気楽に生きていると思うことなかれ
切なさや苦しさは
誰しも同じものなり
どなたかのブログの末尾に
ステキなネコの絵と共に書かれていた言葉
・・・そうよね、
そうだね。
この言葉で励まされる人も多いのでしょうね。
と、思いつつも
そうじゃないんだけれどなぁ、
という思いも否めない。
一か月ほど前、深田久弥の百名山に数えられている蓼科山に
親子三人で登った。
傍から見るとなだらかで女性的な感じがして
しかもかなり上まで車で行ける山だ。
登るのはわずか300mほどの高低差
美ヶ原やビーナスラインとのイメージも重なってか
楽勝!!・・・と、タカをくくってしまった。
ところがどっこい、
山登りというよりはがれき登り
行けども行けども
山崩れを起こしたようながれき道ではないか。
挙句の果てには
四肢を使わねば登れないような岩登りの道となってしまった。
「だれよ、此の山に登ろうなんて言った人は!!」
「私がしたい山登りはこんなんじゃない!!」
などとぶつぶつ言いながらも
誰も、やめようとは言わない。
思っていたのとは全然違う。
全然違うけれど
でも、その苦しい上りの最中に思った。
〝すごい!!
こんなところを上れる私の身体はエライなぁ。
ありがとうね、足さん。
ありがとうね、両手さん。
ありがとうね、私の身体の60兆個の細胞さん達。
あなた方が頑張ってくれるおかげでこんなことが体験できているわ。
こんな苦しいところを上れるなんて、
あなたたちって本当に素晴らしいわ!!"
〝今はどんなにしんどいと思ったって
身体が動いてくれる以上、必ず頂上には行ける!!
焦らず、自分のペースで淡々と前へ進めば
いつかは必ず頂上に立てるんだもの。
何も問題はないわ″
結局、久弥が書いている時間より少しオーバーしたものの
三人とも無事、広ーい、元火口の頂上に辿り着くことができた。
「もう一度登る?」
と聞かれれば、三人とも今はNO。
それでも、頂上で三人が口にした言葉は
「上れたね」「結構楽しかったね」「すごかったけどね・・・」
よく人生を苦しい山登りに例えたりする。
私は人生は「楽しい川下り」と考える方が好きだけれど
でも、山登りでもいいかな、とも思わないでもない。
ただ、「苦しい」を前面に出したくはない。
確かに肉体には負荷がかかり
鍛えられていない身体にはしんどさがある。
けれど、それを「苦しい、辛い、嫌だ」ととらえるか
「こんな体験ができて素晴らしい」と受け止めるかで
その道中も事後も全く変わってしまうのだ。
おまけに、
その蓼科山、
私たちが登りきらぬうちに
後から追い越していき、あっという間に下山してきた人もいれば
わずか、4,5歳の坊やを連れて気長に坊やのペースで登っているご夫婦もいらした。
一つの山に登り方は無数。
どんな人たちと、どんなふうに登るか、
苦しいと思いながら登れば悲惨だし
幸せだと思って登れば素晴らしい体験となる。
人生は気楽でいいのだと思う。
切なさや、辛さをも気楽に考えればいいのだと思う。
人は必ずその人の決めた頂上に立てるのだし
そこまでの体験をするに過ぎないのだから
ただ、淡々と、前に進めばよいのだ。
流れ落ちる汗を見つめ
重くて止まってしまいそうな足を感じ
息が切れてしまったら小休止して
そしてまた、歩き始めればよいだけなのだ。
そうすれば
いつか必ず
自分のタイミングで
頂上につけるのだということを信じ続ければよいだけのこと。
その過程の一つ一つを
「ああ、体験しているんだなぁ~~~」
と、感慨深く味わえれば
それが大きな幸福感となるんだということを知っていればよいだけのこと。
人生は気楽なもんだと思うに限る
切なさ、辛さ、人それぞれにみんなにあって
そのそれぞれがとっても大切なんだなあ