幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

良く食せば良き人生となる

2021年01月22日 15時14分01秒 | ひとりごと
外食をすると、たいてい翌日不調になったり、
ひどい時には帰り道で口内炎が出来たりする。

別にアレルギー体質ではないし、過敏症でもない。

ただ、食生活に置いて
基本調味料は添加物のないものにし、
お野菜もなるべく自然栽培のものにしているだけ。
そして、お料理にお砂糖は使わない。

それを続けているうちに
変なものに反応するようになった、らしい。

きちんとした調味料や自然栽培の野菜は少し高いけれど、
気付けば病院とは無縁になったし、市販薬も飲んだためしがない。

身体がだるいとか膝が痛いとかもないので、
栄養ドリンク、サプリメント類もいっさい摂っていない。

おまけに、
「コンビニ、外食はお金を出して毒を食らう」と認識しているのでほとんどが自炊。


結果、身体は健やかになり食費も少なくなっている。

さらには一日の摂取量が少なくて済むようになり、
他人様から見ればとても少ない。

それでも、時には胃腸に負担をかけ過ぎて、ぎっくり腰になったりすることもある。
血液の汚れ、ドロドロの塊が骨や神経をゆがめたり圧迫したりするかららしい。

そんなときは絶食をし、梅醤油番茶だけを飲んで寝ていれば二、三日で何とかなる。
が、まだまだ食べる量は減らした方がよいようだ。




 三好基晴の「信じてはいけないのだ 病気の迷信」の記載。

今更こんなことを知るなんて、私はなんて無知だったのだろうと思う。

「食」とは「人を良くする」もの。
「人は土で生きる」&「土に支えられて生きる」

ああ、そうか。
そういうことなんだと目から鱗が落ちる思いだった。

食べることをおろそかに考えてはいけない。
人は食べて生きていく。
食べることは生きること。
良く食べれば良く生きられる

そして、土によってそれは支えられるべきもの。
工場でもなく、ケミカルにでもないのだ。

宮沢賢治の詩を思い出す。

「一日二玄米四合ト
 味噌トスコシノ野菜ヲタベ」


それが人として良く生きるときの質と適量ということだったのだ。

だのに、現代人のおおよそが過食飽食。

おまけに「良い」食べ物を手に入れるのは非常に困難な現状。

市販の食べ物はほとんどが工業製品。
お野菜さえ工場で作られるようになってしまった。
太陽にあたることもなく
ケミカルで育てられ、
怖いほど悪質なケミカルが混入されている。

「無添加」と書かれているものだって
記載義務のあるものは入っていない、に過ぎないのだからまさにだましではないか。


高坂勝の「次の時代を先に生きる」にはこんなくだりがある。

〝当店には食品流通や飲食関係の人や

 給食や病院食や介護職の調理をする人がたくさん来る。

 皆、口をそろえて言う。

 あまりに酷いものを使って、酷い調理方法で、もう耐えられないと。

 もう続けることを自分が許せない、と。

 現場が酷いことは現場が一番知っている。"


食は人を良く育てるはずのもの。
食の内容で健康はもちろん性格まで変わり、すなわち人生も変わるのだ。

良く食してこそ良い人生となる。


 

ワクワクしなくてもいい⁈ 願いは必ずかないます

2021年01月22日 09時16分27秒 | 波動
 阿蘇の根子岳を望む



毎日を楽しく、ワクワクして生きること、それが五次元への切符・・・みたいなことを
言われ始めてどれくらいたつのだろう。


「なににワクワクするのかわからないんです」
「ワクワクすることがないんです」

そんな言葉をつぶやく人もいるし、

「夢って特別ないんです」
「どうしたらやりたいことが見つかるんですか?」

と、質問されたりします。


そんな人たちに贈りたい文章を見つけました。
私自身もかなり肩の力が抜けたのでご紹介しようと思います。


「とにかく願いはゼッタイかなう! それが宇宙の掟だから」 服部エリー 著

〝 だって、私はわかっているんです。
  願いがかなうのは、

  電車に乗ればもくてきの駅に着くのと同じくらい当たり前のことだと。

  いつもと同じ電車に乗って出かけるときに、「無事につくかな」と不安になったり、

  「駅に着くのが待ち遠しくて、ワクワクが止まらない」

  などと思ったりはしませんよね。

  何の疑いもなく、ただ電車に乗っているだけです。

  願いをかなえる過程では、ごく当たり前のことが、当たり前に起こるだけ。

  だから、ただ普通に、毎瞬毎瞬心のままに生きる。

  願いがかなう毎日は、これがベストの状態です。

  もちろん、やりたいことがあってウズウズするのなら、どんどんやってくださいね。

  自分が心からやりたいことは、どんなに抑えてもやりたくて「ウズウズ」するものです。

  だから、「ワクワク」よりも「ウズウズ」。

  ワクワクする気持ちをむりやり絞り出さなくても、

  ウズウズしてくる気持ちをただ待っていれば、必ず「そのとき」がやってきます。”




ま、ディズニーランドの駅に着くときとか、
旅行の目的地の駅に着くときにはワクワクしたりもしますけれどね。
でも、
普段は、目的地(願いが叶うこと)に着くことにワクワクしたり、疑ったりはしませんものね。


「かならずその時はやってきます」

そう信じてみると、なんだかほっとしませんか?

そうです!!
願いは必ずかなうのです。

 阿蘇にて
  

鍋ケ滝

2021年01月21日 11時28分08秒 | 空からのささやき
熊本県の小国町、黒川温泉からそう遠くない場所に
鍋ケ滝があります。

 観光パンフレットより


瀑布の裏にも入れる珍しい滝で別名「裏見の滝」。  



天井から氷柱が。
足元の石も凍ってつるつるしていました。

     

               観光パンフレットより



サントリーの宣伝にも使われたというこの滝は
確かに美しく、心地よく、いつまででも離れがたかったです。



お水の神様がにっこり笑って出迎えて下さり、
そして、不要なものを洗い浄めてくださるような、そんな感じの滝でした。



光のカーテン、たくさんのミスト、

訪れる価値は充分すぎるほどあると思います。



阿蘇の押戸岩

2021年01月21日 10時20分40秒 | 波動
阿蘇の南小国腸町に「押戸岩」なる物がある。

 南小国町の観光パンフレットより

映画「進撃の巨人」のロケ地にもなったというパワースポットだとか。
標高845mの小高い丘の上、
とはいっても阿蘇五山をはじめ、くじゅう連山など、360度広大な景色が望める素晴らしいところ。





ここに「押戸岩」と呼ばれる巨石があり、
周囲には古代文字・ペトログラフが刻まれた岩が配列されている。






「押戸岩」は高さ5・5m、周囲15・3m。
方位磁石をかざすと針がグルグル回る地場ゼロを創り出す。

実に大きい!!  


シュメール文字が刻まれた「鏡石」というのもある。 

先史時代の巨石文化遺跡と認められているそうだ。

火と水と太陽に深くかかわるとのこと。 


難しいことは何一つわからないけれど、
そもそも、この丘に近づくに連れてどんどん気持ちよくなるのは確かだ。

ああ、日本にもこんな広大な場所があったのだと感動する。
ニュージーランドのテカポの天文台のある丘の上での感動とよく似ている。

地球を感じる。
地球の鼓動を感じる。
地球の大きさを感じる。
生きていることのすばらしさを感じる。

高い山の頂からの見晴らしでの感動とはまた違った種類のもののように思う。


熊本の地震で大打撃を受けた阿蘇神社の神殿や拝殿も6月には修復完成するそうだ。
コロナによる規制が解除されたなら、ぜひ、訪れてみてはいかがだろうか。

火の神、水の神、の阿蘇神社で不要なものを祓い、平和安康を祈願し、
大いなるエネルギーと繋がるのもすてきだと思うのだが。






本当の豊かさとしあわせは「決めつけないこと、許すこと」から

2021年01月15日 17時07分39秒 | ひとりごと
松の内も済んで
今日は女正月!!
・・・なあんて、昔の話。

今は女だって最初からお正月が出来ちゃうんですもの。
女正月なんてわざわざ必要ありませんね。   

でも、タイミングよく「女子会?????」のおさそい。
「昔女子の会⁈」なんて夫に冷やかされながら、です。  


 
厚揚げをベースにして焼いたカナッペ❓風のおつまみ、おいしいです。
厚揚げを小さく切って、明太子やら、ベーコンやらを乗せて焼きます。
昆布の佃煮とブルーチーズの組み合わせが一番好きでした 


みんなで大笑いしながら、おいしく飲んで食べて、幸せ気分でベットに入り
眠る前にちょっと読書タイム。

今夜は心屋仁之助の「それもすべて神様のはからい」
を読み直してみようかな、と思ってぱっと開いたところにこんな言葉。


〝僕の感覚の中で「本当の豊かさ」とは、例えば旅行に出かけるとき

 高級ホテルに泊まってもいいし、

 安いドミトリーに泊まってもいいし、

 野宿だってしてもいい、

 というこだわりのない自由さです。″
  P.140




・・・でも、高級ホテルに泊まってもいいし、と思えるのは
それだけ自由になるお金があってこそのことでしょう?!

そういえば
誰かが書いていた。

〝 お金があれば幸せになれるというものでは決してないけれど、
  お金があるということは選択肢が増え、それが自由さを増す。"


そうだよね、と思う。
高級ホテルに泊まれる人が、野宿したっていい、って言うのは大らかだけれど、
絶対泊まれないような人がそう言ってもやせ我慢にしか聞こえないでしょう。


そこでこれです。

心屋氏は少し前のページでこうも言っているのです。

〝 「自分はそのお金をもらうのにふさわしい人間だ」と思ってさえいれば

  不思議なことに自分の使える金額、収入は上がっていきます。"

〝 「役に立っている,立っていない」は関係なく、

  「何もしなくても、自分はお金(豊かさや愛情)を受け取っていい人間なんだ」

  と許可しているかどうかの問題です。

   自分の収入は、自分で決めてよいのです。" 

〝 「自分は、お金をたくさんもらっていい人間なんだ」

  と、自分に許可を出すこと。これが収入を上げる一番の近道です。"
  P.138



そっか、まずそのザブンとお金が入ってくる「許可」をして、高級ホテルにだって泊まれるようになって、
そのうえで、どっちでもいい、という自由さで生きるのがいいな。


〝 お金があってもいいし、なくてもいい。

  ひどい目にあってもいいいし、大事にされてもいい。
 
  たくさんの友だちといてもいいし、一人でもいい。

  そうやって全てを許して、「いい」の範囲がどんどん広くなることが

  自由さや豊かさをもたらすのかなという感じがします。"
  P.140

う~~~ん、ちょっとレベル高いなあ。




ま、つまり、

「~~~じゃなきゃだめだ」

「~~~は不幸なことだ}

・・・そういう決めつけこそが「しあわせ」を遠ざけるということ、だね。

すべては「神計らい」
大変なことが起きても
これは神様の大いなる導きの「布石」の一つに違いない、
って信じて、安心して、
どっちでもいいよ~~~~って、こだわらずに生きれば
人生、なんでも面白くなるし、幸せになっちゃうのでしょうね。