幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

トマトとチーズの洋風うどん

2009年09月30日 21時26分18秒 | 暮らし
 三連チャンで、今日もまたまた、簡単メニューです。

材 料:完熟の甘酸っぱい美味しいトマト、ピザ用とろけるチーズ、細めのうどん、小松菜、きのこなども含めていろんな野菜、ブイヨン、塩、胡椒、ローリエの葉、おろし生姜、(あれば)バジル

作り方;①残り野菜など色々な野菜を薄く切って、ほんの少しの水と塩で蒸し煮する。
    ②土鍋にブイヨンで洋風スープを作る。(土鍋に八分目ほどのお湯を沸かして、ローリエの葉、①の蒸し野菜、おろし生姜をいれ、塩、胡椒、バジルで味を調える。
    ③トマトは皮を湯むきして、ざく切りにしておく。
    ④うどんを 固めににゆでる(くれぐれも、固めに)
    ⑤沸騰している②の中へ③④を入れ、上にとろけるチーズと刻んだ小松菜を入れすぐに火を消し、ふたをして食卓へ。(この時、トマトは淵の方に土鍋に沿っていれ、その内側へ小松菜を、さらに内側へチーズを入れるようにするとできあがりがきれいですよ)

   *うどんは人数分より一人前少なくし、お野菜をたっぷり入れるようにしましょう。たっぷり野菜のスープを食べるつもりで作ると、お腹いっぱいでもカロリーを少なくできますし、うどんが水分を吸って膨れてしまうのを防げますまた、讃岐うどんのように太い、しっかりした物はあまり合わないような気がします。稲庭のように薄めのつるりとした物がお勧めです。

   *うどんを食べてしまって、物足りなければ、ごはんを取り鉢に少しずつ入れてスープをたっぷりかけながら食べても美味しいです。この時も、ご飯を一度にたくさん入れず、少しずつ入れながら食べるのが美味しく頂くコツです

   *美味しいものを食べてもらうにはタイミングが大切ですね。皆が席に着いてから、⑤の作業をいたしましょうね。できあがってから呼び集めると食べ始める前にうどんがのびてしまいますよ。せっかくのお料理、美味しいタイミングで食べていただきましょう

   *寒い夜やあまり時間のないときなどに、一度お試しあれ

一年中お勧めご飯

2009年09月28日 15時45分56秒 | 暮らし
 先に「今更メニュー」をご紹介してしまいましたので、今度は「これからメニュー」をひとつお教えいたします。ま、これからというよりも、一年中OKご飯です。お弁当にもなります。
 実はこれ、もうずいぶん前に、「クッキングパパ」で仕入れたもののアレンジです。

材 料;熱々ご飯、おかか、とろけるチーズ、七味、醤油、小松菜の葉のまあるい部分(サラダ菜やレタスでもよい)

作り方;必要なだけの熱々ご飯をボールにとり、そこへ細かくちぎったとろけるチーズ、おかか、七味をそれぞれたっぷりいれます。さらに醤油を加えてよく混ぜます。これをお皿に盛り。小松菜の葉でくるんでいただきます。たったそれだけのことでごめんなさい・・・レタスやサラダ菜でもよいのですが、小松菜の葉のほうが癖がなく、栄養価も高いのでこちらをお勧めいたします。勿論、焼き海苔が合うのは言うまでもありません。ある料理の本には、これに、熱々の麦茶をかけて食べるお茶漬けが紹介されていました。お吸い物くらいのだし汁をかけてもおいしそうですね。
・・・でも、まずは小松菜でお試しあれ

今更、夏ご飯

2009年09月28日 14時47分42秒 | 暮らし
 今更ですが、なすと胡瓜を使ったカフェご飯のご紹介です
世の中、結構涼しくなっていますので、あまりお勧めできるものではないのですが、今日お昼に作ってしまった勢いでお教えしてしまいます。なんせ、私のメニューはレシピというものを残さないので、来年の夏では、きっとすっかり忘れてしまうでしょうから・・・。

材 料;温かいご飯、なす、きゅうり、桜海老、小ねぎ(あさつきや青紫蘇でもよい)、すりおろしにんにく(好みと都合で・・・)、醤油、味醂、酢、ラー油(ポン酢にみりんとラー油を混ぜてもOK)

作り方;①なす、きゅうりは細かく刻んで塩と酢を入れて柔らかくなるまで揉む。指先で優しく心を込めて揉んでくださいね。
    ②ご飯をお茶碗に盛り、絞った①をたっぷりのせる。その上から、桜海老、小口切りのねぎを散らす。
    ③おろしにんにく、醤油、味醂、酢、ラー油をよくまぜあわせ、②の上からかけていただく。


 *桜海老の代わりに刻んだカーシュナッツも合いますよ
紹介しておいてなんですが、なすも胡瓜も夏の食べ物で身体を冷やします。これからは、あまり食べないようにしましょうね

 *もやしをほんの少しの水と少しの塩で蒸し煮し、水にはとらず湯きりだけして、熱々のうちに、刻み味付け海苔とカボスの絞り汁をまぶしたものを付け合わせにします。これと上のご飯を一枚のお皿に盛り付けると益々、おうちカフェ風になります。

 *ごぼうを生ですりおろす。これにおろし生姜、鰹節、生味噌をこね合わせる。適宜、お椀に入れて、頂く寸前に熱々の熱湯を注ぐのですが、とてもさっぱりした味噌汁ができあがります。これも、一緒に頂けば、立派な定食の出来上がりです。ちなみに、この味噌汁、鰹節を入れずに作れば、風邪のひきだちの熱ざましになります。風邪の季節がやって来ます。なんだか微熱がありそうな夜は、ご飯を抜いて、この味噌汁を飲ませ、早めに寝かせてあげてください。結構効きますよ
(熱ざまし用には、味噌の中の酵素を殺さないようにするために、火にはかけないところがミソです)

風神神社

2009年09月27日 22時13分25秒 | 波動
 岐阜県中津川市の風神神社へ詣でてきた。
名前すら知らなかったこの神社に参拝したのは「数霊」の深田剛史のメッセージがきっかけだった。
「大金が必要なら天河神社へ、小金が必要なら風神神社へ」とあるメッセージに書いてあったのを目にしたのだ。お金はいつだって必要である。大金も小金も何でも欲しい・・・と、欲張ってはいけないのかな???

 まっ、今すぐに何かにお金が必要と言う訳ではないのだが、10月に天河へ参拝することが決まっている私は、なぜかその前に風神神社へ行って来なければ・・・と思ってしまったのだ。
  
 中央高速を恵那インターでおり、それから東(?)へ車で約30分、「これぞ日本のよき時代の農村風景」というような村を通り過ぎて、阿木川沿いをのぼって行く。鬱蒼とした山道はだんだんと細くなり、なんだか心細くなるような気配なのだが、しかし、近づくにつれて嬉しくて涙が出そうになってきた。それがなぜだかはもちろんわからない。

 どんな所なのか、何の神様なのか、全く予備知識もなしに尋ねてしまったのだが、なんと、そこは、まさしく風神様のお社だった。


鳥居の前にも、奥社にも風穴があるのだ。
特に奥社の磐座(いわくら)の前の風穴は大きく、ご神木に囲まれたその場は特別な気配があり、その場にいるとエネルギーが違いすぎるせいか、頭痛さえしてきた。


風穴自体は柵で囲まれており、すぐ近くへは行くことはできなかったが、柵の前では自ずとひざまづきたくなり、ひざまづいて目を閉じ、祈りをささげれば、涙がとどめなく流れて出た。そして、口をついて出てきた言葉は、ただただ「ありがとうございます」のみであった。

 参拝のしおりによれば、御祭神は天御柱神(あめのみはしらのかみ)、国御柱神(くにのみはしらのかみ)で、宇宙空間の大気全体を支配する神で、人間はもとより万物にいたるまで、この大神の恩徳に依らない者はないとのことである。

 私がなぜ、此処へ招かれたのかはわからない。けれど、確実に分かっているのは、此処を参拝させていただいた後、私の心がとても清々しく、なんとも言えぬ幸せと喜びに満ちていたということである。

 そして、そのあと、いろいろなプレゼントを頂いたという事もつけたしておく。

テッセンの花

2009年09月25日 13時24分52秒 | ひとりごと
 それは、はるか昔、わたしが子供の頃、そう、六、七歳の頃の記憶。

 村のはずれ近くに、大きなお屋敷があった。
大人が何人も手をつながねば抱えられないような太い欅が何本もそびえ、形のよい梅や松、椿などに加えて、薔薇さえもが植えられていた。
 正門は、まるでお寺かお城のように立派な物で、納屋をかねた塀がぐるりと屋敷を取り囲んでいた。その外にさらに庭があり、その庭と道とを区切っているのは1メートルくらいの高さにレンガを積み上げた洋風の塀で、ところどころに、美しくデザインされた黒い鉄製の柵がはめ込まれていた。

 その日は、夏休みだったのだろうか。お日様が真上にある時間帯だったように記憶している。

 屋敷の前は石畳の道、その道に平行して小さな用水が流れていた。お日様に照らされて、用水を流れる水がキラキラと輝いていた。
 用水の対岸は大きなクヌギやら、杉やらの雑木林で、ミンミンミンとうるさいほどに蝉が鳴いていた。うるさいほどに鳴いているのに、なぜか悲しいほど静かだった・・・と幼いわたしが記憶しているのだから不思議である。

 何の用事があったのか、わたしはそのお屋敷の前を通りかかった。いや、通りかかったのではないかもしれない。

 外塀の鉄柵にからみついて紫色のテッセンが咲いていた。
一重咲の、古代紫のてっせんが、言葉すくなに、けれど艶やかに何輪も咲いていた。
 幼いわたしがその前を通り過ぎる。濃き紫色のテッセンがわたしの目に入る。
わたしが花に手を伸ばす。我が物にしたいという思いが幼いわたしの心をいっぱいにする。
 けれど、その花はよそ様の屋敷の物、摘んではいけない事くらい当事のわたしにも分かっていた。わたしは、摘みたいという衝動をぐっと抑え、どうにかその場を動いた。相変わらず蝉はミンミンミンとやかましく鳴いていた。
 夏の昼下がり、ほとんどが百姓のこの村では丁度お昼ねタイム。出て歩く者はひとりとていない。
 わたしは再び鉄柵の前に立った。テッセンの紫色に見入る。指でその花びらに触れる。
 頭の中に母の声が響いた。
「たとえ花でも、よそ様のものを取れば泥棒なんだよ!!」

 どうも、わたしには美しい花を見るとつい手折ってしまう癖があったようで、よく母に叱られていた。人様の花を盗むと叱られると理解してからは、手折ってきた花を自分の家の石垣の、石と石の隙間に隠していたと、大きくなってから母に聞かされたものだ。

 結局、その日、わたしはテッセンの花の誘惑に勝つことはできなかった。
何度も行きつ戻りつしたあげく、一輪の花を盗んでしまったのだ。そのあと、どんなふうにそこを離れ、盗んだ花をどうしたのかは全く覚えてはいない。けれど、あの時の、時の止まったかのようなしずけさとテッセンの紫の美しさだけは、いつになっても鮮明なのである。

 この事を最近親しくなった人に話した。
二、三日後、その人が云った。
「あなたはテッセンに似ているね。・・・テッセンの花、ぼくは好きだよ」


 ふと、テッセンが絡み付いていた黒い鉄柵の美しさが浮かんだ。