幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

何かを思いきる

2021年10月29日 11時29分59秒 | 暮らし
‶ 「誰もが、いつでも、どこでも、安く」手に入れたいという4つの願望を

  実現しようとすると、必ず過剰な環境負荷が発生する。

  「誰もが」とは大量にあること。

  「いつでも」とは季節や時間を無視すること。

  「どこでも」とはそれだけ輸送距離が増えること。

  「安く」とはクオリティ(高品質長寿命)や

  地球環境や国内雇用などに対する配慮をしないことを意味する。

  このうちの一つでも外せるなら、環境負荷はかなり減る。

  「誰もが、いつでも、どこでも、しかし高く」

  「誰もが、どこでも、安く、しかし特定の季節だけ」などなど。

  二つ外せるなら、ずっと良い。

  「誰もが安く、しかし、特定の季節の特定の地域だけ」など。

  三つ外せるならさらに良い。

  「特定の人が、特定の季節に、特定の地域で、安く」などである。

  何かを思い切ることは、環境のためにも、次世代のためにも、

  そして我々自身の豊かな生活のためにも良い。

  その「何か」がなくても、それほど不自由しないものがたくさんあるはずである。‴

           「 近自然学 」  山脇正俊 著

  みんな仲良くお食事中


同書にはこうも書かれている。


‶ 走ってもいない車のエンジンを回しっぱなし(アイドリング)にしたり

  食事を食べきれないくらい盛ったり、
  
  冬にストーブをガンガン焚いて、

  暑いのでTシャツになりよく冷えたビールを飲んだり・・・・・

  こういう行為が、本当の豊かさだろうか?

  心も豊かにしてくれる素晴らしい贅沢とムダ浪費とを取り違えていないだろうか?

  必要なものが豊かさで、不必要なものがムダ浪費である

  どうしても欲しい豊かさは残すが

  不必要なムダ浪費はきっぱりと切り捨てようではないか‴



 季節限定 木通(アケビ)の実

美しいものはいつもすぐそこに

2021年10月29日 11時01分10秒 | ひとりごと
 2021・10・23 16;45 
                              蒲郡 竹島にて

お日様はいつだって私たちの上にいてくださいます。

美しいものはいつだって身の回りに溢れています。


 2021・10・23 13;08


 愛知県幸田町にて




人の心の美しさも、幸せも、同じです。

いつだって私の周りに、
あなたの周りに、
溢れているのです。

ただ
自分がそれに気づくか気づかないか、
見ようとするかしないか、
それだけです。

人は意識したものを見、意識したものを聞くのです。

どうぞ、見たいもの、聞きたいものを、ご自身でチューニングしてください。

楽しくて、美しくて、幸せなものを見るのは
本当はとても簡単なのです。


 2021・10.27 16;58
  東海環状自動車道 豊田東インター付近 にて

弱い自分を認める強さ

2021年10月13日 13時22分13秒 | ひとりごと
「青年時代はやっぱり、自分は弱いと思い込んでいましたね。

 意志力が弱い、生命力もそんなに強くないというふうに思ってました。

 実際にそうだったんです。

 だから、自己嫌悪にかなり長い間陥ってましたね。

 で、あるときから、弱くてもいいんだ、弱い自分を認めて
 
 弱いままで生きていくことができたら、

 それで強いんだ。それでいいんだ。

 要するに、ありのままの自分でいったらいいんだ、

 そんなふうに・・・・・。

 中略

 弱々しいところからスタートしたらいいんだと。

 強がってもだめなんだ、と。

 生命の始まりはみな弱いんだ、それが真実なんだ、と。

  ぼくは本物がほしかったんです。

 で、そんなふうに思えるようになって、それでもうすっかり楽になって・・・・・。」

     「自然農 川口由一の世界」 晩成書房 P.211 より

 

  2021・10・3  17;28 鶴居村 支雪里にて 夕暮れのトワイライトに雄阿寒岳を望む

ツタウルシ ご注意あれ

2021年10月13日 12時58分45秒 | 
釧路湿原の展望台で、
木道散策中に
朝の光にそこだけ朱く輝く紅葉発見!!  

wa~~~~!!! きれい!!

思わず駆け寄ります。

うん?!
なんだこれは?!  なんの紅葉?!

それにしても美しすぎる!!

美しい!!    


これは何という植物だろう?!

実を見れば、なんだか、漆や櫨によく似ている。

でも「木」ではなくて「蔓」だ。  

葉っぱは漆や櫨とは形状がやや違う。

蔓紫陽花でもないし・・・と錆びた頭を巡らすが分からない。

後でしっかり調べようと写真に収め
誰かに尋ねるときのためにと葉を一枚拾い上げた。

でも、でも、
奇麗なんだもん!!

また一枚、もう一枚とついつい数を増やしてしまった。
それを左手に持ちクルクル回しながら歩いた。


で、しばらくして、ふとひらめいた名前が(;^_^A💦💦💦

ツタウルシ!!

も、もしかして、これって、ツタウルシ?!

だとしたらヤバイ!!・・・かも・・・💦

でもまあ、漆も落ち葉になってしまえばかぶれなくなると何かで読んだし・・・大丈夫?かな???


が、残念でした。

翌日の午後から、私の左手には細かな水泡がぶつぶつとでき始め、
結局、左手の甲から手首にかけて
一週間ほど痛痒さに悩まされることとあいなりました ( ;∀;)

はい、
たとえ美しくても、疑わしき物には手を出さず!!・・・を学びました。

ご用心あれ (;^ω^)

日常の奇跡 早朝の散歩に

2021年10月13日 11時39分43秒 | 


北海道阿寒郡鶴居村

ウェルネスヴィレッジ ヒッコリーウィンドウの森で
美しいミズナラの彩葉に出会った。

あまりの美しさにため息が出る。

誰に見せるでもなく、こんなに美しく色付いて、そして、散っていく。

ただ、己の命を全うするミズナラの魂の在り方を思う。

さらに、
今少し歩を進めれば今度は真っ赤なナナカマドの実!!  

真っ青な空に艶やかだ。



このミズナラの葉の一生の中に、
このナナカマドの美し過ぎる紅い実に
宇宙の神様の大いなる意図が潜んでいるにしても
私にとっては
今日こうして、
この輝く「美」に出会わせてもらえた奇跡に感謝だ。



ついつい拾い上げてしまうほどの
美しすぎるミズナラの彩葉達を手放すに忍び難く、
暫く持ち歩いていたが、ふと思い立ち、
辺りに目につくものと共にガードレールの調整ポスト(?)に活けてみた。



   ミズナラの彩葉・萩の黄葉・枯れセイダカアワダチ草・ヒヨドリ草・ヒメジオン・・・かな・・・?


ほんの数分の楽しい時間!!

あっという間に花材がそろってしまうこの地の豊かさを思うと同時に、
それが叶わなくなってしまった我が家の周りを申し訳なく感じながらも、
久しぶりに我を忘れて夢中になった。


今日という日の美しく幸せな奇跡。



豊かな森の朝陽の中の、
ほんのささやかな大きなしあわせを与えられた今日の奇跡に感謝しよう。