幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

気楽に生きる

2014年09月28日 07時20分23秒 | ひとりごと

気楽に生きていると思うことなかれ
切なさや苦しさは
誰しも同じものなり




 どなたかのブログの末尾に
ステキなネコの絵と共に書かれていた言葉



・・・そうよね、
そうだね。


この言葉で励まされる人も多いのでしょうね。




と、思いつつも
そうじゃないんだけれどなぁ、
という思いも否めない。
  



 一か月ほど前、深田久弥の百名山に数えられている蓼科山に
親子三人で登った。

 傍から見るとなだらかで女性的な感じがして
しかもかなり上まで車で行ける山だ。
登るのはわずか300mほどの高低差

美ヶ原やビーナスラインとのイメージも重なってか
楽勝!!・・・と、タカをくくってしまった。

 


 ところがどっこい、
山登りというよりはがれき登り
行けども行けども
山崩れを起こしたようながれき道ではないか。

 挙句の果てには
四肢を使わねば登れないような岩登りの道となってしまった。


「だれよ、此の山に登ろうなんて言った人は!!」
「私がしたい山登りはこんなんじゃない!!」

 などとぶつぶつ言いながらも
誰も、やめようとは言わない。


 思っていたのとは全然違う。
全然違うけれど
でも、その苦しい上りの最中に思った。


〝すごい!!
 こんなところを上れる私の身体はエライなぁ。

 ありがとうね、足さん。
 ありがとうね、両手さん。

 ありがとうね、私の身体の60兆個の細胞さん達。

 あなた方が頑張ってくれるおかげでこんなことが体験できているわ。

 こんな苦しいところを上れるなんて、
あなたたちって本当に素晴らしいわ!!
"



〝今はどんなにしんどいと思ったって
 身体が動いてくれる以上、必ず頂上には行ける!!

 焦らず、自分のペースで淡々と前へ進めば
 いつかは必ず頂上に立てるんだもの。

 何も問題はないわ″





 結局、久弥が書いている時間より少しオーバーしたものの
三人とも無事、広ーい、元火口の頂上に辿り着くことができた。


 「もう一度登る?」

と聞かれれば、三人とも今はNO

 それでも、頂上で三人が口にした言葉は

「上れたね」「結構楽しかったね」「すごかったけどね・・・」








 よく人生を苦しい山登りに例えたりする。
私は人生は「楽しい川下り」と考える方が好きだけれど
でも、山登りでもいいかな、とも思わないでもない。


 ただ、「苦しい」を前面に出したくはない。

 確かに肉体には負荷がかかり
鍛えられていない身体にはしんどさがある。
けれど、それを「苦しい、辛い、嫌だ」ととらえるか
「こんな体験ができて素晴らしい」と受け止めるかで
その道中も事後も全く変わってしまうのだ。


 おまけに、
その蓼科山、
私たちが登りきらぬうちに
後から追い越していき、あっという間に下山してきた人もいれば
わずか、4,5歳の坊やを連れて気長に坊やのペースで登っているご夫婦もいらした。



 一つの山に登り方は無数。
どんな人たちと、どんなふうに登るか、
苦しいと思いながら登れば悲惨だし
幸せだと思って登れば素晴らしい体験となる。





 人生は気楽でいいのだと思う。
切なさや、辛さをも気楽に考えればいいのだと思う。

人は必ずその人の決めた頂上に立てるのだし
そこまでの体験をするに過ぎないのだから
ただ、淡々と、前に進めばよいのだ。


 流れ落ちる汗を見つめ
重くて止まってしまいそうな足を感じ
息が切れてしまったら小休止して
そしてまた、歩き始めればよいだけなのだ。


 そうすれば
いつか必ず
自分のタイミングで
頂上につけるのだということを信じ続ければよいだけのこと。

 
その過程の一つ一つを

「ああ、体験しているんだなぁ~~~」

 と、感慨深く味わえれば
それが大きな幸福感となるんだということを知っていればよいだけのこと。




 人生は気楽なもんだと思うに限る

 切なさ、辛さ、人それぞれにみんなにあって

 そのそれぞれがとっても大切なんだなあ

粒子をばらまく その2

2014年09月24日 21時29分18秒 | ひとりごと
 毎朝のウォーキングでゴミを拾う。

 その途中、何人かの人がお声をかけてくださる。

「ご苦労様」「ありがとうございます」「今日お疲れ様」


中には

「今日は早々といっぱいになってしまいましたね」

などとおっしゃる人もいる。


 そんな人たちに向かって私は思う。

〝ご自分もお拾い遊ばせ″




 私は朝のウォーキングの中に
もっか二つの楽しみな目的をを持っている。

 ひとつは「おはようございます」と毎日の挨拶を交わすとき
不機嫌そうに応える人がやがて
自分から
笑顔でお声をかけてくださるようになること。

 もうひとつは
わたしたちの行動に感化されて
自分たちもゴミ拾いをしながら歩こう、と思ってくれる人が出てくること。


 この二つが叶えば私の勝ち!!、と決めた。

 私のエネルギーは良くも悪くも見えない世界に粒子を飛ばしている。
そして、その粒子は誰かに感染する。

 だから、私の考えや行動を通して
私のエネルギーは誰かに影響を与えるはずなのである。

笑顔で自分から心を開いてあいさつを交わす。
自分の歩くところは常にきれいであるようにゴミを拾って歩く。

 そんな人が一人でも増えればいいな、って思うから・・・・・


粒子をばらまく

2014年09月20日 14時15分33秒 | 波動
 朝ウォークしながらゴミ拾い

 スーパーの袋1杯分は毎日のこと
時には夫と二人で3杯分くらいになることもある。


 花火のちらかしカス
コンビニで買って食べたもののごみ
煙草の吸殻は言うまでもなく
あきかん、あきびん、空ペットボトル・・・

 よくもまあ、毎日毎日こんなにも、
と思う反面
そんな風にいとも簡単にゴミを捨てられる人のことを考える。


 以前ははらがたった。

「どうして?!」

と、理解に苦しんだ。


 



 けれど今は違う。

「ごめんね」

と、涙が出てくる。



 どんな環境で育ったのか、
ちゃんと背中を見せてくれる大人はそばにいなかったのか、
すさんだ心で自分をも乱暴に生きているのではあるまいか、

・・・いろんな思いが交錯する。


 もしも
ちゃんとゴミは持ち帰ることを示してくれた大人がそばにいたならば、
もしも、ゴミをすることに痛みを覚える環境で育っていたならば
さらには
ちゃんと、愛されて大切にされていたなら
もっと、もっと生活がおだやかで充実しているのなら

きっと
このゴミをした人は
ゴミを平気でするようにはならないだろう。





 どうか
どうか、この人が
今日、幸せでありますように。
いつかは
自分にも、周りにも
愛情を注いで生きるという幸せにいたれますように、



 私の一瞬の思いが
たくさんの粒子となってこの大いなる空間に広がることを信じ
彼らの幸せを祈り
今日も私はゴミを拾う。



体内アラーム

2014年09月19日 12時05分49秒 | ひとりごと
 早朝のウォーキングを始めてから5か月が過ぎようとしている。
 
 起床4時50分
それから、頭と顔に蒸しタオルを当て
コンタクトを入れて化粧水をつける。

服を着替えて、紫外線カットのサンバイザーを被り
ゴミ袋、ゴム手袋、お賽銭、鍵を持って
玄関ドアをロックするのが5時10分

・・・というのが理想のパターン


 夏の間はそれができていた。

 けれどこの頃は日の出が遅く
五時前はまだ暗い。
そのせいかどうか、起きるのがいつも5時を過ぎてしまうのだ。
夏の間はちゃんと体内時計が働いてくれていて
目覚ましなしで起きることができていたのになぁ、と思う。



 この〝体内時計"というやつ、もしかしたら時間ではなく太陽に反応しているのかもしれない。

自然な目覚めが日ごとに遅れていくような気がするのだ。

外が薄明るくなり始めると目は覚めるが、
4時50分に起きようと思うと目覚ましが必要となってくる。

 しかたなく携帯電話のアラームをセットした。
すると、あら不思議、
目覚ましをセットした日に限って
目覚ましが鳴るちょっと前に自分で目が覚めるではないか。

 
 これが何度か繰り返されたので
あるj必見を試みた。


 就寝直前
目覚ましはかけずに
自分自身に向かってやや強口調で言った。


「わたしよ、明日は絶対に5時ちょっと前に起きるのよ」




 翌日
おお!!
ちゃんと、5時ちょっと前に目覚めたではないか!!
すばらしい!
なんと素晴らしい!!
言われたとおりにしたのね。

あなたはえらい!!


・・・そうか、
目覚ましなんかいらないんじゃン!!
自分の細胞たちにちゃんと命令しておけば
彼らはきちんと目覚めさせてくれるんじゃン!!
凄いなぁ。細胞たち。
すばらしいなぁ、
自然のパワー

 


 私はいたく感動し
次の日も同じことを繰り返した。

「私の細胞たちよ、明日も5時前には起きるからね」


 ほら、やっぱり、ちゃんと起きることができた。
細胞ってすごいね。
こちらの言うことをちゃんと守ってくれるのね。
すばらしいわ!!
ほんと素晴らしい!!



 で、気を抜いて
数日後のある日
疲れていたこともあったのだが
何もせずに眠ってしまった。
何日間か訓練したからもうその「癖」がついただろうという安心感もあった。




 ところが・・・ありゃりゃ、
たいへんたいへん!!

目覚めたのは薄明るくなった5時20分ごろ

これではウォーキングとヨガと鉢植えの水やりという
朝食前のメニューがこなせない。
時間が足りなくなるのだ。



 けっきょく、またまた、やりなおし。

もしものために
携帯のアラームもセットしながら

「明日は絶対5時前に目覚めるのよ!!」

と就寝前
きっちりとわが細胞たちに言って聞かせる。

ちょっと、めんどうかな・・・
と、思いながらも自分の細胞たちを信じたくて同じことを繰り返す。


 


 身体が、60兆個の細胞たちが
日本標準時間の4時50分を覚えてくれるとよいのだが
今のところそれは不可能なようで
わたしは毎晩根気強く
わが身体に向かって
体内アラームをセットしている。

ガイアの法則

2014年09月15日 12時02分13秒 | 波動
 「ガイアの法則」 千賀一生 著 

 先月8月25日以来
何か書かなければ、と思いながらも
今日まで書けずにいた。


 何も考えていないわけでもないし
何もしていないわけでもない。

 でも、何が書きたいのか
何を伝えたいのかわからなかった。


この間も、いろいろな本を読んでいたが
その中でも
今、私を大きく支えてくれているのは「ガイアの法則」かもしれない。



 この地球は1611年ごとに文明の中心が経度22・5度ずつずれていくのだという。
それには西回りのずれ方と東回りのずれ方があって
今までの800年間は東回りの中心地ロンドンが大きなエネルギーを持っていたし
それは物事を二元化するアングロサクソンの文化だった、という。


 しかし1995年を境に西回りの中心地が大きな力を持つようになり
そこから波及する文明は世界中に影響を及ぼし変えていくというのだ。



 西回りの文明の移動、
分かっているだけでも6400年前のシュメール文明から始まり
4800年前のインダス文明
3200年前のガンジス文明
1600年前の唐の文明

 と、移転している。
いずれにおいても国際都市として発展したポイントは経度22・5度ずつずれている。


 1611年で移動する文明の発展は前期800年をかけて隆盛となり
後期800年をかけて衰退していく。
そうして、また22・5度動いた地点へと移動するのだそうだ。


これは歴史と地図とを両手に調べてみれば間違いのないこと。



 そして、
今現在の中心地がこの日本だというのだ。


前文明唐の中心都市から22・5度西へ動いた地点は
なんと日本の時刻標準地「明石」なのである。



 阪神淡路大震災は1995年の起きているが
あの地震こそが
文明の変換時だったらしい。



 ま、1611年たってみなければわからないことで
少なくとも今この肉体に存在している私たちにはその結果を見ることはできない。


 がもし書かれていることが真実で
これから日本を、
とくに関西地区を中心に、
偉大なる文明が発展するのだとし
しかもそれが
今までのロンドン中心の「アングロサクソン」的力と資本による二極化のパワー文明ではなくて
全てが統合し和合するという大和的エネルギーなのだとすれば
これほどうれしいことはないだろう。


 人種差別も貧富の差も戦争もなくなり
人はもちろん動植物、自然、全ての生きとし生けるものが
幸せに穏やかに生きられる世になってほしい。






 和の国日本
思いやりの国日本

祭りの国日本


地の神様も渡来の神々も
草や木や花や
鳥や獣たちとも

「和」になり「おもいやり」を持ち
みんながお互いを信じ、愛し合える世界になれば
どれほどうれしく素敵なことだろう。




 今現在、この地球上で
一番パワーのある場所に私たちは生かされているというのならば
そして、
その一人一人の生き様が
世界を変え、「愛と調和」の文明を築くというのならば
私はこころして毎日をそのように生きなければならないだろう。


 

 ひとりひとりが、毎日何気なくしていること、言っていること
それらひとつひとつが800年後の世界を創るのだとすれば
800年後のご先祖様として、
今、たくさんの愛を放出できる言動思考を選ばねば
と強く思うのだ。