教師をしている親友と半年ぶりにランチした。
高校からの友人で
同級の女性教師が教頭、校長へと出世するなか
彼女は「平」の現場が好きで
その試験さえ受けようとはしていない。
私はそんな彼女の生き方も素敵だと思っている。
オマケに彼女は
ある意味「天然ボケ」なところもあり
万年子供的なおもしろさがある。
一番良いところはとっても素直だということだ。
ただ、残念な事に
彼女には、心配性なところがあり、「愚痴」をたっぷり溜める癖がある。
だから
その「愚痴」を吐き出す相手が欲しくなるのだ。
普段は同僚たちと「愚痴」を言い合い、共感しあって
翌日への精気を養っている・・・
とは、本人の弁明だ。
その日
彼女は私の顔を見るなり
自分の仕事の話をしだした。
4月から
今までより、町の中にある大きな学校へと転任になり
まだ要領がつかめなくて大変なのだ。
最初のうちは
同情して聞いていた。
事務手続きの違いや同僚たちへの気遣い、
確かに
新しく入った者は一年ほどは小さくなっていなければならないだろう。
ところが
それなりの歳になっているから
仕事だけはたくさんまわされる。
そこでまた、負担と混乱が生まれてくるのである。
ああ、考えただけでも大変そう
だいたい、今時
学校教師ほど大変な職業もあるまい。
上からの圧力、モンスターペアレント、
信じられないような言動の子供たち・・・
マイナス面だけを考えれば
絶対になりたくない仕事の一つだ。
何を好き好んで!!・・・とさえ言いたくなる。
けれど
その仕事にさえ、いい面はあるはずだ。
でなければ、
世の中の教師は成る者がいなくなる。
大変で、苦労も多いけれど、
得るものもたくさんあるから
多くの人が今なお、その職業に従事していられるのではないだろうか。
(もちろん、ノイローゼになって辞める人もいるが )
彼女の愚痴は延々と続いた。
それでも私はそんなに苦ではなかった。
が!!
彼女の話が児童への否定と投げやりな対処に及んだ時
私は切れた
自分に与えられた大切な事柄を
「否定的に捕らえる」態度に腹が立ったのだ。
今までも
私はこのブログに書いてきたような事を
機会があるたびに彼女に話してきた。
心配や不安は何の特にもならないし
むしろそういう現状を引き起こしてしまうのだから
考えるのなら「良い」映像を浮かべよ、と。
ところが彼女は
その時も
クラスの問題児を否定し
その子が起こすであろう事件を口にしたのだ。
そうして
それが起きた時の自分の態度さえ口にしたのだ。
まったく、投げやりで否定的な態度を、だ。
心にイメージした事は起き得る
という事を忘れてはならない。
自分が幸せになり
人が幸せである為には
自分の思考に留意しなければならない。
彼女のように教師として児童に影響を与える立場にあるものが
その子の近未来を
「最悪」の映像で予想することは
絶対にしてはならないのだ。
その事を私から聞きながらも
自分に許してしまっている彼女に
私は怒りを覚えた。
で、その事に切れて、彼女に告げた・・・つもりだった。
が、切れた私の言葉はすでに冷静さを失い
本意を彼女に伝える力はなかった。
愚痴を延々と聞かされて
私が切れた・・・と、彼女はとった。
そうして、言った。
「ごめんね、
愚痴でも言わないと溜まる一方で辛くなるの。
聞いてもらうだけでよかった。
全部吐き出してしまえば、楽になって明日への活力が沸いてくるもの。
保健の先生とはそうしあっている。
・・・もう、二度と、あなたには言わない」
と。
友達として、黙って聞いてあげればよかったのかもしれない。
会うたびに、彼女は必ず不安や困りごと、愚痴を話す。
それを黙って聞いてあげるのが優しさなのかもしれない。
それでも、大切な友人だからこそ思ってしまうのだ。
「愚痴」は何の救いにもならないんだよ。
そもそも
「愚痴」を溜め込むような「思考の仕方」に問題があり、
「愚痴」を溜め込まない考え方をしない限り
吐いても吐いても、溜まり続けるんだよ。
「愚痴」にはたくさんの毒素があって
それを聞かされた者、
つまり、聞いてくれている相手はもちろんのこと
それを言った本人もその「愚痴」の毒素に
どんどん冒されていくんだよ。
その「愚痴」を一番たくさん、一番近いところで聞いているのは
言っている本人自身なんだよ。
だから、言えば言うほど
その現象から逃れられなくなるんだよ。
「愚痴」は吐く事よりも溜めない考え方に変換することの方が大事。
そして、その「考え方」は「性格」ではなく
訓練なんだよ。
長い年月の間に「愚痴る」思考回路は誰かによって訓練されてきたものなの。
だから
「愚痴など溜まりもしない」思考回路も訓練によって育成されるんだよ。
・・・って。
「愚痴」は不幸を招くけれど
「幸せ」は思考回路の訓練でいくらでも作り出せるんだよ。
・・・って。
それでも、きっと彼女は言うかもしれない。
「・・・でも」
って。