・


   そう思うからだろうか。



   潔いよいからこそいいのだと
   桜を評する人もいるけれど
   待ちに待って
   ワクワクして
   そのわりに
   桜の季節は短い。
   短すぎる。

   あっという間に満開になり
   あっというまに散っていく。


   物事には必ず終わりがある。

   わかっているけれど
   わかってはいるけれど・・・・・


   そういえば
   昨日4月4日はわが愛犬の命日


   それこそ
   まだ温かい彼女の遺骨を抱いて
   彼女が好きだった公園で花見をした。

   4年前の桜吹雪の中
   彼女は逝ったのだ。


   

   この三月
   春まだ訪れぬ信州で
   娘の愛馬も旅発った。




   娘にとって
   三月、四月と思い出すべき命日が続く。




   外国で一人暮らしをしている彼女から今日来たメール

   「人生の前半は誕生日を覚えることが多いのに
     やがて、覚えるべき命日が増えていくのですね。

    またひとつ 実感として学びました」




   幼かった娘も
   もう確実に大人になっている。


   

   順番道理であるならば
   そのうち
   彼女は
   私の命日を知ることになるのだ。
 

揚げ春巻きの皮のご飯

2013年04月04日 21時29分37秒 | お料理
 生協のチラシに載っていたメニューを参考に
ひらめきで、まかない食的お昼ご飯を作った。

(材料)
  残り物の春巻きの皮2枚(チラシでは餃子の皮となっていた)
  シーチキン 1缶
  小松菜一株      (チラシでは使っていなかった)
  からし菜 適宜    (チラシでは貝割れ菜になっていた)
  醤油 少々


(作り方)

 ① 春巻きの皮を適当に細かくちぎって油で揚げる(パリパリになるように)

 ②温かいご飯の上に①をのせてさらにその上に刻んだ小松菜、からし菜、シーチキンをのせる

 ③お醤油を少々掛け回し、ご飯に混ぜながらいただく



 おいしかったけれど、太りそうなメニューだと思った。
生協のチラシではおつまみとなっていて、ご飯は使ってはいないが
それにしても、脂っこいし、カロリー高そう・・・

ま、普通の春巻きを作っても同じことなのかもしれないけれど。

 スープは干し野菜で作るインスタント
刻み干しシイタケ、鰹節、切り干し大根、切り干し人参などをカップに入れ
アツアツのお湯を注いだだけ。

超簡単!!
でも
これが干し野菜からうまみが出て結構おいしいのだ。

好みで、塩昆布や梅干しを入れてもいける。

ぜひ、お試しあれ。



 そういえば、この残り物の春巻きの元のメニューは
「ひじきと菜の花の焼き春巻き」だった。

ひじきの煮ものに菜の花をたっぷり混ぜ込んで春巻きの皮で包み
それを少々の油をひいたフライパンでこんがり焼いたのだ。
からし入りのソースをつけていただいたのだが、とてもおいしかった。
これもぜひ、おためしあれ!!

ひじきの煮物の残り物の再利用にもなるよ。

今日のお昼のメニューよりはずっとヘルシー。