幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

鬼嫁の目に涙!!

2010年09月27日 14時13分11秒 | ひとりごと
 美代子さんと平湯温泉に行って来た。

「桜庵」というまだ三年の新しいお宿。

しっかりした和風建築ではあるけれど
今風のもてなし方、部屋のつくりで
気の張らない過ごしやすいお宿であった。


それはさておき
美代子さんは今年82歳
我が実父と同じ歳である。

が、比べ物にならぬぐらい元気でしっかりしている。

美代子さんは若い頃から丈夫でお医者にかかっていない。
82歳になった今も
白内障の目薬以外に薬は使用していないらしい。


普段
毎朝30分以上のウオーキングをし
風邪を引いても
なるべく薬やお医者は避けている。

だから
他の病気にならない。
(一方、実父は歩く事を勧めても
 なんだかんだと理由をつけて歩かず、
 心臓、脳、腰などの数え切れないほどの薬を飲んでいる。
 ほとんどが寝たり起きたりの繰り返しで
 気分の優れない事の方が多いという現状である。
 冬はお医者で風邪まで貰ってくるし・・ 


しかし
さすがに今年の暑さはその美代子さんにもこたえたらしく
9月の始め
まだ暑かった頃に温泉へと誘った時には
出かけることを躊躇していた。


それでも私は
4人分を申し込み
涼しくなって美代子さんの気が変わることを願った。


願いが叶って
急に涼しくなり
行動しやすくなった頃
再び電話した。


しかし
まだしんどさの残る美代子さんは出かけることを拒んだ。




「おかあさん、おかあさんももう82、
 あしたがわからないんですよ

 一緒に出かけられるうちにでかけましょうよ。

 ひとつひとつが
 冥土の土産になるかもしれないんだから・・・」
と、鬼嫁は
本来なら嫁が口には出来ない言葉を並べ立て
しつこく誘った。

結果、心優しい美代子さんは
「せっかく誘ってくれるものを断るなんて失礼だから・・・」
と、自分に鞭打ち
同行する事を決めたらしい 


しかし!!

旅行が終わった段階で一番元気だったのは美代子さんでした。


福井駅から一人でジーゼル電車に1時間40分も揺られて
越前九頭竜という駅まで来てもらい
そこで
私たちと合流して
高山経由で平湯に入ったのだが
その間あちこち立ち寄り
車で約4時間の旅


そして
チェックイン後
殆ど休みもせず
娘に付き合って平湯の温泉街を散策

おまけに
翌日は6時におきて
「神の湯」という
平湯の始まりといわれている露天風呂の一番湯に入りに行き
道中の山道では
私に付き合って薬草まで摘んでくれた。



その上
帰りは帰りで急に思い立って
上高地へと寄り道し
人ごみの中、一緒に
河童橋あたりを散策したし、
途中
立ち寄るのが娘の趣味である道の駅や野菜の直売所では
いちいち下車してくまなく付き合ってくれた。
(ちなみに夫はその間ずっと車中で居眠り) 



我が家に泊まって翌日は
これまた急に思い立ち
三重県の桑名の古い知り合いを夫に連れられて訪ね
その翌日の今日は
一宮のひ孫の顔を見てから帰るといって出て行った。




我が家に居る間だって
摘んできた薬草を洗ってくれたり
玄関戸を拭いてくれたり・・・
なんやかやと働いてくれた。
きっと
随分お疲れだったでしょうに・・・
なんたって82歳なのだから・・・


ま、
その代わり
床に就くや否や
間髪入れずに高いびき・・・

食べる物も私と殆ど同じ量。

きっとこれが
元気の秘訣 




出かける10日ほど前から
家の中を改装していて
そのために疲れ切っていた私や娘より
ずっとずっと元気だった。



まさにスーパーばあちゃん

あっぱれ!!
おそれいりました!!





・・・けれど、
一番恐れ入ったのは
その美代子さんの言動。



「ありがとね。
 
 今年の夏の暑さは
 さすがに身にこたえ
 出てきたくはなかったけれど
 思い切って出てきて良かったわ。

 あー、たのしかった  

 本当に楽しかった。

 こんなにして貰えるなんてありがたいね。

 この年になると
 明日はわからんからね。

 こんなに思い出にいろいろさせて貰えて
 ホントに楽しかったわ。
 ありがとね。

 あなたならではこそや。

と言って
背中を撫でてくれたのだ。





うわぁ~~~~~~
なんちゅう、殺し文句

とたんに
鬼嫁の目には涙がどばぁーーーっ 


あっぱれ!!みよこさん!!
あなたはしっかり鬼嫁の心をつかんでますわ  






ちなみに
旅館では二部屋確保してあったので
「久しぶりに息子と親子水入らず」と
「孫娘と過ごす」のとどっちがいいですか?

と訪ねた私に
間髪入れず彼女はこたえた。


「孫とがいい!!
「息子と二人はつまらん

サイレントテロと電磁波過敏症

2010年09月27日 12時56分13秒 | ひとりごと
 世の中が様々に変化し
それに従い
知らない言葉が次々と作られている。


以前
我が娘が今はやりの
「巣ごもリッチ」に当てはまる事が愉快で
このブログでも紹介したが
またまた
まさに彼女にあてはまるであろう現代用語を知った。



今月の中日新聞の「Clifu」に紹介されていた言葉だ。


「サイレントテロ」


消費しない、働かない、子供を産まないといった行動により
消極的に社会に反抗する行為、だそうだ。

以下「Clifu」の記事である。


“消費を煽るマスメディアのあり方や格差の拡大に不満を持つ若者を中心に
 ここ数年、インターネット上でこの考え方が広まりました。
 ニートや非婚、自殺の増加にも影響しているといわれます。
 長期的に続けば税金、年金源および人口の減少させ、社会システムの崩壊に繋がるため
 政府や自治体は引きこもり予防などに力を入れ始めていますが
 有効な対策はまだ見つかっていません。”



我が娘
一応働いてはいるが
一昔前の若者のような真剣さには欠けているような気がする。

おまけに
こちらが何かを買おうとすると
 
「もったいない、必要ない」

と言って
消費を止めようとする。


そして
子供を産まないどころか
結婚さえしようとしない。

昔なら焦っても良い年頃なのに・・・・・・


「パラサイトシングル」
という言葉もあるそうだが
娘はこれには絶対に当てはまる 

親にパラサイトしながら
結婚など考えもせず
巣ごもリッチしながら
サイレントテロの真っ最中!!

・・・そんな感じだ 


全く
ふつーに
一生懸命子育てしたつもりなのに
どうして
こんなふうになっちゃったのだろうか、
と、いやでも見えてしまう「親の顔」を
毎日眺めながら
ため息をつくばかりである。





さてさて
その
同じ「Clifu」で紹介されていた言葉「電磁波症候群」

携帯電話や家電など微弱な電磁波に反応して
さまざまな体調不良が起きる症状。
海外ではすでに健康保険の対象としたり
子供の携帯電話の使用を制限したりしているそうな。


症状としては
原因不明の頭痛、吐き気、肌への刺激、記憶の低下、鬱、etc.


娘はベットで寝る前に
必ず携帯電話に見入っている。

そのうち眠るに入っていくので
気がつけば
携帯電話が頭や背骨の下敷きとなっているわけだが
考えただけでぞっとする。


脳や、脊髄のような大切な部分に
一晩中電磁波を当てているわけだから
障害が出ないはずがない。


事実
若い割には記憶力が弱く
物忘れが激しい気がする。

肌も美しくはないし
不機嫌な時が多く、よく頭痛に悩まされている。




そういえば
知り合いに息子さんなどは
パソコンをしながら寝てしまうので
毎晩それを抱いて寝ている状態らしい。


これも怖いことだ 




巣ごもリッチ
サイレントテロ
パラサイトシングル
電磁波症候群


なんだか夢のない
しんどい言葉ばかりに感じるのは
私だけ・・・なのだろうか。

親の愛 -- 積水ハウスの広告に思う --

2010年09月17日 10時01分55秒 | ひとりごと
 今朝の新聞広告
積水ハウスのコピー


“子が親離れするころ。
親は、その親のことを思う。”


そのコピーは続く。

”私たちの世代は若くして親元を離れ、結婚すれば核家族で。

 今の子たちはのんびり家にいて、なかなか親離れしない。

 「この家がいちばん」だし、「おかあさんの料理がいちばん」だし。

 その息子もようやく結婚が決まって、巣立っていった。

 ひと安心すると、こんどは離れて暮らす、自分の親が気になる。

 「まだまだあなたたちの世話にならないよ」と、母は元気に笑うけど

 子は親を離れ、子は親になり、そして、子は親を思う。

 家族は続く。”




この”私たちの世代”とは
団塊の世代をいうのだろうか。

私は団塊の世代からはやや外れているけれど
それでもこの“私たち”の感覚に
みごとにはまっている。




若くして、
それこそ大学に入った頃から親元を離れ
そのまま、遠く離れた地で就職し結婚した。


精神的にも
経済的にも
殆ど親を頼らず
親に心配をかけず
一人で悩み頑張ってきた。


親は親なりに
子供に世話になるまいと一生懸命自分たちで頑張っている。


一方
我が子を見れば
まさに
「家が一番いい」
「おかんの料理が一番!!」
と、調子よく
経済的にも精神的にも自立しようとしない。


まさに
このコピーそのものだ。



昔から
“孝行したい時には親はなし”
といわれているが
今は親の寿命も長くなり
子育てに終われ、自分の生活で精一杯の時期を過ぎても
親はいてくれる。


だから
“親孝行”のまねごとなりを
少しはさせてもらえる。



子を育てたがゆえに
親の苦労もわかるようになり
いかに親というものが
子を思うものであるかと言う事も
実感として受け止めるようになっている。


しかも
親はかなりの高齢となり
親のことを思わずにはいられなくなってきたし
親のために割く時間も増えてきた。



けれど
それでもなお
親ほどの愛を
子は親には返せないと思う。







親だって
いつもいつも
愛オンリーに満ちているわけにはいかないから
時には子を無碍にもするし
鬱陶しく思ったりもする。



子だって
親を愛し、感謝する。
老いていく親を心配し大切にしようと思う。



それでも
両者の「愛情の大きさ」を比べれば
親のそれに勝つことは出来ないに違いない。


が、また、勝つ必要もないだろうし
同じだけ返そうとする必要もないのだろう。



親が生きているうちに孝行として
親自身にいくらかのの愛情を返していければそれに越したことはないが
それよりもむしろ
親から受けた愛情や恩は
今度は自分が子に奉げればばよいのだ。

そして
子から返される事は望まず
子が、またその子に尽くしていけばそれでばよい。




そんなふうに
「愛情」は
代々つながり続け
親の死後も、自分の死後も
“愛”だけはずっと生きていくのだろう。



同居して
日々
親に恩を返している人は別にして
私のように
そしてこのコピーの“私たちの世代”のひとたちのように
親元を離れて暮らすものたちは
そんなふうに親に恩を返していけばよいのだ


そんな事を考えさせてくれる広告だった。

今日を脱ぎ捨てる

2010年09月14日 17時20分19秒 | 波動
 昨日届いたヨガの定期通信。

珍しくまじめに隅々まで読んだら
なんだかとてもよさそうなことが書かれていました。


今、これを目にするのもまさに共時性?!

必要な時に必要なことがやってくる?!


なるほどと思いました。
実践して見て損はなさそうです。


と、いうことで
みなさんにもかいつまんでご紹介いたしましょう。


題して「今日をぬぎすてる カルマ、トラウマを取り去る方法」です。


人間誰しもが持っているコンプレックス、トラウマ、思い込み、後悔などは
カルマとなって
まるでバナナの皮のように
本来の私たちに覆いかぶさっている、のだそうで

この皮をバナナの皮を剥くように少しずつ剥いで行くと
中身はあの白くて甘くて柔らかいバナナのように
ハッピーになれる・・・んだそうです。



つまり、皮を脱ぎ捨てる!!
それだけでよいのだ!!・・・そうです。


ではどうしたら、皮が脱げるのか?


毎晩寝る前に一日の出来事を逆回ししながら
走馬灯のように思い浮かべる。



ただこれだけでよいのだそうです。

ただし!!この走馬灯を見るときに
再び後悔したり
哀しんだり
腹を立てたり喜んだり・・・
一切しない事が肝心です。


もし、そこで
そのときと同じような感情を持ってしまうと
カルマの皮を脱ぐどころか
カルマの重ね着をしてしまことになるそうです。



人は死ぬ時に人生の全てを走馬灯のように見るといわれています。

実際、最近死に目に会った私の知り合いは
普段は忘れているような出来事までをも
すべてを細かに夢に見た・・・と言っていました。


で、この走馬灯を見ているときに
心に引っかかる事があると
それをテーマにした事を経験するための来世に導かれるのだそうです。


ま、これは仏教的思想かもしれません。



波動的に言うと
人は死ぬと
同じ波動の集まりの世界へと導かれるそうです。

けれど、また、
死ぬ時の己の思いを
延々とエンドレスで経験する世界をも作り出し
己が気づいて
その考えを辞めなければ
ずっと同じ事を経験し続けるのだそうです。



だから
走馬灯を見るときに
何かに執着してはいけないのです。



ただ、眺めるだけ・・・
あんなこともあったな
こんなこともあったな


と、ただ眺めるのです。

そうすれば
己の波動と同じレベルのモノばかりの集まる
平和で安穏とした光の世界にいけるのだそうです。

いいですか?
ここで、間違っても感情を持ってはいけませんよ。

あくまでも
他人事を眺めるように
クールにやり過ごすのです。


もし
自分の感情や評価が入ってしまうと
その部分をもう一度生きた事になり
カルマの上塗りをしてしまうことになります。

重々、気をつけましょうね。



慣れるまでは
ちょっと難しいけれど
これを
毎晩実践するのだそうです。

今日体験した全てを逆回しに思い出し
けっして
感情の追体験をせず
ただ
淡々と思い出し
消去していくのです。


毎晩のほんの数分間の走馬灯で
その日のカルマを解消し
翌日
毎朝、
真新しい自分に生まれ変わるのだそうです。

そうして
カルマの皮を少しずつ脱ぎ捨てて
本来の楽しくて愛すべき自分に戻り
あの世に旅立つ時も
ハッピー、ありがとう!!で
出かけていくのです。


そうすれば、来世も
またいやな同じ経験をする・・・
なんていうことから
解放されるうえ、
毎日がとても楽しくなるのだそうです。





なるほどね。
起きた事は全て過ぎ去った事。

感じた瞬間にもう終わっていること。

その一瞬で
「はい、この体験おしまい!!」
と言えれば良いと言う事です。


ま、そんな神業は無理にしても
「一晩寝たら忘れる」ことは
心がけ次第で出来そうですね。


そのために
寝る前の走馬灯

私は試してみようと思います。

まずは、夫婦喧嘩を他人事のように冷静に傍観する事から始めるといたしましょう 


                      今日もお付き合い下さりありがとうございました。   感謝  

Temple de Jade カフェ   あけびの炒め物

2010年09月13日 11時30分51秒 | お料理
  はい、お久しぶりです。


本日もようこそTemple du Jadeへお越しくださいました。


今日は秋の便りの一品をご用意いたしました。

暑い暑いと言ってはいても 
季節は確実に移り変わっています。


長野県の駒ヶ根より
アケビの実の到来です 


あけびは中の種のところは白くて甘いので
そのままデザートとして
果物のように頂戴いたします。



そのあとです!!
大事なのは・・・・。


アケビの実のお料理といえば
ほとんどが「皮」によるものです。


苦味があってお子様は苦手かもしれませんけれど
お酒の肴にはよくあう一品となります。



本日は薄揚げと一緒に仕上げました。

まだまだ夜も蒸し暑いので
冷たく冷したビールと一緒に召し上がれ   




  

                    頂いたアケビです。
                    薄い紫色が
                    なんとも
                    日本の秋の色だなぁ、と思ったりします。
                    まだ緑の葉の色と実によく似合っています。


      
          アケビの皮と薄揚げの炒め物




   作り方 : 簡単です 
              5ミリほどに切って油で炒めキンピラゴボウや
              茄子の味噌いためのように
              お好みの味付けをしてください。
              当店では薄揚げと一緒に胡麻油で炒め
              酒、塩、味醂、七味とうがらしで味をつけました。
              芥子の実、松の実を散らしてあります。



 * アケビの実の皮は天ぷらが美味しいです。
   炒め物にすると茄子とゴーヤをあわせたような感じです。
   ですから、味付けや一緒にあわせるものは
   茄子炒めをお作りになるときのご自分流が最適なのではないでしょうか。



 季節を感じるメニューとして
当店では
一年に一度はお出ししたいメニューの一つです。



 残暑は厳しいですが
行く夏、来る秋を大切にお楽しみくださいね。

なんといっても
人生は今日の積み重ねなのですから・・・・・。



それでは、
本日もお越しくださり心より感謝申し上げます 

ご来店ありがとうございました