わが夫婦
またまた些細なことで決裂!!
日曜日の夕方
私たち夫婦は仲良くウォーキングに出るはずであった。
が、些細な、けれど譲れないことが原因で敢え無く決裂。
歩み寄ろうとする私をしり目に
夫は一人で出かけてしまった。
以前ならそんな夫に腹が立ち
怒り狂う私だけれど
少しは成長したのだろうか。
さほど、腹立ちも淋しさも感じなかった。
けれどこのまま何もなかったように済ませてしまえば
夫はまた同じようなことを繰り返す。
それは、二人の将来を形成するうえでチト困る・・・
そう考えた私はそれなりの抗議行動を起こすことにした。
で、夕飯作りをボイコット!!
「妻の気持ちを無視し、短気を起こしたあなたが得るものは
己自身の気を貶める憤懣と孤独です。
起こってはいませんが、とても残念で悲しいです。
明日のあなたに期待はしますが
今日はここまでですね。
せっかくの日曜の夜ですが
どうぞご自分一人で
お夕食をおとり下さい」
と、書置きを残し家を出た。
さあ、ここからが大切。
いつまでも、先ほどの夫婦喧嘩に引きずられていては
当然こちらの気も落ちる。
気を落としていてはアンラッキーを引き寄せてしまう。
それではもったいない。
夫婦喧嘩も使いよう。
せっかく一人で外食できるチャンスを得たのだから
できる限り有効に使わねば。
幸い腹は立ってはおらず
やや悲しいものの比較的穏やかな自分がいる。
ならば
その自分をもっと大きくし
ラッキー波動に変換しよう!!
せっかくだから
楽しく過ごすぞ!!
さあさあ、どこへ行こうか。
ステキに過ごすにはどうしたらよいだろうか。
クルクルクルクル
できる限りの回線をつなぐ。
そうだ、
あそこにしよう!!
私は
丁度
ここ数日前から
会いたくなっていた人が経営する中華料理店へと車を走らせた。
「一人でもお店に迷惑をかけずにおいしく堪能できました。
ママとも、善い具合に会話ができて楽しく過ごせました。
ありがとうございます」
と念じて、イマジネーションし、扉を開けた。
結果は言うまでもなく、
見事にそのイマジネーション通りのものとなり
気の利く店主の計らいで
水餃子、青菜炒、冷麺、蟹爪揚、杏仁豆腐を
少しずつ楽しませていただいた。
しかも、丁度お客様が引き
彼女とも十分にいろんな話ができた。
おいしくて、楽しくて満足だった。
しかも!!である。
彼女の話の中に出てきた素敵なお客様が
直後にいらして
今の私に必要な情報とコネクションを得ることができたのだ。
全く
びっくり仰天の「偶然という共時性」に一同感動。
本当に
楽しくて有意義な時間であった。
素晴らしく充実した時間となった。
これがもし、夫同伴であったり
家で食事をしていたなら
絶対に不可能なことだっただろう。
こうなると
夫が取ったあの態度は
私にこれを与えるために
神様がわざとそうさせたのではないかと思えるほどだ。
ああ、神様ありがとう
夫よ、ありがとう
そう感謝せずにはいられなかった。
「幸せは、不幸の顔してやってくる」
私が信じている言葉の一つ。
「夫婦喧嘩」という一見悲しくて不幸な一瞬も
それを転じて「吉」に変えることを考えれば
ちゃんとラッキーにつながるということを実体験した気がする。
「夫婦喧嘩」に引きずられ
腹を立てたり悲しみすぎたり
起きてしまったことに固執していたら次への展開はなかっただろう。
起きてしまったことを受け入れ、でもこだわらず
それを利用することを考えれば
道は必ず開けるのだ。
いや、むしろ
思わぬラッキーが与えられる
ということだ。
またまた些細なことで決裂!!
日曜日の夕方
私たち夫婦は仲良くウォーキングに出るはずであった。
が、些細な、けれど譲れないことが原因で敢え無く決裂。
歩み寄ろうとする私をしり目に
夫は一人で出かけてしまった。
以前ならそんな夫に腹が立ち
怒り狂う私だけれど
少しは成長したのだろうか。
さほど、腹立ちも淋しさも感じなかった。
けれどこのまま何もなかったように済ませてしまえば
夫はまた同じようなことを繰り返す。
それは、二人の将来を形成するうえでチト困る・・・
そう考えた私はそれなりの抗議行動を起こすことにした。
で、夕飯作りをボイコット!!
「妻の気持ちを無視し、短気を起こしたあなたが得るものは
己自身の気を貶める憤懣と孤独です。
起こってはいませんが、とても残念で悲しいです。
明日のあなたに期待はしますが
今日はここまでですね。
せっかくの日曜の夜ですが
どうぞご自分一人で
お夕食をおとり下さい」
と、書置きを残し家を出た。
さあ、ここからが大切。
いつまでも、先ほどの夫婦喧嘩に引きずられていては
当然こちらの気も落ちる。
気を落としていてはアンラッキーを引き寄せてしまう。
それではもったいない。
夫婦喧嘩も使いよう。
せっかく一人で外食できるチャンスを得たのだから
できる限り有効に使わねば。
幸い腹は立ってはおらず
やや悲しいものの比較的穏やかな自分がいる。
ならば
その自分をもっと大きくし
ラッキー波動に変換しよう!!
せっかくだから
楽しく過ごすぞ!!
さあさあ、どこへ行こうか。
ステキに過ごすにはどうしたらよいだろうか。
クルクルクルクル
できる限りの回線をつなぐ。
そうだ、
あそこにしよう!!
私は
丁度
ここ数日前から
会いたくなっていた人が経営する中華料理店へと車を走らせた。
「一人でもお店に迷惑をかけずにおいしく堪能できました。
ママとも、善い具合に会話ができて楽しく過ごせました。
ありがとうございます」
と念じて、イマジネーションし、扉を開けた。
結果は言うまでもなく、
見事にそのイマジネーション通りのものとなり
気の利く店主の計らいで
水餃子、青菜炒、冷麺、蟹爪揚、杏仁豆腐を
少しずつ楽しませていただいた。
しかも、丁度お客様が引き
彼女とも十分にいろんな話ができた。
おいしくて、楽しくて満足だった。
しかも!!である。
彼女の話の中に出てきた素敵なお客様が
直後にいらして
今の私に必要な情報とコネクションを得ることができたのだ。
全く
びっくり仰天の「偶然という共時性」に一同感動。
本当に
楽しくて有意義な時間であった。
素晴らしく充実した時間となった。
これがもし、夫同伴であったり
家で食事をしていたなら
絶対に不可能なことだっただろう。
こうなると
夫が取ったあの態度は
私にこれを与えるために
神様がわざとそうさせたのではないかと思えるほどだ。
ああ、神様ありがとう
夫よ、ありがとう
そう感謝せずにはいられなかった。
「幸せは、不幸の顔してやってくる」
私が信じている言葉の一つ。
「夫婦喧嘩」という一見悲しくて不幸な一瞬も
それを転じて「吉」に変えることを考えれば
ちゃんとラッキーにつながるということを実体験した気がする。
「夫婦喧嘩」に引きずられ
腹を立てたり悲しみすぎたり
起きてしまったことに固執していたら次への展開はなかっただろう。
起きてしまったことを受け入れ、でもこだわらず
それを利用することを考えれば
道は必ず開けるのだ。
いや、むしろ
思わぬラッキーが与えられる
ということだ。