幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

別れ

2012年01月31日 08時39分43秒 | ひとりごと
 就職してすぐに知り合い
若かった頃、楽しみも苦しさも受け止めてくれた友人がいる。



分け合ったのではない。
受け止めてくれていたのである。


彼女がいたから救われたことはどれほどだろう。


 が、いつ頃からか
話が噛み合わなくなり
考え方はすれ違い
ともにいてもときめかなくなった。


会って別れたのちは何だか虚しささえ残った。

そんな関係は当然、不自然さをもたらし
やがて
あることをきっかけに
互いに連絡を取らなくなった。



 しかし、そうなってずいぶん経ったこの頃
私は昔の彼女への感謝の気持ちだけは伝えておきたいと思った。

きっかけとなった「あること」には
いまだにわだかまりが消せず
ふれたくなかった。


でもこのままいけば
おそらく
私たちが
親しく交わることは二度とないだろう、

そう思ったとき
人は明日何があるかわからないのだから
若いころ支えてもらったことへの感謝だけはきちんと伝えておきたい
と、考えたのだ。



 で、手紙を書いた。
近況報告と
感謝の思いを込めて・・・・・。


それだけでよかった。

それを読んでもらって
どうのこうのとは思っていなかった。




 しかし
返事が来た。

不思議なもので
開封前から
その手紙が決して心地よいものではないことが伝わってきた。

いつもなら
誰かからの手紙にはすぐ目を通す私が
それを一晩放置した。


「あること」に触れていられればいられるで嫌だっただろう。
触れていなければいないで
それも腹立たしかったかもしれない。

たぶん
だから
読むのに気が重かったに違いないのだ。




 手紙は「あること」については全く触れられていなかった。
それよりも、驚いたことに
思いもしなかった過去の私のいたらなさが書かれており
それをきっかけに彼女の心が引いて行った、と綴られていた。

そして
それゆえに
私の感謝の気持ちも素直には受け止められない・・・
と、言うのだった。



 思った通り、
読み終わってから私の気持ちはとても重くなった。

手紙は
読まずともちゃんと波動を伝えていたのだ。

誰かに何かを渡すとき
重々気をつけねばならない。

どんな思いで包んだか、どんな思いで運んだか
そんなことの一つ一つでさえ
そのものに気憶され
相手に伝わるのだということを。

 


 彼女の、私への失望、苛立ちが伝わってきた。

そのことに気付いてさえいない私に感謝を伝えられて、
戸惑うと同時に
なお苛立ち
感謝されることさえ拒否したかったのかもしれない。




 
 私は考えた。

なぜ彼女は拒否し、手紙を握り潰し、無視しなかったのか。

なぜ、わざわざ、気持ちが醒めていった理由を書いてよこしたのか。

私に気付いてほしかったのか、

私に謝ってほしいのか、


確かにそれを読んで初めて
私は
その時の自分の至らなさに気付いた始末だ。


彼女の言い分はもっともだし
今の私ならその時のようなことはしないだろう。

未熟だった。配慮が足らなかった。申し訳なかった。



 が、同じ思いはこちらにも多々ある。

多々あるがゆえに「あること」のような
どうでもよいことで
こちらの気持ちもプッツンしてしまったといえるだろう。


そうして
長い間、音信不通となったのだ。



 それでも、そのことと、彼女への感謝は区別したかった。

怒りや、腹立ちはあっても、
それは個々の考え方の違いだから仕方ないと思っている。
そして
これ以上親しく交わることはないだろうと思うがゆえに
感謝だけはきちんと伝えておきたいと手紙を書いたのだ。



 


 今、私はとまどっている。

彼女のようにこちらの気持ちが引いてしまった理由も
きちんと伝えるべきなのだろうか、

彼女が許せないでいることに謝罪すべきなのだろうか、


いずれにしても
それによって
二人の気持ちが寄り添うことはもう二度とないだろう。


きっと、彼女がこだわっているそのことも
私が積もらせてきた数々のことも
小さなことのようで
実はけっして飛び越えることのできない
広い溝なのかもしれない。



 


 人には避けられない別れがある。

それは必然だったりもする。

出会いが必然であるように
別れもまた必然なのである。


彼女が私の人生において
とても大きな位置を占め
支えてくれたのも事実ならば
彼女によって食い違う淋しさを覚えたのもまた事実。


その時期に必要だからこそ
その時期に存在していてくれた。
そうして
それらのさまざまを味わわせてくれた。

私とて、彼女にとっては同じ存在だったことだろう。


互いにその時期を過ぎた、ということかもしれない。


失くすこと、別れることを恐れまい。

感謝だけを残そう。



もう、手紙は書くまい。
書けば、謝罪と同時に
こちらの気持ちも書いてしまうに違いないから。


それよりも、感謝して、感謝して
彼女の幸せを願い
自分の不始末を二度と繰り返さぬ学びとして、
いさぎよくこの別れを受け止めよう。




 私の中で
一つの時代が過ぎた。

ただそれだけのこと。



負けないで、くじけないで、投げ出さないで    その2

2012年01月29日 10時41分54秒 | ひとりごと
 横浜の彼女に
二十歳の女の子のことを相談した。


「答えは自分で見つけろ!!
 誰かに助けてほしいなんて
 土台無理な話。

 自分を助けられるのは自分しかない」


の一言だった。

確かにそうかもしれない。


 被災地には
親も兄弟も友人も
大好きだったペットも
住む家も仕事も
すべて失ってしまった人たちがいっぱいいる。

でも、そんな人たちの中でも
現状や未来の受け止め方にはいろいろな差がある。

失くしたものを見つめ
それにとらわれ
失望し、憤り、何かをしてもらうことを待っている人たちの不幸は
とてつもなく大きく、苦しい。

失くしたものの悲しみから立ち上がり
前を向き
まだ残されているものや
代わりに与えられたものに気付き感謝できる人々は
不幸を新しい何かに変換しつつある。


 

 昨日の問い

「どちらが大変だと思いますか」


 どちらが、と比べること自体が愚の骨頂に違いない。

どちらもたいへんなのだ。

大変だと思えば
どんなことだって大変になるのだ。


 明日の命がわからない人から見れば
二十歳の彼女の問題など大したことではないだろう。


 息子をいじめで殺された人から見れば
49歳の女性の話もまだましだと思うかもしれない。


けれど、どんな問題だって
大変だと思う本人にとってはこの上なく大変なことであり
どうしようもなくつらいことなのだ。



が、横浜の彼女のように
若いころから苦労を重ねてきた人でも
今の何かを見つめることで
自分は幸せだと思えるし
強くも明るくもなれるのだ。


ようは、その事象を自分がどうとらえ
どう臨むか、ということに尽きてしまう。



 けれど、人間として生まれ人生を過ごしていくうえで
より優しく、より強く、より愛に満ちるために
「つらいこと」「悲しいこと」は体験してこそなのではないだろうか。
それらを乗り越えようと頑張っているときにこそ
「生きがい」みたいなものが潜んでいるのではないだろうか。


 そのことに
気づけるかどうかで、苦しみや悲しみの大きさが違ってくるような気がする。




被災地で目にした言葉を今更ながらに思い出す。


「がんばらないで!!

 でも、負けないで、くじけないで、投げ出さないで」




いつか必ず、それを乗り越えられる日が来る。

乗り越えようと頑張るその時間と体験こそが
私たちの宝となるはず!!

私はそう信じている。

負けないで、くじけないで 、投げ出さないで   その1

2012年01月29日 09時25分47秒 | ひとりごと
 二十歳の女の子からメールが来た。
四年ほど前に劇団に参加していた時の仲間だ。
二年ほど会っていない。


 高校を卒業して
結婚式場に務め、一人暮らしをしている。

最近
母の不倫が原因で両親は離婚。

父と愛犬三頭が家に取り残された。

父はしばらく前に独立し
自営業となっていたが
この不景気で会社は行き詰まり
お金に縁がなくなっているようだ。
精神的には最近ようやく落ち着いてきたが
それでも
彼女のサポートが必要な様子。


母は母で
家を出たものの
不倫相手の彼とはうまくいかず
経済的にもかなり困窮し
うつ病に近くなっている。
時々彼女に
そう、
二十歳になったばかりの彼女に
相談を持ちかけ
「死にたい」などともらすそうだ。



高卒の彼女のお給料がそんなにたくさんなはずもなく
家賃、保険、母への援助など
たちまちお金の工面に追われるようになったという。


私からすれば
殴ってやりたいような母親だが
それでも彼女は母親が好きだ。

父親も好きだ。

二人を見捨てることはできず
二人から離れることもできず
自分にのしかかる精神と経済のストレスに耐えかねているのだ。



周りにいる友達は
大学生だったり
経済的に裕福な家庭の子だったり(彼女がそう感じているにすぎないが)で
話は聞いてくれても
誰もわかってはくれない、らしい・・・


苦しい、押しつぶされそう、私ばかりが何で・・・?

と、日々、悶々とし
誰かに助けてほしくて
ついに私にアクセスしてきたのだ。

「会って話を聞いてほしい・・・」
と。






 今度は四十九歳の主婦の話

経済的には何の心配もない。
自分の健康のために
パートで働いているに過ぎない。

この人には
29歳の息子がいて
お嫁さんと二人で頑張って
小さなレストランを経営している。

シェフはお嫁さんだとか。


数年前に彼はオートバイ事故にあい
一時は生死をさまよって
奇跡的に回復した。
が、脳の一部が微妙に陥没しているとかいないとか。

そのせいかどうかわからないが
事故の後しばらく、精神的に安定せず
時として暴力も振るったことがあったらしい。


その時に被害を受けたお嫁さんは
それがもとでパニック症候群に陥ってしまった。

とくに
大きな物音や、
店が忙しくなってきたりすると
それが出てくるようで
彼女がシェフであるがゆえに
とても困ってしまうらしい。


そんなこんなで
二人の関係もうまくいかず
離婚話も出ている。


しかし
お嫁さんの病気の原因は
息子の暴力。

もし、お嫁さんが離婚後に自殺でもすれば
それは息子のせい。


安易に離婚に賛成もできない。

息子の不始末を
母親としてどう償ったらよいのか、
ふたりにとって良い方法はなんなのか、
彼女は毎日、心配し、重くなっている。





 さて 
一方
東北の大震災で大好きな義母をなくし
仕事もなくした子持ちの女性。


思い切って
老母は弟に任せ
自分は横浜の支援住宅へと移り住んだ。

まだ小学生の息子のことを考えての決断だった。

彼女は若いころから自立し
十代で親もとに仕送りもしていた。
ゆえに
昼のお仕事に加えて
夜は水商売もした。

結婚した相手は
お酒を飲むと暴力をふるった。
子供を彼から守るため
彼女は息子と二人で逃げ出した。

そのあとは
朝、早朝から起き、
出勤前まで勉強して
ケアーマネイジャーの資格を取った。

今は、横浜でケアーマネージャーの仕事に従事している。

あの大震災は彼女からいろいろなものを奪った。
が、彼女はそんなことにめげなかった。

被災者であるが故のメリットを大いに活用した。

ボラティアで知り合う人たちの好意とネットワーク。
被災者に寄せてくれる温かい支援。

それらに心から感謝し
素直にそれを受けとり
後ろは振り替えず
前に向かうことだけを考えた。


彼女の夢は
被害を受けた子供たちへの支援。
精神的サポートができ、
経済的支援ができる「何か」を立ち上げること。



「被災地に比べれば天国だ」
「ここには、人間らしい暮らしがある」

そういって、
ささやかな幸せを十分に感謝しながら
彼女は今
元気にたくましく過ごしている。




 被災者の彼女とほかの二人と
どちらが大変???

と、たずねたら
あなたはどうこたえるだろう。




よみがえり

2012年01月28日 23時33分20秒 | 暮らし
 BSプレミアムで「よみがえりの森 千年の村」
という番組を見た。

 その中にシイタケが榾木から芽を出し大きくなっていく場面があった。

シイタケの元の姿「菌糸」が
落ち葉や榾木を食べて延びていく様子を映したその後に
その場面はあった。


その時のナレーションが私の胸に響いた。

“菌糸が死を前にした最後の姿”


シイタケが芽を出したその瞬間にこの言葉、だった。


私は今まで何を見ていたのだろう。

シイタケが芽を出せば
それはしいたけの生まれはじめだと思っていた。

シイタケはこれから大きくなるのだと理解していた。

けれど
菌糸という生物の立場から言えば
シイタケになるとき
それは
死を寸前に控えているということだったのだ。



“死を前にした最後の姿だ”

そんなふうにとらえたことはなかった。



ナレーションは続く。


“落ち葉や榾木の命を食べて成長した菌糸が
 今度はほかの生物の養分となっていく。
 
     云々

 生きて死んで命をつなぐ。

 人も動物も植物も
 みんなで命をつないでいく。
 

品のある婦人

2012年01月20日 09時41分30秒 | ひとりごと
 友人から聞いたちょっと素敵な話



 彼女は招かれて信州のホテルに宿泊した。

翌日、チェックアウトを済ませて
ホテルの一階にあるパン屋さんへ立ち寄った。

彼女の目に留まったのは
ちょっと小ぶりのミルクバターパン。
棚には5個並んでいた。
とてもおいしそうだった。


 店内にいたお客様は彼女の他には
年配のご夫婦が一組と
妙齢の品のあるご婦人が一人


年配のご夫婦が先に支払いをすませると
彼女とその御婦人が鉢合わせになる形となった。

彼女はつねづね

「一日一回は見ず知らずの人を幸せにする」

を意識して心がけている。
そこで、その時もすんなりと

「どうぞ、お先に」

と、笑顔で言葉をかけた。
するとご婦人は控えめに微笑みながら応えた。

「いえ、お気になさらないで、お先にどうぞ」




 では、ということで彼女はそのミルクバターパンを注文した。
ところがそれは
奥に取り置きしてある4個と合わせて
ご婦人がすでに買い求めていたのだった。


「申し訳ありません」
と、仔細を説明する店員に

「そうですか、とてもおいしそうだったので、残念ですね。
 でも、仕方ありませんね、それでは他の物を…」

と彼女が応えようとしたとき
ご婦人が後ろから尋ねた。

「おいくつ、おいりようですか?」

「ええ、3つほど・・・・・」


ご婦人は店員に向かって穏やかに言った。

「では3つ、おゆずりしてくださいな」


 もちろん、彼女は恐縮して
一旦は辞退しようとしたが
全く差支えないから気にするなというご婦人の言葉を素直に受けて
有難くそのパンを譲り受けた。


「誰かを幸せにしようとした自分が
 反対にとても暖かな気持ちにさせてもらいました。

 些細なことかもしれませんが
 心に思いやりとゆとりがあってこその行為ですよね。

 人の品とは
 このような優しさの積み重ねが
 創り上げるものなのかもしれません。


 頂いたこの幸せを
 私も同じようにどなたかにお分けしたいと思っています」

そう、彼女は微笑んだ。