幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

宅急便屋さんにもありがとうを

2014年12月27日 18時34分10秒 | ひとりごと
 「ありがとう」が水をも変える高エネルギーの言葉であることは
今更言うまでもないだろう。

「ありがとう」は言われた人を幸せにするだけではなく
言った人の波動を変える。

そして、脳をも変える。

波動が変わり、脳が変わると
引き寄せる物が変わるから
結果的に運命が変わってくるのだ。


・・・などという話は
今までに何度も書いてきた。


そしてそれを私は自分が実行し、実験してきた。



 嫌なセールスの電話にも
「ありがとう」をたくさんいう。

「わざわざのご案内ありがとうございます。
 でも不要です。
 お仕事お疲れ様です。
 ありがとうございました」

などと、とにかく感じよく、
その電話を相手が切るまでに
何度ありがとうが言えるかゲームのように楽しんできた。

するとなぜか、そのうちそういう電話がかかってこなくなった。



 信号待ちでは「ありがとう」が何回言えるか
新記録を打ち立てるという遊びをする。
すると、信号待ちも苦にならなくなるのだが
やがて
信号に引っかからなくなってしまうのだ。



 こんなふうに
たくさんの「ありがとう効果」を経験しているのだが
もうひとつ
日ごろから心がけていることがある。



 それは
宅配や郵便、クリーニングの配達の人たちに
気持ちよく笑顔で「ありがとうございます」を言うこと。

みんな、暑い中、寒い中、雨の中、風の中
玄関先まで届けてくれるのだ。
いくら仕事とはいえ
私にとってはとてもありがたい。

だから、ドアの外で待たせることがないように
タイミングを見計らって
ドアを開けて待つ。

そして、
気持ちよく
「暑い中(寒い中)をありがとうございます」
と、先ず声をかける。


時には、ささやかなおやつをプレゼントしたりもする。

それは、ストーブの上で焼いた焼き芋が半分だったり(だって自分も食べたいから…)
到来物のお菓子ひとつだったり・・・

ほんの気持ちだけだけれど
もし自分がそうしてもらえたら嬉しいだろうな、と思うことを
双方の負担にならない程度に
ほんのちょっとだけ試みるのだ。


 たいていの人は
喜んでくださる。
嬉しそうに帰っていくその人たちを
お気をつけて、と見送るとき
心は平穏になる。



 そんな小さな心がけを続けて何年になるだろう。
今では、夫や娘も同じようにするようになった。



 

 そうして今日
ある宅配の人に言われた。

「お宅はすごいですね。
 ぼくは感激しています。
 いつも
 ちゃんと丁寧にありがとうを言ってくださる。

 寒い日は玄関の中へと入れてくださる。

 そういう家はあまりありません。

 ぼくは感動しています」




 昔なら、
ありがとうもご苦労様も
暑い日のお水一杯も
みんな当たり前のことだっただろう。


人が人を思いやり
お互いの仕事に感謝しあい
ありがとうを交換し合う。
そうして心が結ばれ
互いのささやかな幸せを築き合う。




 ところが今は
「相手は仕事なんだから」という奢りを持ってしまう。
そこには
「相手はお金をもらっているのだから」
という考えもあるだろう。


 でも
仕事=お金・・・だけでは決してない。

仕事=誰かのお役にたつ=感謝される=感謝がお金になる

という流れがどこかで滞ったとき
人は自分の仕事が愛せなくなるのだ。



 コンビニのバイトが続かない。
コンビニのオーナーが長続きしない。
その原因の一つには
お客が「ありがとう」を言ってくれないことにあるという。

人は「ありがとう」と言われて初めて
自分の仕事に価値を認めることができるのではないだろうか。


 コンビニのレジの人も
サービスエリアのおトイレ掃除の人も
彼らがいなければ
私自身の何かが回らなくなってしまう。

宅配の人たちは言うに及ばない。



 それぞれの仕事に助けられ
自分の生活が成り立つことを思えば
必然的に「ありがとう」なのだ。

お客様は神様です、と接遇する側が思うのは構わない。
けれど
接遇される側がそんな風に奢ってしまうとき
その人の人格は地に落ち
その人の幸せは遠のいていくのではないだろうか。





 「ありがとう」は自分のためにいうのである。
「ありがとう」は全てのことを整えてくれる。

年末年始、たぶん、いろんな人のおかげで過ぎていくだろう。
その中の幾つに気づき
どれだけ感謝して「ありがとう」が言えるか、
その差が
自身の幸運と幸せの差を創り出すのだろうと思う。