幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

被災者の幸せ

2011年05月11日 21時48分15秒 | ひとりごと
 連休中、いろいろ遊ばせていただいて
たくさんの事が本当にありがたく、
なんだかんだといっても
今の境遇を支えてくれている夫に感謝した。

でも、そうであればあるほど
心の片隅で
あの言葉がこだまし
心が疼いてくるのだ。


「私は何もかもを失った。
 大事なお店も道具も、家も・・・
 これからどうするのかと思うと絶望的になる。

 ・・・だから、楽しそうにしている人を見ると腹が立つ。
 有難いなどと言っている人を見ると腹が立つ」




石巻の湊小学校で受付のボランティアをしていた時に
被災者である同年代の女性に言われた言葉だ。



 
 “実際には
  私のように
  中年以上の年齢で
  被災未経験の
  特に何の資格も持っていないような女性が
  現地へ赴いても
  役に立てる事は少ないです。


  泥かきや水汲みは体力のある若者や男性でなければ無理ですし
  炊き出しは
  自衛隊や避難民の中の有志がすでにチームを組んでいます。

  物資の運搬も力仕事なので
  私たちでは自分自身が身体のどこかを傷め
  迷惑をかけかねません。

  ですから現地に赴くよりも、
  むしろ
  こちらにいて
  自分に出来る事考えたほうが良いと思います。



  例えば
  募金活動をしたり、寄付したり
  あるいは
  救援物資の分別のお手伝いをしたり・・・


  さらには
  現地に近いところへ旅行したりして、お金を使い
  経済をまわす事も一つの援助になるのではないかと思います」



・・・石巻から戻り
「どうでしたか?」
と問われる都度
私はそう応えてきた。


そうして
自分はささやかな募金活動をし
物資の分別ボランティアにも参加した。


被災地以外の経済が元気でなければ
支援も出来なくなる・・・という考えもあり
「遊ぶ」事も大事だと自分に言い聞かせ、
夫と温泉に行ったりもした。




 でも、何をしていてもどこにいても
何だか罪悪感がつきまとう。

「東北の人たちは今も避難所暮らしなのに、こんな贅沢させてもらって・・・」

「被災者たちは絶望と不安で一杯だというのに、私たちは幸せで・・・」

と、辛くなる。

そうして、湊小の人々や
自衛隊の人たち
福島の避難民たちの顔が浮かんできてしまうのだ。





そんな中
石巻で知り合った被災女性の一人から手紙が届いた。


彼女は一階が津波にやられ
かろうじて住める母親の家の二階に暮らしている。
もちろん
ライフラインは全て寸断された。

手紙には
津波の被害から20日後の3月31日の出来事が書かれていた。

その中の一節


“泥の中から長男が拾ってきたボロボロの自転車を押して
 末っ子の祭(まつり)と一緒に
 被害が小さくて営業を再開したスーパーへ
 買い物に行きました。

 この自転車はカゴはグラグラでいまにも取れそうなうえ
 チェーンはさびて、よく動くなぁ、といった状態でした。

 だから、自転車で行ったとはいえ
 ほとんど、歩きの状態。

 でも、この長時間を要したお買い物&お散歩がとても楽しかったです。

 その道すがら
 祭りが突然
 「震災に遭い、しあわせだね」
 って言いました。
 驚いて
 「どうして?」
 って聞き返す私に彼は応えました。

 「電気もつかなくて、水も足りなくて、とってもエコだもん」

 今までと違う不自由な生活の中でも
 それを不自由と受け止めない彼の強さに励まされました。 ” 





この後
彼女はさびた自転車の荷台に息子を乗せ、
自分はそれを押しながら歩いて帰ってきたようだ。
瓦礫と汚泥と悪臭に満ち、廃墟と化した町の中を
幸せを感じながら。



彼女は無くしたものが少ないから・・・と言ってしまえばそれまでだろう。


でも、祭りちゃんのように
あるいは彼女のように
目の前の現実を「幸せ」に変換する力を持っていれば
同じ被災者であっても「辛さ」や「絶望」から救われる、

と思わずにはいられない。


そして
先の女性の言葉に胸の疼きを感じながらも
彼女が祭りちゃんやのそのおかあさんのように
「まだ、手元にあるしあわせ」の種を
大きく大きく変換できるようにと祈る事も
今私にできる事のひとつなのかもしれないと思うのである。