幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

重たくて苦しいときは・・・

2010年11月30日 11時32分01秒 | 波動
長らく更新をお休みしてしまいました。

ここのところ
ずいぶんと気分が重くなってしまって
自分で自分の心のありどころがわからなくなってしまい
戸惑って
苦しくて
なんだかむなしくて
ブログを書くことも出来なかったのです。



・・・心配してコメントくださった方
ありがとうございます 

きっと
そうであろう事は予想できていながら
どうしても書けなかったのです。
心配してくださった方々
メールまで下さった方々
ありがとうございます。
ほんとうにありがとうございます。

感謝、感謝、感謝です。




理由を考えるに
それはいろいろあるのですが
結局は
「迷い」
だと思います。



なんだか
自分の信じる道が見えなくなり
わけもなく否定的になってしまい
何を書いても
うそのような気がしてきて
パソコンに向かう気がしなくなっていました。


最近
伊勢白山道の影響を受けすぎ
スピリチュアルをとおざけすぎていたゆえかもしれません。

と同時に
このところの世界の重い波動を
もろに受けてしまったのかもしれません。



このしんどかった時期に
いくつかの本を読みました。

その中に
「人生を変える波動の法則」ペニー・ピアース著
があります。


その本によると
私達はどうしても色々なものからの波動の影響を受けてしまうのだそうです。

わが夫のように
満月近くになると彼自身の意図とは関係なしに
超機嫌の悪くなる輩もいれば
低気圧の影響で頭が痛くなる人もいます。
さらには
見ず知らずの人の悲しみを感じて
わけもなく物悲しくなる日があったりもするらしいのです。


私たちはその日の自分の気分を
自分の体調や自分だけのせい
あるいは
自分と今かかわっている人だけのせいとして考えがちですが
本当は
微妙なところで
予想だにしない“他”からの影響をも受けてしまうのだそうです。



人も、動物も、木や花や鉱物や
そこにある机や本さえも
素粒子から出来ていて
それは波動を持っていて
他からの影響を受け
物事を記憶する力を持っている
・・・ということをかんがみれば
あたりまえのことではあるのですが
目には見えないし
直接触れることも出来ないので
そんなことはついつい忘れてしまいます。




でも、確かに私
北朝鮮と韓国の揉め事のあった前後
(もちろん新聞もテレビも遠ざけている私は
そんなこと全く知らないはずなのに)
どうしようもなく
気が重く
心がざわざわ、イライラしていました。

重い雨雲が垂れ込める日のように
暗くて
重たくて
うっとおしくて・・・・・


特に思い当たる理由もないのに
そんな風になる自分を
「成長が足りない」と
もてあましていたのです。


ま、
おかげで
この本を読んだのですが・・・



でも
そんなときにしなければいけないのは
原因を探すことではなく
自分の中にある「愛と光」の部分に入っていくことなのだそうです。


迷わず、否定せず、恐れず、
誰もが持っているはずの
自分自身のエネルギーの中心にある
愛と光を見つめ
それに満ちることなのだそうです。



伊勢白山道も
たくさんのスピリチュアルな人々も
必ず言っているのは

「私たちは本質が愛であり光である」

「本当の自分こそが自分のあり方を知っている
 だから、他の言葉や力を頼るのではなく
 自分自身の奥から来る言葉を信じなさい」

「神(大いなる存在=宇宙)は私たちの中に共存している」
「宇宙は一つであり、
 その宇宙に存在するものすべてが一つのエネルギーであり
 ゆえにわたしたちはみなつながっているのである」

ということです。




私には世界情勢を動かす力などはありません。



けれど
自分の心を愛と光で満たし
穏やかさに包まれ
今ある平和に感謝し
色々なところで起きている争いや悲しみに当面している人たちの波動に
人知れず愛と光を送ることは出来るのです。




重い波動に影響を受けるような日には
自分を責めたり
周りに攻撃的になったりせず
それが“他”からの影響かも知れないと懸念し
その影響を跳ね返すほどの
穏やかさと、愛と光を思い出すに限るのです。




それを
改めて意識させられ
それに専念しようとしていました。


でも
難しかったです。

一人で
自分の中に入り
自分を上げるのは難しいですね。



結局
こんなときは
「笑いが一番」
なのかもしれません。


健全な笑いを提供してくれるものをみたり
(他を侮蔑して笑いを取るような低俗なものはいけません)
大好きなことをしたり
明るい人と一緒に過ごすのが手っ取り早いような気がします。


つまり
健全に(この健全に、という事が大切です。享楽的な楽しみには注意しましょう)
楽しく過ごすことが
じぶんのしあわせであると同時に
他の人々の幸せにも繋がるという事でしょう。




こんな簡単な
至極当たり前のことを
何日もかけて実感していた私でした。

うなぎや騒動

2010年11月16日 15時07分52秒 | ひとりごと
 随分前の出来事で
とっくにアップしたと思っていたが
なんだか
まだみたいなので、ちょっと書いてみることにする。




その事件で
私の心に刺さった小さなとげを
昨日そのうなぎやに同行した友人が
見事に抜いてくれた 


ほんとうに
ほんの小さな
些細な言葉が
こんなにも人を楽にするとは・・・・・

言葉の力の大きさと
それが故の怖さを
あらためて感じた事件の結末だった 


それでは始めます。


 一色うなぎや騒動 




 去る6月の終わりごろ
あるレッスンのお仲間を率いて
うなぎやさんに行った。


インターネットで探して出かけた
初めての店だった。


愛知県は一色町にある「山水亭」


「どこの料亭?!」 

と見まごうほどの立派な塀で囲まれており

「ここでサッカーでもするの?」

というくらい広い芝生の庭   

おまけに人工の大きな滝まで造ってある。


店も新しく
仲居さんも皆感じがよい

しかも
肝心のうなぎはかなりうまい!!のだ 


メニューも
お昼間などは
手軽にいただける値段のものが用意されている。

いま、
私の中のうなぎやでは
かなりランクが上の店である 



その店にはじめて行ったその日
私たちはラストに近い客になった。


うなぎにも
接客にも
十分満足し、
もうそろそろ
腰を上げようと思いつつ
店の休憩時間までまだ間があったことと
話が弾んでいたこととで
ついつい長居してしまっていた。



と、
突然
初老の男性の大きな怒鳴り声が聞こえてきた 


みると
中座敷の前に仲居さんたちがずらりと整列し
下を向いてその怒鳴り声を聞いている。


「なあに?
 店長の仲居指導がはじまった?????」

「それにしても、私たちがまだいるのに・・・・・」

「なんて、嫌な店長でしょう」

「なにも、お客の前で指導しなくたってねぇ、
 私たちに早く帰れって事?!」

「なんて失礼な・・・・・感じ悪 


などと
みんな困惑顔。




そうこうするうちに
男の人の声はますます大きくなり
私たちはとてもいずらくなった。


「ちょっとひとこと言わなくちゃ・・・・・ね」

と思いながら
よくよくその声に耳を傾けると
それは
どうも客のクレームらしい。


その客が何時入ってきたのか
全く気づかなかったが
いつのまにか
私たちはラストではなくなっていたようだ。




申し訳ありませんでした」 

「申し訳ございません」 



ひたすらあやまる仲居さんたち。


「あやまってすむことじゃないだろ!!」

「俺はこの店に良くなってほしいから言ってるんだ!!」


ひぇ~~ 

恩着せがましい 


お店を良くしようと思って言ってるなら
言い方というものがあるでしょう?!


どう見たってあなたのはヒステリーとしかとれないけれど・・・・


第一、
ほかにお客がいるのに
平気でみんなを並ばせ
頭を下げさせ
高飛車な態度で
いったいなんだって言うの?!


おかげで
こっちまでいやぁ~な気分になっちゃったじゃないの 



と、
めちゃくちゃ怒鳴ってやりたくなった


事実
さっきまでのおいしいうなぎも
至極、機嫌の良い雰囲気も
全てが壊され
私たち全員が重い気分になっていた。



私は一番年長の連れに言った。

「何とかいってやってくださいよ!!
 正義を振りかざしたような事いってるけれど
 一番迷惑なのは彼自身じゃないですか」


「あらいやだ、私はそんなこととても言えませんよ。
 あなたがおっしゃって」


「それじゃあ、はるちゃん、がーんと一発言ってよ」

「無理無理、
 ああなったら
 かえってとばっちりを食うわよ」


「ゆうちゃんは?!」


「とてもとても・・・・・」


「・・・・・ももちゃんは・・・言えるはずないか」




結局
私たちはそれ以上
その怒鳴り声に耐えられず席を立つことにした。


しかし
店を出る為にはその現場の横を通らねばならない 


その男性は
ますますエスカレートし
まるで自分の怒鳴り声で余計に逆上していくような有様だった。


仲居さんたちは相変わらず謝り続け、
それでも許してもらえそうにない 





私は考えた。


なんとか
この場をおさめることは出来ないだろうか。



原因はどうであれ
彼は自分の言動が
何の関係もない私たちにまで悪影響を与えているという責任を
いかに償うのだろう。


「あなたのせいで
 私たちの大切な時間がだいなしよ!!
 どうしてくれるの!!」


と怒鳴りつけたい心境だった。

仲居さんたちもこのままではかわいそうだ。




そのとき私の胸の内にある言葉が浮かんだ。



「正しいことを言うときは
 相手を傷付けるものだとしっているほうがいい」


吉野弘の「祝婚歌」という詩の一節




「人にしたことは必ず自分に返ってくる」

これは宇宙の波動の原理。


今私が
憎む気持ちや蔑む気持ちで
彼をやり込めたら
それは彼を傷付けることになり
それでは
彼がしていることと同等になってしまう。


そして
その行為はいつか自分にも戻ってくる。



どうしたら
彼をあまり傷つけず
かつ彼の配慮のなさに気づかせることが出来るのだろうか。


空気を重くせずに
四方をまるくおさめる方法はないのだろうか。



頭の中がぐるぐる回り
心臓の鼓動が激しくなってきた。


もう彼のすぐ横まで来てしまっている。


うかばない!!  うかばない!!!  うかばない!!


でも、このまま
通り過ぎては
仲居さんたちを見捨てることになる。


それでは
きっと後で後悔する 






「ご主人様の大きなお声が
 私どもまでに棘のように刺さり
 私の心臓、ドキドキしてとっても苦しいですわ」




気がつくと
私は彼に向かい
にっこり笑って
そう言っていた 


その時
私の心臓は
本当に
口から飛び出しそうなくらい
ドキドキして苦しかった!!



「ほう、
 そんなに苦しいのなら
 心臓の薬買ってやろうか 




  

ぎぇ~~~

なんちゅうヤツ

はらたつぅ~ 



しかし
またもや
にっこり笑って言ってやった!!


「まっ、それにはおよびませんわ。

 仲居さん、ごちそうさま。
 お勘定、お願いします」





「は、はい    
 ありがとうございます」






それがきっかけとなり
仲居さんたちはチリヂリに持ち場へ戻ることが出来た。



男性も怒鳴ることをやめて
とっくに冷えてしまったうなぎを食べ始めた。



見ると
彼の前には
妻らしき女性がいて
ウナギに箸をつけることもせず
仲居さんたちと同じようにうなだれていた。



彼女には夫を制止する力はないのだろう。

きっと
彼女の夫は今日だけではなく
たびたびこんな風に見境がなくなるに違いない。


せっかくウナギを食べに来ても
これではおいしくもなんともあるまいに。


私だったら
彼と連れ立って出かけることさえ拒否するに違いない。

彼女は夫の行動を肯定しているようにも見えないが、
しかし、怖くて
とても制止することなどはできないのかもしれない 




結局
彼らは
その日の最後の客であった。



自分たちだけの空間で
あの
後味の悪さを彼らはどう始末したのだろう。


ウナギの味はどんなだったろう。



広い駐車場にはおそらく彼らのものと思われる車
プレジデントがポツリと停まっていた。







それにしても
・・・私はなぜ
あの場面に出くわしたのだろう。

私の何があの人をひきつけたのだろう。


あの人の中の何が
私に共鳴したのだろう。


私はこのことから何を学べといわれているのか。

私の行動の中に驕りはなかったのか。


もっと愛と笑いを持って治めることは出来なかったのか。


私は仲居さんは助けたものの
彼に恥をかかせ、いためつけたのではないだろうか。





それから二、三日、
私は心が重かった。





が、そんな思いも
時間と共に薄れ、忘れていった。





そして昨日、
友人を誘い
おいしいウナギと
友人の驚きの声を楽しみに
また、その店を訪れたのだった。




びっくりしたことに
あの時レジをうった仲居さんが
私のことを覚えていた。


私を一目見るなり
「あの時はありがとうございました」
と礼を言うではないか。



忘れていた苦い思いがよみがえり
私は恥ずかしくなった。




おまけに仲居頭までが
わざわざ礼を言いに来た。




「何をしてあげたの?????」


その様子に友人が尋ねる。




仕方がないので
今一悔いの残る
この一部始終を話した。





聞き終えた彼女は言った。


「よかったじゃん 

 きっと、そのおじさんも

 だれか、とめてくれ~~~

 状態だったのよ。

 私たちもよくあるでしょ?!

 子供を叱っていてエスカレートしちゃって

 “だれか、止めてよォ~”

 って、内心で叫んでいる時。


 きっとその人、それだったのよ。

 だから、あなたが止めてくれて

 その人もきっと助かったのよ 






そっか   


そういう見方もあるのね 


私、あの人に恥をかかせ、
傷つけたかもしれないと悔やんでいたけれど
もしかしたら、彼をも助けたのね 

そっかぁ~ 

よかったぁ 




つくづく
この友達を持ったことを感謝した。


ものの見方は360度
球状で無限


などと人には言いながら
やはり
己一人で考えることは偏りがあるという事を
今又思い知った。



感謝   感謝 である。

ステキなパパ

2010年11月13日 19時32分23秒 | 暮らし
 「イケメン」はさすが世情に疎い私でも知っていた。

が、恥ずかしいことに「イクメン」は
今日知りたてのほやほや 

どこかの知事さんとどこかの知事さんが
「男の育休」でバトルしているらしい 


そんなことを
遅まきながらに知った今日
私はステキな「イクメン」を見た。


うーん、 
あれを「イクメン」といってよいのかどうかは
ちょっと疑問ではあるけれど
とにかく
積極的に子育てに参加しているパパさんに会ったのだ 





私の今日のお仕事は 
ある幼稚園での
「親子でマナーを楽しく学ぶ集い」
の講師だった。


ほとんどが
母親と子供で参加する中
数組だけ
夫婦で参加してくださった。


そういう所に出てきてくれるパパたちは
たいていが
子供になつかれているし
子供のことを妻任せにはしていない。


私の話も熱心に聴いてくれる。


だからみんな、それなりにステキなのだが
たまたま
目に付いたパパさんとお嬢ちゃんを
見るとはなしに眺めていた。


ある物がないと思ったパパさんは
お嬢ちゃんにそれを探してくるように頼んだ。

彼女はすぐに指定された場所に探しに走った。



ところがその直後
パパさんは
それが
手元にあったことにきづく。


で、
パパさんはすぐにお嬢ちゃんに向かって叫んだ。


「○○ちゃん、あった、あったよ。 ありがとう 」




・・・・・それは至極自然で
まさしく「いつもの」呼びかけだと見受けられた。



一瞬
私にはそのイクメンパパが
とってもイケメンに見えた。



嬉しかった。

幼い子供が
ちゃんと人として尊重されているようで
嬉しかった。


幼い子供も
ちゃんと人として尊重できる父親であることが
とてもとても嬉しかった。




・・・・・今これを読んでくださっているあなたは
「そんなのあたりまえのこと」
とお思いになるかもしれない。


でも、
自分より力関係が下の者に
「ありがとう」が言えない人が多いのだ。

やってもらってあたりまえだったりするのだ。

他人には言えても
妻や子供にはたまにしか言わない人も
まだまだ多いのだ。


でも彼は
間髪いれずに
幼い娘へかけたことばに
ちゃんと「ありがとう」を入れていた。




なんだかとても嬉しくて
それを絶対に褒めたくて
思わずそばにいらした奥様に

「ステキなだんな様ですね」

と褒めてしまった。





「えっ?!
 どのへんがですかぁ~~~?????」


と奥様は彼をしげしげと見た。



彼は「エッヘン!!」
とばかりに胸を張った。



茶目っ気たっぷりのしぐさだった。





子供を丁寧に扱う若い親がいて
その若いカップルをより育てるのは
そのよさを認めて褒める他人であろうという老婆心から
私は大袈裟に彼の言動を褒めた。


そうして

「こんなステキなご主人でお幸せね。

 こんなステキな方とご夫婦だということは
 あなたもステキだからなんですよ。

 本当におしあわせですね。」

と付け加えた。

二人とも、
いえ
そばで聞いてらしたお嬢ちゃんを含めて
三人とも
とても嬉しそうだった。

そして
幸せそうに帰っていかれた。



その後姿を見送る私も
嬉しくて幸せだった。


イクメンが当たり前に言った幼い娘への日常の「ありがとう」は
それを見ていた他人の私をも幸せにしたのだ。


ステキなイクメンパパ

優しさと幸せをありがとう    

ご先祖様のお名前は?!

2010年11月12日 08時20分24秒 | 波動
 お久しぶりです

いつもお訪ね下さっている方々
ありがとうございます   

私のパソコン
調子が悪く
これは
娘のでアップしています。


ですから
こまめに書けず残念です。



この十日間にいろいろありましたが・・・・・

今日は友人が貸してくれた
大川知乃という人の
「もしもし、神様」
という本の一部
私の印象に残ったことを
かいつまんでご紹介いたしましょう 




この方は神様とお話ができ
神様のお姿がはっきりとお見えになる。


特に天照太御神様と仲が良い・・・・・

と、なんともまあ
羨ましいようなお話なのであります。


この本には
そういう神様方のお姿が
イラストで描かれています。

今まで
私が目にしたものとはえらく違っていらして
なんだかなじめませんが
まあ、
それも
キャッチする者の、
つまりこの場合
著者の大川知乃の波動に似る訳ですから
私の感覚にそぐわなくて当然なのですが・・・



友人はその神様のお姿に興味をそそられて
この本を購入し
私に貸してくれたわけですが
私にとっては
その部分はどうでもよいことでした。



ところが、
後半四分の一ほどに
今の私や
わたしの周りの人々に
とても必要と思われることが書かれていたのです。



やはり神様は
与えてくださるのですね。


ちゃんと
必要なときに必要な言葉をお与えくださいます。

ありがたいことです。





さてさて、
彼女によれば
私たちと神様をつなぐのは
ご先祖様や仏様方・・・・・


ですから
そこに
つまりや濁りがあると
上手く神様と繋がらない・・・
らしいのです。


この世で肉体を持つ者も
この世に肉体を持たない者も
想念はちゃんと存在していて
一つのものとして交わり
互いに影響を与え合うのだそうです。


ですから
浮かばれていない、成仏していないご先祖様がいる場合
それが現存している子孫の現実に悪影響を与えるし
また、
現存している子孫が心配やら愚痴やらばかりで生きていると
それがご先祖様へとつながり
ご先祖様も心が晴れない状態になるのだとか。


そうして、心が晴れない
その御先祖様の重い想いが
また、
現実界で生きている子孫に悪影響を及ぼす、

とまあ、
重ね重ねての悪循環が起こるのだそうです。


この悪循環を断ち切る為には
少なくとも
自分を二代さかのぼったご先祖様、
つまり
せめて祖父母の
できれば曽祖父母までの
名前や誕生日(もしくは命日)を意識して差し上げ
感謝の念を送る事が大切なのだそうです。


・・・これをお読みのあなた・・・
おじいさま、おばあさまのお名前とお誕生日
全部ご存知ですか??????

四人の名前、みんな言えますか?


おまけに、
結婚している方は
伴侶の分も請け負うとかで
合計八人分・・・ということになります。
(伴侶でなくても、性的に交わると、
 その相手に憑いているもろもろの想念にまで
 かかわることになるのだそうです。

 だから、たくさんお相手のいる人は
 なにかと、たいへんになるのですね 

 なんだか
 すごく納得    )





わたし・・・

恥ずかしながら
たった二人のみしかいえません。
それも
名前だけ・・・  



ああ、だから
伊勢白山道氏は
それをまとめて
「男のご先祖様」「女のご先祖様」として
だれにでも供養しやすいようにしているのでしょうね。



いつも申しますように
だからこそ
「ありがとうございます。
 だいじょうぶです。

 今日もしあわせです。
 感謝です。

 ラッキーでした」


を口癖にし
自分の波動を高めると同時に
ご先祖様を安心させてあげることが大事なのですね。




いくつかの本に書いてあります。

亡くなったすぐの方には「力」などないと。

だから
「お守りください」
などと祈ることは
それができないその方々に
不安と心配の種をおくることになり
その方々が成仏できないもとになると。


ご先祖が成仏できないと
その重い波動に引き寄せられる現象が
生きている子孫に起きてしまうのですって。


たいへんですね 

こまりますね 


ですから
生きている私たちが
色々なことを
先走って心配するのはよしましょうね。

苦しいときの神頼みもよしましょうね。

苦しいときも、
悲しいときも
生きて、息をして
今日あることを思えば
全て「おかげさま」になります。


欲を言うから愚痴になり
感謝を忘れるから不満が出る。

そうしてそれが
亡くなられた方の波動をも重くし
成仏を妨げ
自分の不幸をよびよせる!!



ああ、なんて
ばかばかしい!!



やっぱり
これしかありません!!



ありがとう、ありがとう、ありがとうございまーーーーーーーす   





皆様、
ご先祖様に感謝しましょうね。




今日も一日
かんしゃでーーーーーーす 

だいじょうぶ!!

安心して御成仏ください 

って。

たったそれだけのことです。
簡単ですよね。

お金も時間もかかりません。





そうして
いつも
忘れないでくださいね。

「ありがとう」が幸せをつれてくるのです    







ところで私
その本を読む1週間ほど前、
書類を整理していたら
30年も前の
婚姻届に必要だったのか、
なぜそれがあるのかよくは分からないのですが
夫と私の戸籍謄本が出てきたのです。


何気なく見ていると
私と夫のそれぞれの両親の名前と、
そのまた両親の名(つまり祖父母)が記載されていました。


以前にはあまりよく見なかったらしく
はじめて
「へぇーーー、おじいちゃんてこんな名前だったんだ」
などという思いをしました。


もちろん主人のほうの方々にいたっては
本当に「へぇーーー」
という感じでした。


それでも
なんとなく
捨てがたく
他の書類は破棄したのですが
その古い戸籍謄本だけは残したのでした。



全く偶然という必然にびっくりです。



大川知乃氏は
「せめて二代前までの家計図を書いて
 感謝の心で供養して差し上げてください」

と書いています。


八人中二人の名しか知らなかった私ですが
この謄本のお陰で
二代さかのぼった家計図が書けるのです 



このあまりにもジャストタイミングな偶然   

いかが思われますか・・・・・? 



さぁ、
さっそく
家計図を書いて
線香供養するときに
彼らのお名前も意識するといたしましょう


そして

「今日も
 おかげさまで
 こうして生かしていただいております。

 ありがとうございます」

と感謝の念を送ると致しましょう 



ブナの森へ

2010年11月04日 00時07分19秒 | 暮らし
 大好きな場所のひとつ
愛知県の茶臼山の「面の木園地」へ
ブナに逢いに行って来た。



 本当は福井の「刈り込み池」のブナの森へ行きたかったのだが
冬型気候の今日
「刈り込み池」辺りは雨の予報で・・・

断念して面の木にした。






園地の駐車場と道路を挟んだところに
小さな川が流れる遊歩道が整備されている。


私はそこが大好きで長時間
そこにいて退屈しない。





                  



もう、
随分前から
そこがお気に入りで
この季節になると
ブナのことが気にかかり
その懐に抱かれたくなるのだ。



あさ、まだ露が残る頃
現地に着いた。


気温6度

風は強く
メチャ寒い。


人も殆どいなくて
「気」が清い。


     



気持ちいい。


森は
たっぷりと水を含んだ感じがしている。





・・・・・でも
今年は熊さんが気になる。


カウベルを盛んに鳴らし
気をつけていた。



ブナの色葉は美しく澄んだ黄色である。  


                          





   
        これはブナの葉ではありません

・・・がしかし
今年は冴えが見られない。


鈍い黄色のまま散ろうとしていた。       

                     手前は楓、奥がブナ                         








落ちているブナの枝やホウ葉を拾ってきた。

しばし玄関にいけて楽しもう。


               





・・・・・それにしても今日はいやに車が多かった。

いつもは
秋といえどももっとまばらな人なのに・・・・



と思いながら帰宅して新聞を広げたら

            


「茶臼山 秋のモザイクくっきり」

と、カラー写真がおおきくのっていた   





          P.S. 明日から7日まで帰郷します。
               両親の家の雪囲いをしてきます。
               その間、お休み致します