幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

いかに楽しむか。

2011年05月03日 17時49分31秒 | ひとりごと
 ある人に言われた。

「何か一つの事に打ち込んでこそ、大成すると言うものよ」


・・・何やかやと手を出し
結局はその道の大家にはなれていない私への
好意的な諌めの言葉だった。


若い頃から野の花が好きで
娘が三歳の頃から
つい数年前までは
山野草、とりわけ、
雑草と呼ばれている花たちを生け
生活の中に取り込む教室を開いていた。


けれど
いつ頃からか
草花の命を絶つことに苦しさを覚えるようになり
今はほとんどのレッスンを止めている。


今でも花は大好きで
庭には
小さな花たちがたくさん咲いている。

けれど、その中の一輪、二輪にはさみを入れる時でさえ
うっすらとした痛みを覚え
「ごめんね」とつぶやいて、やっとなのだ。


また、「文工房」という
手紙の教室も開いている。

いわゆる「絵手紙」とは違い、
時には俳画的であり
時にはイラスト的であり
コラージュも用いれば
はんこ遊びをしたりもする。

とにかくありとあらゆる手法で
色々な手紙や葉書
額入りの作品を作って楽しみ、
心を伝えるためのお教室だ。

会員は皆、もう何年も学んでくださり
私のヒントを元にそれぞれがとても素敵な作品を仕上げるまでに
上達している。

けれど、
この教室もまた
そう、発展させようとはしていない。



三年ほど前は
「女優になる!!」と宣言して
ある劇団に通った。


俳優たちの
カーテンコールの時の
あの満足げな
光輝く満面の笑みが羨ましくて
自分もそれを味わいたくてやってみたかったのだ。


しかし
小さな劇団は
大道具つくりから
照明つりまで
全部自分たちでやらねばならない上
毎日が真夜中の帰宅となり
50歳を超えた、仕事もちの主婦には
体力的に続かなかった。


で、舞台はとても面白かったのだが
一年でリタイアーしてしまった。

もちろん、いまでも未練タラタラだ。


テーブルコーディネイトや、ラッピングもそれなりにこなし
いくつかの賞を貰ったりもした。

が、これも
続けようとは思わなかった。



若い頃はお花の道で大成したかった。
教室を大きくし、生徒数も増やした。

いわゆる「成功」したかったのだ。

そして、そうなってこそ
人生に成功した、と言えるのだと考えていた。

だから、大きくなりたかった。
人に認められたかった。





ところが・・・だ。

50歳を越えた頃から
(スピリチュアルを学び始めてから、と言ったほうがよいのか・・・?)
一つの事を追求して
ひとかどの人物になる事が素晴らしいのはもちろんだが
そうならないからと言って
素晴らしくないなどとは言えないのではないか、
と強く思うようになってしまったのだ。


ずっと一つの事に従事して
名をはせる人になる道を選んで生まれてきた者と
いろいろ、あれもこれもと手を出して
体験する事を楽しむ為に生まれてきた者の
単なるプログラムの違いではないのか・・・

と考えるようになってきたのだ。



そうして、
私は
後者として生きても
全然いやじゃない!!
という事に気づいてしまったのだ。



だから
今は「どう生きるか」「どう成功するか」ということよりも
「いかに楽しむか」の方が大切になってしまったのだ。


目の前にある
フツーに言えば「ねばならない」ことさえも
いかに楽しんでこなすか、を考えるし
一見大変そうな事も、どうやって「楽しい」と受け止めるか
を意識してしまう。



この世が三次元と言う
重い波動の体験的テーマパークであるならば
その全てをしっかり体験して楽しまねば損ではないか・・・
と思ってしまうのだ。