幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

波動アップ?!

2014年07月28日 17時01分48秒 | ひとりごと
 昨日、夫婦げんかになった。

というよりも、夫が切れた。

切れたれた夫が口にした言葉を分析すると
結局、彼は「お金がない」症候群に陥っている。


 私のお金の使い方と
彼のその考え方があまりにも違い過ぎて
彼は私によって文無しにされてしまうという恐怖に陥っているのだ。


 自分は買いたいものも買わないで節約して貯めているのに
お前は勝手に無駄なものを買い、無駄なことをする・・・といって混乱し
私の毎朝の神社へのお賽銭のことから
最近、被災地に寄付したお金のことまで
全部「無駄遣い」「理解できない」とわめいて非難した。


 被災地への寄付をも「無駄」と考える彼の人格に打ちのめされながらも
なんとか彼の言い分も理解しようと

 それなら、通帳に残高がいくらあれば安心していられるの?
 いくら貯まったら節約しなくていいの?」

 と尋ねると

「わからない」

 と答えた。 




 きっと彼は一億円が残高でも「お金が足りない」と思うのだろう。

「無駄に使っちゃだめよ」

と、幼いころから言われ続けてて育った彼は
ほんの少しのお金なら使えるけれども
ちょっと大きなお金になると
無くなるのが怖くて使えないのだ。

そうして、預金通帳の残高がちょっとでも減ることに耐えられないのだろう。



 まさに何年か前にベストセラーになった「金持ち父さん 貧乏父さん」の
「貧乏父さん」そのものだ。


  


 確かに、我が家の財政は決して「お金持ち」ではない。
でも、今、回すだけのものは与えられている、と私は思っている。

そして、そのことに心から感謝している。

これからも
まわし方を間違えさえしなければ、必ず困らないでやっていけると信じてもいる。


 いや、むしろ
そのまわり方を大きくするために
「貯める事」よりも「誰かのために使うこと」を優先しようと思っている。





 だが、そんな妻の思考言動こそが彼にとっては大きなストレスなのだ。





 可愛そうな彼・・・・・


 申し訳なくて、気の毒で、涙が出てしまう。
私が妻でなければよかったのにね。
もっと、節約が大好きで
貯金の残高が楽しみな妻だったらよかったのにね。

ごめんね、ごめんね。




 と思いながらも、
もう一人の私は毒を吐く。



「あ~~~~あ、めんどくさ!!

 またいつものお金の奴隷思考だ。

 いつまでたっても、〝貧乏父さん″なのね。

 全く
 いい加減いやになる」






 さらに、さらに、もう一人の私も顔を出してこう言う。



「夫よ、気の毒に、可哀そうに。
 小さい頃から擦り込まれた〝貧乏父さん″的思考にまた苦しめられているのね。

 波動は、らせん状に回転しながらアップするから
 同じような位置にくると
 同じような問題が繰り返されるのよ。


 でも、高さはきっとアップしているからね。
 それが証拠に
 あなたを客観視している私がいるもの。


 以前の私は
 そんなあなたに嫌気がさして
 離婚したい!!と、すぐに思ったわ。


 でも、今はね、頑張れ、って思ってる。


 お金の恐怖から解放されて
 お金も自分の出すエネルギーなんだ、って気付いてね、

 お金に有力な同志になってもらうためにも
 今の考え方から早く脱皮してね、


 大丈夫、どんどん出して、どんどん受け取る、って決めなきゃ・・ね、


 って、見守っている私がいるもの。


 きっと以前とは波動の高さが違うわ。

 私たち、波動アップしているわ」


 


 
 





 夫婦喧嘩にはいくつか決まったパターンがあり、
それらは定期的にやってくる。


今回のこのパターン
数年前なら
二人とも一週間ぐらいは口を利かなかった。

自分が正しい、相手が悪い、という思いを冷やすのにはそれ以上の時間がかかった。

そして、互いの思いをきちんと話し合うこともなく、
うやむやに済ませ
種火を残したまま、
何となく通常の生活に戻るしかなかった。





 けれど、今朝の二人の反応は微妙に違っていた。

この微妙な違いが今後、どう有効な学びへと発展していくのかはわからない。

ただ、こんな風に
同じ問題を繰り返しながら
少しずつ、少しずつ、成長していくのだろうから
ちょっとしんどくても
逃げないで、ごまかさないで向き合おうと思う。





 今のこの瞬間の心を表現するなら
「またまた学ばせていただいていま~~~~~す。
 学べて幸せです。学び合える相手がいて幸せです。

 有意義な一瞬をありがとうごぁいま~~~~~~~す」

っていう感じでしょうか。




 ふ~~~、疲れるなあ。




 


 

今日拾った言葉

2014年07月28日 16時29分07秒 | ひとりごと
「 人生は一瞬一瞬の気持ちの連続だから 」



 図書館で8冊の本を借りてきて
一気に5冊を流し読みしたときに拾った言葉

すぐに付箋でも張ればよいのに
そのまま読み進んじゃったから
どの本にあったのかわからなくなってしまった。



 「人生は心の中で展開されている」

というような意味のことも書かれていた。
どんな事象が起きたかではなく
どんな事象に心を止め
どんなふうに心を動かしたか

その連続が「人生」となるのだという。





 へぇ~~~~、そうなんだ!!

と、ちょっとびっくり。
まあ、そういわれてみればそうなんだけれど
でも、
ずっと
自分の外で起きていることそのものの連続、だと認識していたように思う。





 私たちは、身体を取り巻く環境の中で何かが起こっているのを感知しながら毎日を過ごしている。
そして、その情報にいちいち反応しながら感情を作り上げ
その出来事にいろいろな意味をもたせている。

心の中で作り上げたその意味こそが
幸せとか不幸せとかを決めていく。



 そう言われてみればその通りだ。

 でも、そんな風に考えたことがなかった。


 つまり
どんな外的要因にたいしても「しあわせぇ~~~~」と思えれば
「しあわせ~~~~~」な一瞬ばかりが積み重なって
「しあわせ~~~~」な今日が出来上がるということだ。


そんな風に「しあわせぇ~~~~~~」な今日を毎日作っていけば
私の人生はずっと「しあわせ~~~~~~」だということではないか。





 なあんだ、
幸せな人生を送るってそんなに簡単なことだったんだ!!

何が起きても「ラッキー!!」って思っていれば
一生「ラッキー!!」ばかりだということでしょう?!


 自分で悲嘆にくれさえしなければ「今日も私は幸せだった」ということじゃん


 私が幸せでないとすればそれは私が幸せでないと思ったから。
幸せになりたければ「幸せ」と思えばいいのだ。



 


2014年07月21日 12時19分41秒 | ひとりごと
 夢だったことが絶対叶うとなれば
それはすでに「夢」ではなくただの〝望んだ現実″



 私の夢は・・・・・いっぱいありすぎる。
そのいずれもが叶う現実であるならば
楽しくてありがたくて
スキップしたくなる。



 でも、すぐに全部が実現化してしまったら
ちょっとつまらないかもしれない。


だから、もったいなくてなかなか叶えないのかもしれない。


 そんなブロックが私の中に潜んでいるから
私の一番の夢がまだ現実化していないのかもしれない。

木曽駒ヶ岳登山とお陰様

2014年07月20日 09時38分48秒 | 波動
 先週
木曽駒ヶ岳に登ってきた。

梅雨の合間の素晴らしい晴天に恵まれた。

風もなく、よく見晴らしの利く
素晴らしいお天気だった。



 前泊したホテルのフロントマンが

「お山の姿を見たのは久しぶりです。
 本当に良い日になりましたね。
 明日からはまた、お天気、崩れるそうですよ」

と言って下さるぐらいのラッキーである。







 行こうと決めたのは今月初旬。
千畳敷カールは真冬に2度訪れている。
お陰様でいずれも素晴らしいお天気に恵まれ
白銀の世界と、
富士山まで見える山並みを楽しませてもらった。

 が、夏には一度ロープウェイのところまで行ったものの
余りの待ち時間に断念して帰ってきてしまって以来
一度も行っていないのである。


 今回は千畳敷カールを経て
木曽駒ヶ岳の頂上まで行くことにした。
2956mである。



 行こうと決めたのは今月7月の上旬。

 土日は混むから避けよう
夏休みに入ると混むからその前にしよう、
ということだけを優先して
ホテルの予約が可能な日の中から日程を決めた。





 一週間ほど前になったとき夫が言った。

「どうも、お天気よくないみたいだよ
 長期予報で雨になってる・・・」


 ほらでた!! また出た!!


・・・と、ちょっとイラッとしてしまった。


「だから何?!
 大丈夫よ!!

 心配はしないでって、いつも言ってるでしょう!!

 
 私たちにはお陰様がついてるの。
 私たちのお陰様は力強いんだから
 ちゃんとお陰様を信じてよ。

 心配するっていうことは
 自分のお陰様方を信じていないっていうことで
 それって、
 お陰様に対してすごく失礼なことなのよ!!


 そこんとこいつも言ってるでしょう?!



  第一、そうやって心配するから
 逆に良くなるものもならなくなっちゃうんでしょう?!



  一週間もあればお天気の動きも変わるの!!
 雨が降るなら降って、ちゃんと早まってくれて
 しっかりいいお天気になるから絶対に大丈夫よ。


 頼むから、余計な心配はしないで!!
 そんな暇があるなら
 絶好のお天気の中で無事登頂し終えて
 万歳している姿でもイメージしてよ」



と、つい、怒鳴ってしまった。



 いけん!!いけん!!
 人格が未熟たい!!


 何も怒鳴らなくてもいいざんしょ。
やさし~~~~~く
にこやか~~~~~に 
言って聞かせれば済むものを・・・



 お陰様は感謝してもらうことが大好き。
お陰様は睦まじくしている姿をご覧になることが大好き。

感謝して、仲良くしていなくっちゃね。





 てな経過を経て
無事、最高のコンデションをゲット!!


もちろん、ことあるごとに声に出してお陰様に感謝しましたよ。



「わ~~~、ラッキー!!
 さすが、私たちのお陰様~~~!!

 お陰様、ありがとうございます。
 ありがとうございます、お陰様」


と、ね。




ペイ・フォワード

2014年07月20日 08時13分10秒 | 波動
 しばらく前に「リスクを背負って前へ」という記事をアップしました。

 その結果報告がないけれど傷心で帰ってきたのではないかと
ブログを読んでくれている友人から心配の電話がありました。

 友人は優しい人ですから本当に心配してくれたのでしょう。
自分のことを遠くで心配してくれる人がいるというのは幸せなことです。
まずは彼女に「ありがとう」です。





 でも、彼女の思考回路の中には
私がずっと書いてきている「もっと幸せになるために手放してほしい思考の癖」が
潜んでいることに
今、これを読もうとして下さっている方はお気づきでしょうか。



 なぜ、心配するのでしょう?
「すごいよかった!!
 楽しかった!!」


 と、ブログにアップすればよかったのでしょうか。

 なぜ、「傷ついて帰ってきたのでは・・・・」
と心配するのでしょう。

 なぜ、「どんな楽しいことがあったの?」
「楽しすぎて書けないの?」

と、ワクワクしてはくれなかったのでしょう?



 第一、どうして私が「傷つく」のでしょう。
良いも悪いも含めて「未知の世界を体験しに」出かけた私には
何が起きても「OK」なのですから
傷つくはずはないのです。



 彼女に手放してほしいのは「心配する」という思考の癖

「心配する」のは一見優しさのように見えますが
それは自分を不幸にしますし、
相手にもその事象を引き寄せるもっともよくないエネルギーにほかなりません。

お相手を思うなら心配はしてはならないのです。
万全を期す準備をしてあげることと
良い形をイメージしてあげることの方が
ずっとずっと大きな力となるのです。


くれぐれも「心配癖」は手放しましょうね。





 ところで、
人はどうして傷つくのでしょう。

 よく「傷つけられと」という人がいます。

誰があなたを傷つけるのでしょう。

もしかしたらお相手は傷つける気など全くなくて
ただ、思いやりで言ったのかもしれません。
良かれと思ってそうしてくださったのかもしれません。


 けれど、そうではなかった・・・・・・
少なくとも
その時のあなたにとってはそうではなかった、
ただそれだけのことです。


 ま、中には傷つけてやりたい、とか、意地悪してやろう、
なんて、
しんどいエネルギーに占領されてそうしてしまう人もいるかもしれません。
そういう人は自身が満たされていないから
自身がしんどいから
なんとか抜け出したくてそうしてしまうのでしょう。

それがかえって、ますます、自分の首を絞めるのだということに気づけずに。

 


 よしんばそう言う意図でなにかされたとしても
それを自分の中で変換してしまえば
傷つくことはないのです。

何かの本に書いてあったように
「自分に都合の良いように誤解してしまうのが幸せになる一番の方法」
なのです。


 目の前に投げ込まれた言葉も
取られた行動も
事象としては確かに存在します。

でも、それによって傷つくか、傷つかないかは自分次第なのです。
事象は事象として存在するだけ。
良いも悪いもないのです。

その事象を良しとするか、否かは自分次第ということです。




 この世に絶対的な「正義」はないし
その反対もないに違いありません。

立場が変われば、正義は逆転するのです。


「正しいお人ばかりだと争いが絶えません]


と、どこかの詩人がおっしゃっていたような気がします。




 話を戻せば
傷つこうと思えば人はいくらでも傷くことができるのです。
裏切られたと思えば裏切られることはいくらでもあるでしょう。
暫く前の私は確かにそうでした。

その頃の私、しんどかったですねぇ。
重かったです。
時々しか幸せではありませんでした。





 でも
「傷つく」とか「裏切られた」とか
それらはただ単に
自分の思いに添わなかった
だけのことではないのでしょうか。



 その〝自分の思い″が正しいと信じ、固執したときに
怒りや悲しみでいっぱいになり
己の心を傷つけ、身を重くしているのではないでしょうか。


 結局
だれかが傷つけたのではなく
自分で傷ついたに過ぎないのです。



 世の中の多くのことはそんなからくりのような気がします。




 ・・・・・と考えている私ですから
あれだけ決意して出かけた以上
怒ったり、悲しんだり
ましてや傷つくことなどは全くないのです。


だって、どんな結果になっても
それは「体験」であり
「こうすればこうなった」という実験の結果を得たに過ぎないのですから。






 ちなみに、リスクを背負って出かけた結果は、
知らないことをいろいろ知ることができましたよ。
普段はしてもらえないような待遇を経験もしました(気持ちよかったー)


 普段なら見ることができないような超高価な品を
解説付きで、まじかに拝し(ホント、感動の渦でした!!)
こんなにつまらない事だったのか、というような催しに付き合い(眠くて眠くて、腰が痛くて・・・)
自分がどのレベルのことに動じなくなっているかを知ることができました。


 そうそう、その代償として向こう様の狙い通りに
大枚はたいて、ある物を購入させていただいたことも付け加えておきますね。

もちろん、おかげさまで
私の貯金通帳はとっても身軽になりました。


 でも私、
「ペイ・フォワード」したと思っていますから全然平気です。

「高価なものを買わされた」のではなく「大金を差し出してあげられた」と
考えているのですから。


お金も、優しさも、先に支払えばいつか必ず利子がついて違った形で戻ってくる!!


そう信じていますから
購入させていただいた商品のみならず
何か素敵な御縁や幸運がついてくると思ってますもの