幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

野歩きの楽しみ

2014年10月27日 09時39分12秒 | 暮らし
 土曜日の朝、目が覚めたときにはお空は真っ青!!

 こんな良いお天気の休日に朝寝坊なんてもったいない!!
即、夫をたたき起こし郊外へ散歩に出かける。


 そんな時必ず言う言葉。

「寝るのは午後にして!!
 こんないい朝を寝て過ごすなんてもったいなさすぎるわ。

 帰ってきてからいくらでもお昼寝すればいいから、ね」



 夫は、朝寝をした休日は必ず機嫌が悪くなる(自分では気づいていないが・・・・・)
寝坊をすると、当然ウォーキングはしないし、ヨガもやらない。
前日も10時半頃には寝ているから
寝過ぎで頭はボーっとし、身体はどよんとしている。

おまけに、リフレッシュの体操もせず、朝のクレドも唱えないわけだから
機嫌が良いはずがないのだ。


 だから、せっかくのお休みを二人でご機嫌に過ごすには
いつもと同じように
朝起きをして、身体を動かし
声を出して、新鮮なエネルギーを取り入れるに限る。




 というわけで、

「さあ、神様からのプレゼントのお天気!!
 おいしい空気を吸いに出かけましょう!!」

 と、熱いお茶だけ持って車に乗り込む。



 行先は?
・・・・・う~~~~~~ん、
としばし考えて一番最初に浮かんだ所。


それは車で10分ほどの近場の田圃道であったり
2時間ほどかかる観光地であったり。



 とにかく一番最初に浮かんだところが、今日の絶好の場所
と、決めているから、いつも満足して帰ってこれる。




 そして、
せっかく自然豊かなところへ行ったのだから
必ず、そこで、お土産を探す。


 お土産は自然の恵み、神様からのプレゼント。



 目を皿にし、
嗅覚を働かせ
きっとあると信じてあたりを見回していると・・・・・・


あるあるある・・・・・

 アケビがちょっと上の方の枝にからまってなっている。
やや、とりにくい場所にあるそれを
どうにかして採ろうと夫婦して頑張る。
それが良いのだ。
そこに、連帯感が生まれ
共通の達成感を味わえるというもの。


 口に頬張り
種をブブッと吐き出し

「おいしいね」

と言ってみる。


 おいしいものがごまんとある昨今
このアケビが本当においしいのかどうかは疑問だけれど
買ったものではなく自然の恵みを頂いたもの、
二人して背伸びして工夫して手に入れたもの・・・

とにかく

「おいしいね。得しちゃったね」

の気分になってみることが大切なのだ。


そうすると、たったそれだけのことが
すご~~~く幸せに思えてきちゃうもの。




 お次はむかご。
黄色くなった山芋のつるは
意外とどこにでもある。

近づいてよくよく見ると
むかごがなっているかどうかがわかる。


 もしなっていたなら、そっと、
そおーっと、優しく一つずつ採っていく。


「やったね!!
 ラッキー!!

 今夜はむかごご飯が食べられるね」

何て言いながら、ふたりして採っていくところに価値がある。

大きなむかごがぽろっと落ちてしまって
なんだかとっても損した気分で悔しくなったりするのを
ふたりで共感できるところが醍醐味なのだ。


 そうしてここでもつぶやいてみる。


「こんなお天気に恵まれて
 こんな風に二人でむかごを摘むことができて
 何て幸せなんでしょう!!

 おかげさまですねぇ~~~」


「今夜はむかごご飯が食べられますねぇ。

 こんなに秋の恵みが頂けるなんて
 今日はなんてしあわせな良い日!!」



 こんな言葉を繰り返しているうちに
脳は、どんどん幸せモードへと入っていく。


 途中に朴の葉が落ちていればそれも拾いましょう。
近いうちに朴葉味噌のお夕飯が頂けますね。

 野菊が咲いていたから、これも少し頂いて
ビニールの袋に入れ
水分が逃げないように口をしっかりくくります。

こうしておけば、半日やそこらは大丈夫。
丁度、テーブルの上にお花が欲しかったところ・・・・・





 数え上げればきりがない。

 美しい紅葉を二人で拾って
夕飯のお皿の色添えにしても素敵だし
クリの毬なら玄関に飾りましょう。


 熟した山柿はひとつもいでその場でじゅるじゅる。
櫟(いちい)の実だっておいしいんです。




 秋の空気の中で何かがはぜる音が静かに響きます。
コトン、とドングリの落ちた音。


田んぼの畔にどかんとすわり、
持ってきたお茶でティータイム。


 郊外の空はとっても広くて
空気もおいしくて、
赤とんぼがお膝に止まってくれたりしたときには
もう、幸せの絶頂です❤❤❤



 赤とんぼ人を選びて妻の膝
  
         山口青邨



生きて仰ぐ空の高さよ赤とんぼ
                 夏目漱石

無理をしないで引き寄せる

2014年10月22日 10時43分19秒 | 波動


寝る前に毎晩唱える
 「幸せの祝文(じゅもん)」

              姫ママ 著   サンマーク出版


 という本を出版した。

 毎日一つの祝文(じゅもん)を三回唱えて眠りにつくためのもの。

 31日分が素敵な波動画と共におさめられている。
また、どうしてその祝文がいいのかもちゃんと解説されている。


 なんといっても絵が可愛い。
自分で言うのもなんだけれど
神様が降ろしてくださった絵はどれもキラキラしていて癒される。

 まあ、決して技法のある上手な絵ではないけれど
パワーはしっかり入っていて
それを眺めているだけでエネルギーが入ってくるようだ。


 絵と一緒に書かれている短い祝文を三回
声に出して唱えて眠る。
それを毎日繰り返しているうちに
何だか知らないけれどラッキーになってくる。


とまあ、そういうからくりの本なのである。


 前から順番に続けてもいいし
アトランダムに開いたページのを唱える、
というやり方でもいい。
とにかく
毎日、毎晩、その本の中のどれか一つ
祝文を唱え続けるのだ。


 人によって個人差はあるだろうけれど
早ければ一か月
遅くても1年2年で
その人の日常は飛躍するに違いないのだ。


 そんな、楽しくて、美しくて、便利なお役立ち本である。

 




 お陰様で発売と共に好評で増刷も決まった。
講演依頼も来始めた。


 でも、がむしゃらに働きたくない私は本当に必要なものしか受けない。
本当に必要かどうかは内在神が決めてくださる。
いわゆる「直観と成り行き」である。

必要ならば直観的にOKを出しているし
不要ならば何らかの都合で受けられなくなるはずなのだ。

 家族との時間や、自分のしたいことを後回しには絶対にしない。


 今生においてまず私がなすべきことは
夫と納得いくまで睦まじく暮らすこと・・・・・という気が最近してきたから
それをとことんやってみようと思っている。
だから、先ずは夫との時間を大切にする。


 それから娘ともとことん感動を共有する。
喜怒哀楽、いろんなことを共に体験したい。
だから、彼女との時間も削ったりはしない。


 そうしていながら
ゆったりと、自然を堪能し、「中今」を忘れず
日々を丁寧に積み上げていきたいと思っている。



 お陰様で、本が売れるので必要経費には困らない。
してみたいことはちゃんとできるだけのお金が回ってくる。

 時々の講演で素敵な人たちとも出会い
人様に喜んでいただくこともできている。


 山々が遠くに見えるのびやかな地にあるアトリエで
こうして文章を書いたり、波動画を下ろさせていただいたりしながら
私は私らしい、満足のいく今生を過ごしているのだ。





 ・・・・・なんて、60歳ごろの私が本当に書いていたらいいなぁ~~~~~~~

 これは、そうなってくれるようにと
思考の現実化を図っての妄想文。


こうなるかもね・・・・・・くらいのゆるやか~~~~~~な引き寄せの法則を使ってみました。


ここまで読んでくださった皆様ごめんなさいね。
拍子抜け?しました?????


 でもね、いつか、きっとそうなると思うんです。
いえ、実際に「幸せの祝文」はもう書き上げてありますので
そう遠くはない現実になるのではないかと思うんですよね。



 ただ、あまりそれにこだわると
返って遠ざけてしまうことになるので
今日からは次の本の執筆に取り掛かろうと思っています。



 私の本が世の中のお役にたてるならばきっと近々出版の運びになるでしょう。
そうだといいなと願いながら
後は神様まかせ。


 私は緩やか~に引き寄せの法則を使いながら
自分のお陰様たちを信じるだけ。


 全ては真我の私にとって良い方向に導かれているはずなのですから。
結果がどうあれ、私はいつだって幸せですし
いつだって順調なのです。


 今生で決めた目的に向かってちゃんと導かれ進歩しているって信じているから
何の不安も心配もありません。


 ただ、上記の文章が現実になり

「ほうら、やっぱりね」

 と、ニンマリすることが今の一番の楽しみ、かな。
 






 

人を傷つけるということ

2014年10月20日 18時16分06秒 | ひとりごと
 ある人に勧められてアサーションの本を何冊か読んだ。

 それで、びっくりしたこと。すくわれたこと。


「人を傷つけないのは絶対不可能」と思えばよいということ。

つまり「人を傷つけることもある」と思っていればよいのだ。


 



ずっと、ずっと
自分の言葉の使い方をコンプレックスとして生きてきた。

自分んでいうのもなんだが、私は優しい。
でも、私の言葉遣いはやさしくない、らしい。
それによってよく誤解を招き、人を傷つけてきた・・・・・らしい。


 それを、自分の欠点だとずっと思ってきたし
他人からはよく批難され指摘されてきた。


そして、人を傷つけることは大きな罪であり
そういう言葉遣いをしてしまう自分ずっと責めてきたのだ。





 もちろん、誤解を招かぬ表現方法を身に着けるに越したことはない。
誰とでも仲良くできる方が楽しいだろう。


 が、だからといって、できない自分を悪者扱いにしたり、責めたりする必要はない
というのだ。



 傷つくかつかないかはその人次第。
同じ言葉にも傷つく人もいれば
何も感じない人もいるのだから。

だから、傷つけることを怖がるな
人は傷つくこともある、
という程度でよいらしい。


 故意的に傷つけてやろうとしたのでなければ
それほど自分を責めることはない、という。





 なんだかほっとした。
これを言うとまた傷つけるかもしれない、と
いつもビクビクして言葉を選び、
それでも選び損ねて相手を傷つけてしまうことがある。



 でも考えてみれば
受け止め方など十人十色

相手の考え方の癖が
何の意図もない言葉を悪意へと変えてしまうことも多い。


 みんなに好かれる方が良い人・・・という考え方を改めさえすれば
そうして、故意的に悪意を持った言葉でなければ
仮にお相手を傷つけることがあっても仕方ないのだ。



 この考え方を今後は採用することにした。
批難されても、自分にやましさがないなら苦にすることをやめよう。


なるべく心がけはするけれど
「傷つける」ことをおそれて言うべき言葉を飲み込むのはやめよう。



 言葉は光透波
美しい言葉を選択し
心を込めて言ったとしても
その光が届かなかったのなら仕方ない。


お相手の壁のことまで自分の責任にし、責めるのはやめる!!






簡単お掃除

2014年10月20日 18時02分22秒 | 暮らし
 賢い主婦の間ではそんなこと常識なのかもしれない。
でも、時世に疎い私にとっては
最近の知ったばかりの超ヒット情報!!


超簡単手抜きお掃除法

 少量の重曹をスプレー容器に入れて水を加え
 よく振ってとかす

 お料理する前にその重曹水をガスレンジの表面にスプレーしておく
 熱が加わったりすると白く粉を吹くが気にしない

 あとはフツーにお料理する

 油が跳ねたり
 お汁が飛んだりしても
 さっと濡れ布巾で拭くだけで元通り綺麗

 後から吹きかけてお掃除してもよいのだが
 先にかけて置いた方がより簡単できれいになる


 この重曹スプレイ
 たいていのものがきれいになる
 だからほかの洗剤はいらなくなるし
 手荒れもしなくなる

 おまけに 
 食物用を買っておけば膨らし粉やあくとりにもなるのだ


ホント超簡単便利なお掃除法です

姑 美代子さんのこと

2014年10月14日 17時35分01秒 | 暮らし
 先週の木曜日から3泊4日で
福井に帰省した。
家じゅうの障子を新しく張り替えてほしいという母の要望に応えるため。


 いつものことだけれど
福井に帰る以上
実家だけではなく姑である美代子さんのところにも寄りたい。


 母も義母も一人暮らし。
近くに兄弟姉妹が住んでいてくれるということも条件的には一緒。

だから、なるべく公平に・・・と思っている。

ただ、どうしても身体の状態があまりよくない母の方に長滞在となってしまうから
美代子さんに申し訳ないな、と感じている。




 元気が取り柄だった美代子さんも85歳。
さすがに歩くのが遅くなった。
へまもするようになった。

それを本人は嘆くけれど
でも、母と比べれば全然大丈夫だし、
病気で寝たきりの人に比べればめちゃくちゃ幸せだ。


 そのことを有難いなぁと誰よりも思うのは嫁の私かもしれない。
お義母さんが元気でいてくださるから
私はこちらで平常な暮らしができている。
お義母さんが元気でいてくださるから
実母の方に長滞在ができる。


 そんな美代子さんに感謝を表すには
美代子さんを遊んであげることが何よりだ。

独りでは遠くには遊びに行けないから
立ち寄った時にはなるべくおいしいものを食べに行ったり
大好きな山の自然の中へと連れ出したりする。

 そうすると
美代子さんはいつもたくさん喜んでくれるし
たくさんお礼を言ってくれる。


 でもね、お義母さん
お義母さんが元気でいてくださるからこそ
こういうことがして差し上げられるんですよ。

「孝行したいとき親はなし」
というではありませんか。
喜んでいただけるのも
お義母さんが元気でいてくださるからです。
ありがとうお義母さん。
お義母さん、ありがとうございます。





 てなわけで
たった一泊二日の滞在だったけれど
先日は越前陶芸村のすぐそばにあるお蕎麦屋さんへ行った。
秋らしい素敵なお天気だったから
きっと陶芸村の公園がきれいだろうと予測して・・・・・
もちろん、お蕎麦の味には定評があるし。


 案の定
色づき始めた木々は太陽の光に美しく
林の中にはドングリや黄葉がたくさん落ちていて
静かで、気持ちの良い時間が流れていた。


 こんな時、美代子さんは必ず言う。

「ああ、ここでおにぎりを食べたら
 きっと、ものすごくおいしいよ」



「・・・・・そうでしょうね。
 きっとおいしいでしょうね。


 滝の前で食べたおにぎりも
 蕨採りで食べたおにぎりも
 本当においしかったですものね」



 いつもと同じ会話をしながら
でも、今日はおにぎりではなくお蕎麦です。




 足元にはスズカケの葉っぱがたくさん落ちていた。
余りにも綺麗だったから
それを拾って葉っぱのブーケを作った。

 美代子さんも一緒になって作る。
彼女のいいところは
嫁の言うことを素直に聞くこと。
一緒になって
楽しそうに落ち葉を拾い
喜々としてブーケを作ってくれた。


「ああ、やっぱり、あなたのはステキね」

などと、嫁を褒めることも忘れない。



 こんなとき、単細胞の嫁は
もっとたくさん大切にしてあげたいと思ってしまう。

一緒に、おいしいものを食べ
一緒に自然を楽しみ
一緒におしゃべりしておきたいと思うのである。



 世の中には嫁姑がうまくいかないことも多いらしい。
お陰様で私は姑に恵まれた。


 あと何回
彼女と一緒に遊べるのだろう。
あと何回、
彼女と一緒に食事ができるのだろう。



 できる限りできる限り
実母と同じように
その時間を大切に積み重ねて置きたいと思う。


 せっかくこの世で得たご縁。
姑と嫁という深いご縁。

感謝して、大切に紡いでおけたらいいな。