幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

うちの家族って?!   その5    ところで私編

2011年03月31日 13時54分10秒 | ひとりごと
 急遽、
友人たちの力を借りて
物資を集めた。

なんと、一番必要なものは「袋類」だという。

配給されたものを入れる袋が何もなくて困っているのだそうだ。

こちらにあれば、ゴミ同様のものも
全てがなくなってしまったところでは
貴重な物資になる。


次が、カレンダー

そして傘

靴、調味料、乾麺・・・



友人たちの力は凄い。


僅か一日であまりにもたくさん集まりすぎて
積んでいける量の限界を越し
結局、
また、戻す羽目になってしまった。


・・・ご協力くださった方々に
心から感謝です   



そんなこんなで
ばたばたしているうちに
私の心も決まってきた。


せっかく縁あって
大変な経験をさせていただけるんだ。

どうなったって
それは全て計画済みのこと。


問題は肉体の存続ではなく魂の成長だもの。


あそこで頑張っている人たちに
清めていただいてこよう。

究極の環境の中で
自分がどれほど「愛」でいられるか
この目で確かめてこよう。



恐怖はなくなった。






・・・・・なのに
胃が痛い。






ああ、私の60兆個の細胞よ。

怖がらないで!!

あなたたち一つ一つにも私は光と愛になってほしいのです。



うちの家族って?!   その4 娘編

2011年03月31日 13時29分15秒 | ひとりごと
 私が金田さんと合流する日と
夫が実家へ行ってくれる日は同じ4月1日

しかも金田さんは北陸道を北上して現地へ入ると言う。


都合のよい事に
合流地点まで夫の車で行く事ができるようになったという事だ。


急遽
自分の食料も含め
金田さんの車に余裕にある分だけでも
現地の人にお役に立てる物資を持って行く事にした。



昨日、今日、私はそれで忙しい。


自分の食料も2週間分となるとかなりの量になる。
少しでも嵩を減らす為
箱からすべてを出し
ビニル袋に区分して
賢くつめねばならない。


昨夜遅く、
それに取り組んでいると
仕事から10時ごろ帰宅した娘は
何も言わずにそばへきて手伝い始めた。



インスタント食品を箱から出し
手際よくつめなおしてくれる。


胃腸の弱い私のために
「これも持って行ったほうがいいよ」
と、「だらにすけ」(奈良は天川村で購入した薬草丸)をさしだし

「一週間でバテたら、
 無理せず、山形から飛行機で帰っておいでよ」

とぽっりといった。



そうして今朝
起きてきてすぐ独り言のように

「よくもまあ、あんなところへわざわざいくね。
 自分の身体自体丈夫じゃないのに・・・」

と、また、ぽつりとつぶやいた。



「まあ、被爆したら被爆したときのことだけど
 それを見ている家族はつらいよね」







・・・・・ごめん。



母は
家族中で一番わがままなだけかもしれません。

うちの家族って?!  その3 続夫編

2011年03月31日 12時40分47秒 | ひとりごと
 被災地へ行く事を決定する前の夜
私たちは口論になった。

そして、次の日の朝も彼は不機嫌だった。


が、その翌日、
石巻港小学校に2週間いくと告げてから彼の機嫌は回復した。




さて、
行くとは決めたものの、私には困った問題が一つあった。



本当は4月の2、3、4日と、私は実家に帰り
雪囲いを取り外す約束を母にしていたのだ。

雪国福井も4月になれば雪はなくなる。

山奥の我がふるさとは
いまだ、田畑には雪はあるものの
家の前や道路はさすが何も残ってはいない。


そうなると、家の周りの雪よけの囲いを取り外さねば
家の中は暗くてうっとおしい。


けれど、父はこの頃
殆ど寝ているばかりの状態で
とても、重い丸太を使ったそれらを取り外す事など
できそうにないのだ。



もともと、心筋梗塞で心臓の三分の一(?)ほどがダメになった父は
力仕事や運動はできなくなっている。

囲う時も
私は手伝いに帰っている。


「今週がダメでも、
 来週にはいくからね」
と金田さんから電話を頂く数日前に母に約束していたのだ。



ところがその後、金田さんから連絡が入った。


二週間の日程となるとこの両方が引っかかってくる。

私の中で一瞬のためらいがあった。


しかし、こちらの日程を変えることはできない。

連れて行ってもらう身としてはわがままはいえない。



ただ、母は生粋のA型人間である。

私の帰宅以後まで、雪囲いをそのままにしておくことが我慢できないに違いないのだ。



うーーーん、困った。



実は、夫との喧嘩の原因も
この雪囲いはずしの日程についてだった。


いまさら
「一人で行ってほしい」
などと、頼めるはずもなかった。


「自分で勝手に、被災地に行くと決めておいて
 親の事を俺独りにやらせるのか!!」

・・・と、言われるに決まっている。

いや、口にはしなくともそう、思うだろう。


こまった、こまった。

どうしよう、

本当に困った。




・・・悩んでも始まらない。

ま、母に我慢させるしかないか・・・と決めつつも
一分の望みをこめて
昨日、彼の前で独り言をつぶやいてみた。


「こまったな、
 雪囲いをはずしにいってあげられないわ。
 被災地に行くからそっちには行けない、ともいえないし・・・

 でも、おばあちゃんの性格だもの、きっと気をもむだろうな・・・」




・・・いつもの私の手法
してくれとは言わないが
して欲しい事をそれとなく独り言としてつぶやいて示唆する「刷り込み方式」である。




と、びっくりする答えが返ってきた。

「ああ、それ、俺独りで行ってくるよ。
 もう、金曜日の休暇届を出してきたから」



ええっ~~~    

な、なんというありがたさ   



わーい、
これで、両方同時に遂行できる!!


やったね


神様、ありがとうございまーーーす 



夫よ、

あなたはもしかしたらやっぱり私には最適の夫なのかも   



感謝 感謝 本当に感謝でございまする   

うちの家族って?!  その2 夫編

2011年03月31日 11時54分10秒 | ひとりごと
 新聞を読んでいた夫が言った。

「石巻って一番たくさん死者が出たところなんだね」


ひぇ ホント?!
・・・知らなかった・・・


でも、一応、
石巻を意識してくれてはいるんだ・・・





あれ以来、彼は行くな、とも、行けとも言わない。

やっぱり、事後報告。

反対はしないということか・・・。



ま、私が何でも決めるようになったのは
夫と結婚したからだ。

結婚前から現在に至るまで
大切な事の方針を決めてもらおうと水を向けても
夫は一度たりとも結論を出さなかった。


問い詰めれば返ってくる答えはいつも

            「わからん」



待てど暮らせど答えを得ることはなかった。



待ちきれなくて、私が決めると
それに、抗う事もなかった。

彼の答えを待って
私が決めずにいると、物事は前には進まなかった。


たまに
止めて欲しくて
本音とは反対の決定を表示したりもしてみたが
それが止められる事はなかった。





結局、
小さい事ではデートの行き先から
大きなことでは結婚や子供の事まで
全てが
わたしの判断にゆだねられてきたのだ。


唯一、彼が自分で決めたのは
家を購入する事だけだったように思う。




故に、
今、私は
少なくとも
私自身の行動に関して
夫からとやかく言われることは一切ない。


家で遊んでいようが
何日も旅行に行こうが
自分でその費用をまかなう限り
かれは黙認し続ける。






「理解のあるご主人でいいわねぇ~~~」

と、知り合いたちは声を揃えて言う。


うーーーーーん、
これって、「理解がある」とか「優しい」とか言う問題なんだろうか。



事実、家計費でそれをまかなう事はできないし
彼が、私の行動のために費用を出してくれた事は一度たりともないのだ。





となると
たんに、私に興味がないだけ???

自分の腹が痛まなければどうでもいいんじゃないの?!

と、思ってしまう。





試しに言ってみた。


「石巻って
 放射能もここより多いだろうから
 被爆したらいやだなぁ・・・」



珍しく、答えが返ってきた。




「放射能なんか、どこにいたって同じさ。

 日本は狭いし、風は吹く。」






・・・はぁ・・・ 





確かに、最初に飛散した放射能は
計算上、地球を一周して
日本海に到達しているのだとか。

同じと言えば同じなんだけど・・・





もう一度、呟いてみた。


「向こうは凄く寒いそうだから
 今持っているシュラフだと
 寒くて体調壊すといけないわね。

 ダウンのを買おうかしら・・・」




今度は、即、間髪いれずに返答があった。



「やめろ!!
 もったいない!!

 あるので、十分だろう」


           





やっぱり、この人は理解があるんじゃない!!
ただ、私のことが、どうでもいいだけ   




う~~~ん
あなたなんか、もうぜったい、面倒見てあげない!!    






 





うちの家族って?!   その1 娘編

2011年03月31日 10時36分39秒 | ひとりごと
 石巻へ行く事を決めた日、私はいつものように夫と喧嘩していた。

前日の夜、ある事がきっかけで口論になったのだ。




金田さんから打診があり、即決で同行を決めた時

「あ~あ、これでまた、ますます怒り狂うだろうな。

  『おまえはいつだって、そうやって、自分だけで決めてしまう!!』

 って。

 それとも

 『何考えてるんだ!!

  すぐ近くには女川原発だってあるし、
  福島の放射能の影響だって強いんだ!!
  危ないからやめろ!!』

 って、止めるかしら?」

などと考えた。




夜、
昨日の事をまだ引きずって
不機嫌な夫に
内心はおそるおそる、
でも、かなりきっぱりと事後報告的に告げた。

「私、4月1日から被災地に行くから・・・」


・・・横目で、夫の顔色を伺いながら。





沈黙が流れた。



沈黙が流れた。



やっぱり沈黙が流れた。



結局、彼は
そのあとも、彼は何も言わず
いつものように、ウオーキングに出かけ
お風呂に入り
これまたいつものように
上がってくるとすぐ
寝てしまった。




ま、これでOKがでたってことか・・・

ほんと、いつものパターンだわね。

と、安堵と寂しさの入り混じった気分になった。




娘には決めてすぐにメールした。

これまた
返事は返ってこなかった。


帰宅後も一切それには触れなかった。

まるで無視されている。


行くと決めた本人は
まるで戦地にでも赴くような気分なのに
夫といい、娘といい、まったくもう・・・



うちの家族ってさ、
私の事、相当諦めてるみたい。

それとも
どうでもいいのかしらねぇ。

私って、ぜーんぜん、愛されてないのかもね 



・・・などと
ちょっと
落ち込んだりした。


もし娘が行く、
と言い出したら
私はきっと、止めるか、ついて行くかのどちらかだと思う。

でも娘は「やめたら?」
とも言わない。

ま、そこが、子を思う母と、子の母への気持ちの違いかもしれない。

が、あまりに冷たくないかい?!  むすめさんよ。  





しばらくして
娘が聞いてきた。


「いつまでいくの?」




「二週間・・・」



       
「はぁーん?!
 そんなに長い間、私に一人でおとんの世話しろって?????」

    




お、おい!!むすめ!!
話はそっちへ行くのかい?!

少しは、母の心配をしたらいかがなものぞ   

        ・・・全く、少しでも、優しい言葉を期待した私が馬鹿でした  



で、言ってやった。


「あなたねえ、少しは心配して止めるとか
 一緒に行くと言うとか、優しい言葉の一つもかけられないの???」


と、彼女、応えていわく

「だって、行きたいんだったら仕方ないじゃん。

 それに心配したり、一緒について行ったりしても、
 助けられない時は助けられないんだから
 心配するだけ無駄じゃん



         ・・・・・はい、ごもっとも。
                         
                          おっしゃるとおりです・・・




確かに
常々私は
家族にも人様にも

心配や不安になる事は「百害あって一利なし」

と申してきました。




それでもねぇ~~~
なんか、釈然としないなぁ~~~





ま、仕方ないか。




こんな娘を産んで
こんな娘にしたのは
ほかならぬ私でございますもの・・・