幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

わさおと太郎

2009年07月30日 21時45分58秒 | 波動
今、人気のぶさいく癒し犬「わさお」と「太郎」
・・・テレビはもちろん、新聞も週刊誌も全く見ない私は、今日初めて彼らの存在を知った。太郎君の散髪姿がブログのトップに掲載されており、思わず開いてしまったのだ。

 いまさらだが・・・
かわい~~~~~~い!!全くかわいい!!!
わさおも太郎も癒し度満点、ほんとにかわいい!!!
野良犬だったわさおを救った(?)飼い主、売り物にならなかった太郎をおまけにもらった飼い主、どちらもえらい!!
なんだか、あまりに似ているのでこの二匹の波動を抽象画に降ろしてみた。
それが今日の写真である。

本家「わさお」


大阪の「太郎」

 やっぱり似てまんなぁ~~~~
天と地とを結ぶ癒しの力を取り入れるチャクラの色、「緑」が和みの「輪」になっている。
えらいなぁ、この二匹。存在価値充分。
太郎君の散髪した姿を見て、大きな声で笑ってしまった。全く、可愛すぎるよ。

 私も、彼らのように、存在そのものが癒しになれる日が来るだろうか。

 それにしても、こんなに楽しく癒されて、今日も幸せな一日だ。感謝!弥栄!!

iいい女

2009年07月29日 23時52分33秒 | ひとりごと
 玉村咏という染色のアーティストと御縁がつながった。私好みの素敵な作品を作る人である。ホテルニューオータニのロビーやスィートルームにその作品が飾られている。その彼が「いい女」をこう語っている。

 私は男です。当然女の人が好きです。笑みを絶やさない女性が本当に素敵だと思います。それも人生を積まれた女性の笑顔が一番魅力的だと思っています。
 私は着物を作っていますが、若い方のものは頼まれなければ殆ど作りません。
 なぜなら、命が輝いている若い女性はそれだけで美しいと思っているからです。溌剌とした輝きを持つ女性は、それだけで十分なのです。
 人は時間をかけて学び、努力し、時を経て苦労を乗り越え、楽しいひと時を数多く経験する中で、豊かな温かみのある心を持つ事ができるのです。様々な時間を経ることで、真に身についた柔和な深い眼差しに比べれば、身体の衰えなどさして重要な事ではないでしょう。
 しかし多くの女性はむしろ、後者の方を気にするようです。若い頃の肌理の細かさを思い出して、張りのある艶のことを懐かしがるようです。でもその事とひきかえに得られる心の豊かさの事をもう少し考えて見ましょう。ーー中略ーー
 心豊かに明るく朗らかに暮らすことが、これからのあなた自身と、貴女を取り囲む人たちにとって、どんなに大切なのかを知るために・・・後略

 すでに50歳を超えた私は、まさに彼の言うように、肌の張りが恋しく、豊かでむっちりしていた胸を取り返したいとしばしば思う。ま、今はそれができない世の中ではない。しかしそこまでしようとも思いはしないのだが・・・。 
 そんな自分が顔を出すとき、いつも思い出す言葉がある。確かイギリスの詩人の詩であった。
  女二人行く
  若きは麗し
  老いたるはなほ麗し
 (と言うような内容であるが、正確ではないかも・・・)

 そんなふうに、年を重ねる女性でありたいとは思っている。そして、実際に私が心から魅せられる美しい人たちは皆、年配である。私自身、肌の張りを失う変わりに私なりの心の豊かさを手に入れていることは実感している。二十歳代の私より今の私のほうがずっと好きである。
 けれど、残念ながら、我が幼き夫は、若くてピチピチの、おっぱいの大きい女を好む。ゆえに私は、今の自分が好きでありながらも堂々と胸を張ることができないでいる。世の中の男達が皆、玉村咏のように「分かる男」であれば、世の女性達はもっと違った努力をするであろうにと、とても残念に思う。あー、男達よ、早く、分かる男になっておくれ!!!君達も真に豊かになってくれ!!!

 ・・・しかし、玉村咏様、きっとあなたも、若くて美しい女性にフラフラする時もあるのでしょうね。いえいえ、責めているのではありません。だって、この私でさえ、若きもの達の肌の張りの美しさにフラフラしますもの。男なら是非もあるまい。その気持ち十分理解できまするぞよ。
 あなたのように言ってくださる男性が存在するだけでも嬉しいですね。

 女性の皆さん、年を重ねてこそ美しくなれる自分を意識して、日々精進いたしましょうね。

・・・ちなみに、地球がアセンションする時に一緒にアセンションできるのは、愛と光に満ちたとても高い波動の人たちだけだそうな・・・。
 

お帰りなさいの効果

2009年07月28日 22時13分20秒 | ひとりごと
言葉には言霊がある、というのはもう皆さんもご存知であろう。

「お帰りなさい」には、その日一日の穢れを落とす効果があるのだそうだ。
外ではいろいろの事がある。嫌な思いや悔しい思いもしてきた事だろう。
それを払い落とし、優しく包み込む効果があるのだとか。だから、「いってらっしゃい」と同じくらい心を込めて「お帰りなさい」をいってあげるとよいのだとか。しかも、こちらから先に声をかけてあげる事がより効果的なのだそうだ。

・・・あなたは今日、誰かに、心を込めて「お帰りなさい」を言いましたか。

気持ちの良い涙

2009年07月21日 08時47分20秒 | 波動
19、20日と京都を訪れた。目的はあるライブコンサートに参加するためであった。その日程を全て流れに任せ、頂くものに意味を見出し、感謝して受け止めた結果、今回の京都はけっしてライブのためではなく、私自身の心の浄めのためであった。

そんな京都での体験をおいおい書いていきたいと思うが、今日はまず祇園さん・・・つまり八坂神社で耳にした事をお話したい。

小学校低学年とおぼしき女の子とそのおばあちゃまの会話である。
「おばあちゃん涙出てはる!」
「そやねん、ココへ来ると気持ちがいいさかい、おばあちゃん、いつも涙が出てしまうねん。」

おばあちぁまも女の子も、すぐ近所からいらしたような気軽な服装。
とりわけ信心深いとか、なにかスピリチュアル的の事柄に関係しているとか、そんな風情は全くない。孫に指摘されてやや恥ずかしそうに両手で涙を拭う姿などは本当に「どこにでもいるただの人」である。
その老人が八坂さんの本殿にお参りし、気持ちよくて涙を流しているのだ。
八坂さんがすごいのか、老人がすごいのか。
・・・ちなみに、すでにその時間には観光客もかなり参拝しており、境内に荘厳な雰囲気が満ちているとは言いがたい状態であった。

私は最近、自分の涙で物事を判断する事が多い。
有名な名画を見てもただ「ふう~~~~ん」としか思えない時もあれば、無名の作家の絵に涙がぽろぽろ流れてしようがない時がある。そんな時はその名画より無名の作家の絵のほうが、私にとっては意味があるのだ。
神社に詣でても、涙が出るときと出ないときがあり、出た時は天の意思と何らかの形でつながったと思う事にしている。特に、哀しくも嬉しくもないのに涙が勝手に流れる時は、顕在意識の私が気づかぬところで、私の細胞たちが反応してくれているのだと信じ、その涙が止まるまで甘んじてその状態を受け止める事にしているのだ。往々にして、それは気持ちのよい事が多い。

先の、おばあちゃまはこのような事を意識してはいらっしやらないかもしれない。
けれど、彼女は長年の年を重ね、ちゃんとエネルギーを受け止める身体になってきているのだ。意識しようがしまいが彼女の60兆個の細胞たちはちゃんと八坂さんのエネルギーを貰い、彼女の潜在意識を浄めたのだ。あるいは、神の意思と繋がったたのかもしれない。

八坂さんの主祭神はスサノオノミコトである。


悩んじゃソンソン

2009年07月18日 21時14分28秒 | 波動
久しぶりの友人に会った。
彼女とは三十年近い付き合いになる。とは言っても年に数回合う程度なのだが・・・。

会ってすぐ、私の「どう?」の一言に返って来たのは、「もう、たいへん!胃薬飲んでるわよ。」の言葉。聞けば上司と後輩の間に立って、どちらかといえば後輩に同情し、上司に抗議したりしているとの事。おまけに、彼女が指導せねばならないその後輩は、自分で考えると言う事をあまりせず、一から十まで全てを彼女に聞いてくるらしい。その結果、彼女は胃が痛くなり、胃薬を飲む羽目になっているのである。

 第三者の私から見れば、原因はその後輩の物事の捉え方にある。
何日か前にも書いたが、起きている事象はたったひとつ。けれど、それに対する捉え方は球体状に無限に在るのだ。どの面から見るかで良くもなるし悪くもなる。正義にもなれば、悪にもなるのだ。だから、自分の見方の癖に捉われていると、人によってはいつも理不尽な事ばかりが起きてくる事になる。そして、それを誰かのせいにして、その人を悪者扱いして責めたり批判したりしていると、どんどんアンラッキーな流れに乗ってしまうのだ。それが、宇宙の法則のひとつだから。
今、私の友人たちは、まさにそのアンラッキーの流れの中におり、そのせいで友人は胃潰瘍にまでなりかけているのだ。

 自分の要望や計画に固執せず、与えられた事柄を全てチャンスと捉える発想の転換のしなやかさが必要なのだ。「流れに乗る」の項で書いた様に、今、目の前に来た事からラッキーをさがす・・・例え、思惑と違っていてもそれこそが今、最っも自分に必要な事なのだと信じて感謝して受け止める、それをしない限り、おそらくその後輩は幸せにはなれないに違いない。
そして、わが友人も、そんな後輩と一緒になって不平不満を募らせている限り、健康にはなれないであろう。

 昔書き留めた宮本亜門の言葉に「人生は悩んでいるほど長くはない。悩まなければそれですむ」というのがあった。

 胃薬を飲んでいる友人に私は言った。
「彼女の困難は彼女が成長するためのもの。受け止め方の違いを見せてあげるのは大事だけれど、何とかしてあげようなんて思うのはおこがましい。一緒になって怒って悩んで挙句の果てに身体壊すなんてそんなのソンソン!」

 人生は喜怒哀楽を味わうためにある。嬉しい事も嫌な事も逃げないで、たっぷりと味わいましょう。ただ、苦しい時はその苦しんでいる自分を冷静に見つめる自分を創って欲しい。そして、「頑張って体験しているね。必ず乗り越えられるからね。あれも自分には必要な経験だった・・・と思える日が必ず来るからね。」と、自分を褒めてあげて欲しい。

 でも、人生は短い。悩んでいる暇はない。物事は球体状に捉え方がある。見方を変えて、受け止め方を変えて、与えられる事に感謝して。自分を信じて、お陰様たちを信じて、それでもって悩むのなんかやめちゃおう!!止めちゃえばそれで済む!!!