幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

ほら、また、ね。

2015年04月20日 13時56分15秒 | 波動
 今日はある予定があった。
でもそれは、あまり気乗りのしない予定。
ちょっと無理して作った感が免れない。


 なんとなく気が進まないなぁ~~~~
でもまあ、どれもこなすべき予定ではあるけれど・・・・・


なんて、朝からちょっと憂鬱。




 おまけに天気予報も最悪。

いつもなら

「大丈夫!!
 私は濡れないもん!!」

 と、勝手に決め込んでしまうのに
今日はそんな気になれず

「いやだなぁ~~~~
 そんなお天気の中でかけたくないなぁ~~~~~」
 

 でも、約束を反故にするのが忍びないし・・・
どうしよう・・・・



 



 と!!
普段は聞かないラジオのニュースが耳に飛び込む!!


えっ?!
えっ?!
えっ?!



 使う予定の電車で事故発生!!
只今、運転見合わせ中・・・・・・・
だって。


 あら~~~~~
いつもなら、耳に入らないことなのに・・・

神様はまた、ちゃんと、どちらにしていいかを教えて下さった?!


 


 この時点で電車が動いていなければ、
一番目の用事に遅れる。

一番目に遅れれば
当然二番目に支障が出る。








 が、ちゃんと神さまは
行けない理由を作って下さった。




 これで、私の優柔不断な気持ちが動き出す。


「これって、行かなくていい、いや、行けないよね?!」

 などと、勝手に解釈して
予定変更を決断。



 お詫びに
一緒にランチをとるはずだった二人には
それを私が御馳走することにした。
せめてもの、ごめんなさい、と
予約の取り消しはしたくなかったから。


 


 ま、いまだに、
うしろめたさが残らないでもないが
「行きたくない」
という
自分の正直な気持ちを優先して生きることも良しとしよう。

夢叶リスト

2015年04月19日 16時26分34秒 | ひとりごと
 夢は叶う、と私は信じている。
というか、すでにいくつもの夢が叶ってきている。

いいことも、悪いことも含めて
「こうなるといいな」とか、「こうなったらどうしよう」と不安に思ったことまで
みんな叶ったような気がする。


 たとえば
初めて逢ったとき
「あの人とだけは結婚したくないわ」
 と思った彼と夫婦になってしまっている。


「孫はブロンズくりくりヘアーの子が可愛いかも・・・」
 何て話していたら、娘はそんな人とペアーになってしまった。



 35年前に
「こういうところに住めたらいいわね」
 と言ったところに今、住んでいるし
自分がイメージできた程度のお部屋にくつろいでいる。


 

 ついでに言うなら
「B型の男性は浮気をする」
 なんていう、何かの本の占いのコーナーを信じ込んでしまった私は
「夫はいつか浮気をするかもしれない、B型だから」
 という不安をいつも抱いていて
結果
結婚三年目でそれを招いてしまった。

全くバカみたいだ。

でも、これも願いが叶ったことになる。


 

 本当に
数え上げればきりがない。
思ったことって必ず実現するのだ。

ただ、その思い方にコツはあるけれど。





 だから私は
今は絶対にいいことしか考えない。

こうなるといいな、ということだけを口にする。

時々襲ってくる小さな不安には

「いやいや、お陰様がちゃんと善きに計らってくださるのだから
 私ごときが心配する必要はないわ」

と、自分に言い聞かせる。



 



 さあ、、今日も「夢叶リスト」を書こう。

欲しいもの、したいこと
何でもいいから、今の欲望を書きまくる。

欲張りや欲深は嫌だけれど
願望がないのも淋しい。

次から次へと望みを持って
次から次はと叶えちゃえ!!


① 八ケ岳の見える静かで美しい場所に私が満足できる家を持つ

② お料理の上手なネエヤさんと、頭の切れる心優しい、運転上手なイケメン秘書を持つ

③ 猫、犬、山羊、鶏さんと暮らす

④ 絵描き、執筆、講演を生業として充分豊かに暮らす

⑤ 豊かとは金銭面、健康面、人間関係、時間の余裕、仕事の在り方などなど
  生きる上でのすべてのことを含む

⑥ 私の仕事は他の誰かの役に立ち、この国を、この地球を、そして宇宙を
  美しいエネルギーにするお手伝いとなる

⑦ 年に数か月は海外で過ごす
  候補地は南フランス、スイス、カナダ、ニュージーランド
  アメリカの田舎の自然の美しい場所

⑧ 人に思いやりの言葉ばかりを放てる人になる

⑨ 素敵なおばあちゃまね、と言われる高齢者になる

⑩ 上品な英語が話せる人になる





 ・・・何だかもう煮詰まってきた。
私の願いってこれだけしかないのかしら。

もっと細かい欲求も書いてみよう。



⑪ 7ミリ玉以上の五連の真珠のネックレスが手に入る

⑫ 自然素材の私にぴったりの白いサンドレスが手に入る

⑬ 夏に美しい景色の高原に10日以上滞在する(温泉付きが好ましい)

⑭ 秋には東北のブナ林を堪能する

⑮ 母をあの高級温泉旅館に2連泊させる

⑯ 外国に行くときはもちろんファーストクラス

⑰ 国内移動はグリーン車

⑱ 年間300万円以上を寄付する

⑲ コレクティブハウスを神戸、もしくは芦屋につくる。
  海が見えて、自然がいっぱいで、温泉がついていて
  とっても快適なコレクティブハウスで
  気の合った仲間たちが生涯楽しく暮らす
  ・・・富士山の見えるところにも温泉付きハウスをもちたいな。

⑳ 胃腸が丈夫になって、毎日晩酌をしても大丈夫な身体になる。



 

 う~~~~ん、どうしよう、もう書けなくなってきてしまった。

 私って、結局、美しいところ、美しく優雅な環境に身を置きたい、
ってことなのかしら。

物よりも、その「過ごす時間」の在り方が大切みたい。

だから、グリーン車だし、ファーストクラスだし、
コレクティブハウスなんでしょうね。

しかも、それなりに美しく整えられた空間のハウスたち


 

 それにしても
これが全部叶ったら何て素晴らしいんでしょう!!
そのとき私はいったい何歳になっているんざんしょ!!


 


 まあ、いいか・・・・・

イマ、書いている間、すごく楽しかったことは確かだもの。

なるかならないか、できるかできないか、なんて考えたりせずに
したいこと、欲しいもの、
何でも書いたり言ったりしちゃえばいいのよ。

すごく楽しい気分になれるもの。


 

 自分の未来に自分で制限を与えることをやめて
どんどん思いを広げていくと
めちゃくちゃ希望に満ちてきます。

 そして、やがて、
その感覚が現実を引っ張ってくる力となるんです。



 いやいや、実際に、そうなってもならなくてもいいじゃないですか。

朝連のヒロインじゃないけれど
想像の翼を広げて飛ぶのは自由です。

でも、それをした人には同じ現実が現れる、・・・かもね、です。


 



 あなたもぜひ
夢叶リストを書いてみてください。
そうして、想像の翼をどんどん広げてみてください。

もしかしたら、もしかして、やがて、素敵な現実がやってくるかもしれませんよ。



 ただし、くれぐれも

「~しますように」
「~したい」
「~しませんように」

 などとは書かないでくださいね。

それでは夢をいつまでもかなわぬ方向へと導いてしまいますからね。





 おおっと、忘れていた!!
  
 最期は娘の家族に見守られ
美しい季節、美しい風景を眺めながら
この世の生に充分満足して
眠るように、自分の意志で息を引き取り、旅発つ。

変わりかき玉汁

2015年04月19日 16時09分55秒 | お料理
 高槻市の友人から教わったおいしいお吸い物をご紹介しますね。


 材料;卵1個
    パン粉少々
    粉チーズ少々

    だし汁 必要な人数分
    三つ葉やネギなど青物類(キノコや若布でもよい)

  
  

 作り方;卵を溶いて、パン粉とチーズを混ぜる

     お吸い物を作る
     その中に先ほどの溶き卵を静かに流し込む
     お箸で優しくかき混ぜる
     玉子がミモザみたいに固まったら、火を消して青物を入れる

     お椀に注いでいただきましょう。

     黒い漆のお椀が良く映えます。


     このお料理は
     フライなどを作ったときに余る玉子とパン粉
     で作れるのです。
     いままで、もったいないな、と思いながらも
     残ったパン粉や卵を捨てていた方がいらしたら是非応用してください。
     パン粉と粉チーズが隠し味になって
     普通のかき玉汁とは一味違うおいしい「変わりかき玉汁」ですよ❤

わたしの賞味期限

2015年04月14日 08時16分45秒 | ひとりごと
 父の三回忌
久しぶりに姉妹が顔を合わせた。

 そこで話題になるのは
どうしても齢のこと、身体の不調のこととなる。

 いつもそうなのだが
どうして年配になると
みんな自分の不調をまるで自慢するかのように
話のタネにするのだろうか。

 それが会食の時だったりすると
食べているものまでまずくしてしまうことに
なぜ気づいてはくれないのだろうか。


…と、思いながら
聞きたくもない話を聞いていた。


 その中でも特に気になったのが
自分の「賞味期限」と「消費期限」の話。


還暦もとうに過ぎた姉が言う。


「私たちはもうすでに賞味期限きれやからなぁ。
 あとは、どれだけ気を付けて
 消費期限を延ばすか、やでぇ」

 義兄もそれに同調している。
妹も、妹の夫も、ほんとですねぇ、と同調している。



 でも、
そうだろうか。

賞味期限が品物によって異なるように
人は年を取ったからといって
一概に賞味期限が切れる物ではないと私は思うのだが・・・・・


 確かに私など
若い女性の身体しか目に入らない男たちにとっては
とうの昔に消費期限さえ切れている。
それは自分でも認める。
いや、身体だけではないかもしれない。
精神的にも興味は全くなくなって
完全に消費期限切れだ。



 しかし
人としてはどうかと問われれば
むしろ
これからが
熟成発酵のたけなわだと答えたい。

 齢を重ねて
あちこち古ぼけてきた身体は
言われる通り、やや賞味期限切れかもしれないが
それ故に実感できるいろいろな感情や体験がある。

 まして
今まで積み重ねてきたさまざまなものは
子育てを終えたこれからこそが
発酵のさせ時であろう。



 いくつになっても
自分をあきらめず
人様をもあきらめず
でも
生きる道は明らかに諦めて
日々を愛おしんで
かつ
淡々と生きていきたいと思う。



 吉田松陰の

「君はその命をどう使うのか」

 という言葉がリンクする。



空の巣症候群

2015年04月13日 09時16分05秒 | ひとりごと
 空の巣症候群といかないまでも花筏



 桜は散った。
お堀の池の淵の方
びっしりと花筏

 あるいは川の流れの緩やかなところを
本当に筏のように流れゆく薄紅の花びらたち

 咲き誇ったわが身を少しは惜しんでいるのだろうか。
花のままとどまりたいなどと
考えはしないのだろうか。


 待って待って、待って
あっという間に咲き終わり
舞い散り、静かに流れていく。


 きっといろんな思いがあるのかもしれない。
それでも
ただ
黙って流れていく。





 娘が行ってしまってほぼ一か月。
一月中旬に結婚宣言をされ
そのあとも、仕事でバルト三国だ、イタリアだ、と
家にはおらず
3月18日に見ず知らずの外国人を連れて現れ
20日には二人で遠い異国へ行ってしまった。


 彼が良い人で(私にはそう感じられた、というに過ぎないが・・・)
娘には過ぎた人で、
娘はメロメロで、幸せそうで
ならばそれが一番と
子の幸せを願う親となってみた。


 確かにそれが一番で
本人たちが幸せならば何を思い煩うことがあろう。
私は私の人生に戻るだけ。
しばらくは夫と二人の生活を楽しめばよい。

 けれど、
そう思いながらも
わが想いはずっと晴れない。
何とはなしの寂しさが行きかう。



 


 しあわせ真っ最中の娘はめったにメールさえ送ってはこない。
もともと、マメに連絡をくれる子でもないし
いろいろ相談してくれる子でもなかった。
だから今度のような次第になった。


 それに、
自分の若いころを思えば
恋愛中、結婚直後など
自分たちのことでいっぱいで
親のことなど二の次だったではないか。


 最愛のパートナーを得て
これから新しい家族を作ろうとしている彼女にとって
大切なのは「今」であり
優先すべきは「自分たち」であることは当たり前だ。

 我々もそうだった。
それでいいのだ。
それでいい。
自分の大切な「守るべきもの」を見つめて生きればいい。



 と、わかっているのに
心の中に風が吹く。

目の前にいないことは今までと同じ。
大学生の時も
留学したときも
そして
仕事の時も
いつだって
彼女は
目の前にはいなかった。

今までと何ら変わりはないのだ。


 だのに
何かが違う。
置いてけぼりを食らったような
大切なものを失くしたような
哀しみとも虚しさとも言えない複雑な憂いが私の中に渦巻く。



 


 そんな時友人が言った。

「あなたは偉いよね。
 こんなに突然で、
 しかも
 一人娘を
 遠い外国に出してしまって
 よく
 空の巣症候群にならないものね」


 と。



 空の巣症候群

子どもが結婚して独立した後に
親がかかる心の病気、だとか・・・・・


 へ~~~~~ぇ
そんな名前の病気があるんだ。
この頃はなんでも「症候群」を付けて病気にしたがるのねぇ

と、笑いながら聞き流す。


 でも、
と、心の中でもう一人の私がつぶやく。


アナタハ イマ マサニ カラノスショウコウグン



 


 子どもを独立させなければという思いと
そばに置いておきたいという思い、
きっと昔からあったに違いない。

同居しようがしまいが
自分の翼の中から出ていく雛に
一抹の寂しさを覚える
そんな感情はいつの時代だってあったはずだ。

 ただ、それが上手にできる人とできない人と
できる環境とできない環境と・・・
いろいろいろいろ。




 子どもがいたとしてもわが身はいつだってひとり。
人は一人で生まれ、一人で死んでいく。

一人ではあるけれど「独り」ではない。
自分の中に
ちゃんともう一人に自分がいるではないか。



 やがて伴侶が旅立てば
さらに「ひとり」になっていく。
義母の美代子さん然り
母、清子さん然り

ふたりともちゃんとその寂しさに耐えてきたのだ。



 わかってはいたけれど
それを、私は今、実感させてもらっている。
彼女たちはこんな風に淋しさを味わい、虚しさの中、戸惑い、嘆き
それでもちゃんと生きてきたのだ。



 まだまだ
二人への心配りが足らなかったなぁ、と反省しきり。

置いてけぼりを食うような孤独感を
どうしたら癒してあげられるか、
それはこまめな言葉がけだということを
今更ながらに痛感する。

モノが欲しいわけでもない。
直接、面倒もかけたくない。
けれど
置いてけぼりを食うと
淋しくてたまらなくなる。

 だから、
忘れていませんよ、
気にしていますよ、心にかけていますよ
感謝していますよと
こまめに、こまめに
心配りをしてあげるのが一番なのだ。


 それを今、ようやく
実感として味わっている。
我が娘のつれなさのおかげだ。





花散って若葉輝く スタート



 さあ!!
季節は動いている。

 花は散って花筏になって流れていく。
そのあとは
若葉が輝くのだ。
赤い小さな身もつけるし
初夏の風にキラキラと身をひるがえすではないか。



 症候群などになっている暇はない。
いつ終わるかもしれない「この世」というアトラクションを
私なりに楽しんでおかねば後悔する。




「十分に楽しみましたか?」
「十分に愛しましたか?」
「充分に経験しましたか?」


三途の川の渡し場でそう訊ねられたとき
悔いなく、はっきり、
「はい」と応えて彼岸に渡るためにも
私は今日を充実させるのだ。




・・・・・ということで
まずは、何をするかを考えよう!!