長らく更新をお休みしてしまいました。
ここのところ
ずいぶんと気分が重くなってしまって
自分で自分の心のありどころがわからなくなってしまい
戸惑って
苦しくて
なんだかむなしくて
ブログを書くことも出来なかったのです。
・・・心配してコメントくださった方
ありがとうございます
きっと
そうであろう事は予想できていながら
どうしても書けなかったのです。
心配してくださった方々
メールまで下さった方々
ありがとうございます。
ほんとうにありがとうございます。
感謝、感謝、感謝です。
理由を考えるに
それはいろいろあるのですが
結局は
「迷い」
だと思います。
なんだか
自分の信じる道が見えなくなり
わけもなく否定的になってしまい
何を書いても
うそのような気がしてきて
パソコンに向かう気がしなくなっていました。
最近
伊勢白山道の影響を受けすぎ
スピリチュアルをとおざけすぎていたゆえかもしれません。
と同時に
このところの世界の重い波動を
もろに受けてしまったのかもしれません。
このしんどかった時期に
いくつかの本を読みました。
その中に
「人生を変える波動の法則」ペニー・ピアース著
があります。
その本によると
私達はどうしても色々なものからの波動の影響を受けてしまうのだそうです。
わが夫のように
満月近くになると彼自身の意図とは関係なしに
超機嫌の悪くなる輩もいれば
低気圧の影響で頭が痛くなる人もいます。
さらには
見ず知らずの人の悲しみを感じて
わけもなく物悲しくなる日があったりもするらしいのです。
私たちはその日の自分の気分を
自分の体調や自分だけのせい
あるいは
自分と今かかわっている人だけのせいとして考えがちですが
本当は
微妙なところで
予想だにしない“他”からの影響をも受けてしまうのだそうです。
人も、動物も、木や花や鉱物や
そこにある机や本さえも
素粒子から出来ていて
それは波動を持っていて
他からの影響を受け
物事を記憶する力を持っている
・・・ということをかんがみれば
あたりまえのことではあるのですが
目には見えないし
直接触れることも出来ないので
そんなことはついつい忘れてしまいます。
でも、確かに私
北朝鮮と韓国の揉め事のあった前後
(もちろん新聞もテレビも遠ざけている私は
そんなこと全く知らないはずなのに)
どうしようもなく
気が重く
心がざわざわ、イライラしていました。
重い雨雲が垂れ込める日のように
暗くて
重たくて
うっとおしくて・・・・・
特に思い当たる理由もないのに
そんな風になる自分を
「成長が足りない」と
もてあましていたのです。
ま、
おかげで
この本を読んだのですが・・・
でも
そんなときにしなければいけないのは
原因を探すことではなく
自分の中にある「愛と光」の部分に入っていくことなのだそうです。
迷わず、否定せず、恐れず、
誰もが持っているはずの
自分自身のエネルギーの中心にある
愛と光を見つめ
それに満ちることなのだそうです。
伊勢白山道も
たくさんのスピリチュアルな人々も
必ず言っているのは
「私たちは本質が愛であり光である」
「本当の自分こそが自分のあり方を知っている
だから、他の言葉や力を頼るのではなく
自分自身の奥から来る言葉を信じなさい」
「神(大いなる存在=宇宙)は私たちの中に共存している」
「宇宙は一つであり、
その宇宙に存在するものすべてが一つのエネルギーであり
ゆえにわたしたちはみなつながっているのである」
ということです。
私には世界情勢を動かす力などはありません。
けれど
自分の心を愛と光で満たし
穏やかさに包まれ
今ある平和に感謝し
色々なところで起きている争いや悲しみに当面している人たちの波動に
人知れず愛と光を送ることは出来るのです。
重い波動に影響を受けるような日には
自分を責めたり
周りに攻撃的になったりせず
それが“他”からの影響かも知れないと懸念し
その影響を跳ね返すほどの
穏やかさと、愛と光を思い出すに限るのです。
それを
改めて意識させられ
それに専念しようとしていました。
でも
難しかったです。
一人で
自分の中に入り
自分を上げるのは難しいですね。
結局
こんなときは
「笑いが一番」
なのかもしれません。
健全な笑いを提供してくれるものをみたり
(他を侮蔑して笑いを取るような低俗なものはいけません)
大好きなことをしたり
明るい人と一緒に過ごすのが手っ取り早いような気がします。
つまり
健全に(この健全に、という事が大切です。享楽的な楽しみには注意しましょう)
楽しく過ごすことが
じぶんのしあわせであると同時に
他の人々の幸せにも繋がるという事でしょう。
こんな簡単な
至極当たり前のことを
何日もかけて実感していた私でした。
ここのところ
ずいぶんと気分が重くなってしまって
自分で自分の心のありどころがわからなくなってしまい
戸惑って
苦しくて
なんだかむなしくて
ブログを書くことも出来なかったのです。
・・・心配してコメントくださった方
ありがとうございます
きっと
そうであろう事は予想できていながら
どうしても書けなかったのです。
心配してくださった方々
メールまで下さった方々
ありがとうございます。
ほんとうにありがとうございます。
感謝、感謝、感謝です。
理由を考えるに
それはいろいろあるのですが
結局は
「迷い」
だと思います。
なんだか
自分の信じる道が見えなくなり
わけもなく否定的になってしまい
何を書いても
うそのような気がしてきて
パソコンに向かう気がしなくなっていました。
最近
伊勢白山道の影響を受けすぎ
スピリチュアルをとおざけすぎていたゆえかもしれません。
と同時に
このところの世界の重い波動を
もろに受けてしまったのかもしれません。
このしんどかった時期に
いくつかの本を読みました。
その中に
「人生を変える波動の法則」ペニー・ピアース著
があります。
その本によると
私達はどうしても色々なものからの波動の影響を受けてしまうのだそうです。
わが夫のように
満月近くになると彼自身の意図とは関係なしに
超機嫌の悪くなる輩もいれば
低気圧の影響で頭が痛くなる人もいます。
さらには
見ず知らずの人の悲しみを感じて
わけもなく物悲しくなる日があったりもするらしいのです。
私たちはその日の自分の気分を
自分の体調や自分だけのせい
あるいは
自分と今かかわっている人だけのせいとして考えがちですが
本当は
微妙なところで
予想だにしない“他”からの影響をも受けてしまうのだそうです。
人も、動物も、木や花や鉱物や
そこにある机や本さえも
素粒子から出来ていて
それは波動を持っていて
他からの影響を受け
物事を記憶する力を持っている
・・・ということをかんがみれば
あたりまえのことではあるのですが
目には見えないし
直接触れることも出来ないので
そんなことはついつい忘れてしまいます。
でも、確かに私
北朝鮮と韓国の揉め事のあった前後
(もちろん新聞もテレビも遠ざけている私は
そんなこと全く知らないはずなのに)
どうしようもなく
気が重く
心がざわざわ、イライラしていました。
重い雨雲が垂れ込める日のように
暗くて
重たくて
うっとおしくて・・・・・
特に思い当たる理由もないのに
そんな風になる自分を
「成長が足りない」と
もてあましていたのです。
ま、
おかげで
この本を読んだのですが・・・
でも
そんなときにしなければいけないのは
原因を探すことではなく
自分の中にある「愛と光」の部分に入っていくことなのだそうです。
迷わず、否定せず、恐れず、
誰もが持っているはずの
自分自身のエネルギーの中心にある
愛と光を見つめ
それに満ちることなのだそうです。
伊勢白山道も
たくさんのスピリチュアルな人々も
必ず言っているのは
「私たちは本質が愛であり光である」
「本当の自分こそが自分のあり方を知っている
だから、他の言葉や力を頼るのではなく
自分自身の奥から来る言葉を信じなさい」
「神(大いなる存在=宇宙)は私たちの中に共存している」
「宇宙は一つであり、
その宇宙に存在するものすべてが一つのエネルギーであり
ゆえにわたしたちはみなつながっているのである」
ということです。
私には世界情勢を動かす力などはありません。
けれど
自分の心を愛と光で満たし
穏やかさに包まれ
今ある平和に感謝し
色々なところで起きている争いや悲しみに当面している人たちの波動に
人知れず愛と光を送ることは出来るのです。
重い波動に影響を受けるような日には
自分を責めたり
周りに攻撃的になったりせず
それが“他”からの影響かも知れないと懸念し
その影響を跳ね返すほどの
穏やかさと、愛と光を思い出すに限るのです。
それを
改めて意識させられ
それに専念しようとしていました。
でも
難しかったです。
一人で
自分の中に入り
自分を上げるのは難しいですね。
結局
こんなときは
「笑いが一番」
なのかもしれません。
健全な笑いを提供してくれるものをみたり
(他を侮蔑して笑いを取るような低俗なものはいけません)
大好きなことをしたり
明るい人と一緒に過ごすのが手っ取り早いような気がします。
つまり
健全に(この健全に、という事が大切です。享楽的な楽しみには注意しましょう)
楽しく過ごすことが
じぶんのしあわせであると同時に
他の人々の幸せにも繋がるという事でしょう。
こんな簡単な
至極当たり前のことを
何日もかけて実感していた私でした。