幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

すてきな人たち

2015年02月23日 16時54分58秒 | 暮らし
ここ3日で5冊の本を読んだ。

全部女性が書いた本。
全部「素敵に生きる」ための本。
全部簡単で、どこかで目にしたようなことが書いてある本。


こういう本は読みたいと思うときと
全然読みたくないときがある。
その波は
なにゆえか・・・・・

あんまりよくはわからないけれど
自分の中がざわざわしてくると読みたくなるのかもしれない。


新刊  フランス人は10着しか服を持たない       ジェニファー・L・スコット  大和書房

新刊  ニューヨーク女性の「自分を信じて輝く」方法  エリカ            大和書房

2009  西村玲子のいつだって着こなし上手       西村玲子           朝日新聞出版

2008  暮らしが変わる40の習慣            金子由紀子          リヨン社

2008  佐伯チズの美生活革命             佐伯チズ           大和書房



共通するのはみんな自分の暮らし方、生き方が好きだということ。
ま、そうじゃなきゃ本なんてかけないか・・・・・・



エリカから頂いた言葉は「一人でいること=楽しいこと、そのために心を充実させよう」

堀文子も「ひとりでいきる」ということを実践しているけれど
彼女のはとても崇高で厳しく感じる。でもこっちは軽くて明るい。
やっぱり時代の流れ?世代の差?????

昔は「ひとり=孤独 」「ひとり=かわいそう・気の毒」「ひとり=よくないこと」
みたいに感じていたけれどそうじゃないんだってこの頃はつくづくと思う。

どちらかというと一人が好きな私。
昔は欠陥人間みたいに思って「だめだなぁ」と否定していたけれど、
今は、これでいいんだと思っている。
私は「わたし」といつも一緒だし 一人でいても十分楽しめるもの。

そのことを確認させてくれる本がいっぱいあることに感謝だ。


ジェニファーには「毎日が(日常が)特別な日」としての暮らし方を再確認させてもらった。

人生は今日の積み重ね、今日がステキであれば私の人生はいつも素敵なことになる。

・・・・・とわかってはいても
ここに出てくるフランスの貴族のようにはいかない。
それでも
「こころがける」ということはできる。

という気分で今、私は今日の夕焼けを堪能しながらこれを書いている。

大きな手を開いたような雲が紫がかった薄桃色に輝いていてすごくきれい。

居ながらにして広い空が見られるのは私にとっては最高の幸せ!!

「う~~~~ん、わたしってし・あ・わ・せ」、とわざと声に出してみる。





さてさて、旬を逃している後の三人だが
彼女たちからも、結局同じ様なことを言われている。


そうよね。
毎日を丁寧に。
自分を大事にして、
他人様やいろんなものを愛して
「生きている」」ことを味わう。

味わうこと、感じること自体が人生だもの。
そのまま味わって
でも、ダメ出しなんかしなくって
「しあわせだなあ~」って
自分で決めちゃえばいいんだもの。



大切にしよう、私の時間。
大切にしよう、毎日の生活。
思うように、与えられるままに。



「何をするかは二の次、どのようにするかが最も重要だ」哲学者エック・ハルト・トール


炊事、洗濯、お掃除
犬の散歩も、お仕事も
母たちの介護でさえ
「どのようにする」ことが自分の人生の彩になるのかをいつも考えていたら
私の毎日はきっと充実してすてきになるのだろう。








それが人生を素敵に、幸せにする一番の秘訣なんだと思う。




今日の幸せ

2015年02月20日 22時45分43秒 | ひとりごと
 昨夜、アジの開きを食べた。
頭や骨をお城の公園にいるネコさんにあげたくて袋に詰めた。


 6;00a.m.
暁光の美しい空を眺めながらウォーキング開始。
いつもなら、その空が輝かせる川の水面を眺めるコースを歩くのだが
今日は反対のお城の方へと向かう。


 

 しかし、何匹かいたはずのネコさんたちの姿がまったく見えない。

 前の家で出入り自由だった外ネコ「ユウちゃん」は季節に関係なく時間になると出かけて行った。
どんなに私が無視しようとも
何が何でも出かけるんだ、と言わんばかりにしつこかった。

 それがネコ族の習性ならば、ここの猫たちはすでに動いているはずだ。
だって、夏にはいつも5;00a.m.~5;30a.m.頃にネコおばさんから餌をもらっていたもの・・・・・。


 にもかかわらず、一匹も姿が見えない。
もしかして、
もしかして、
ノラ猫狩りをされたのでは・・・・・と心配になってきた。



 ここは、わが街の観光地の代表のような城址公園だから
ノラ猫が住み着くのを嫌がる人たちもいる。
「駆除」という名目のもと、市がそれを実施しないとも限らない。


 


 朝から気分が重くなってきた。

 私が引っ越して来る前から住みついていたであろう白ネコ母さん。
チンチラの混じったベージュのおすましさん。
ちょっと太めのトラネコおじさん。

 そして何よりも白黒の兄弟ネコ二匹。

去年初めて会った時にはまだ子猫だった。「ユウちゃん」に似た白黒の猫。
きっと兄弟なんだろう。いつも一緒にいた。
模様が違うからすぐに見分けがつく。
たぶんちょっと体格が大きくて、気のいい方がおにいちゃん。
模様が「ユウちゃん」にそっくりな小さい方の子はかなり臆病。
でも、こういう環境の中ではその方がいい。
臆病で、用心深く、安易に人に近づかない方がいい。

 ユウちゃんにそっくりなその子に
私はひそかに「龍ちゃん」と名付けた。
岡崎城は「龍城」とも呼ばれている。その「龍」だ。
「ユウ」という発音に似ているから・・・。




 「大丈夫かしら。
  龍達、捕まったんじゃないかしら・・・・・」

 そんな不安を抱きながら、あちこち探しまわり
もう一度、彼らがいつもいる場所に戻った。

 と、いた!!
いた!いた!!いた!!!
リュウだ!!リュウちゃんだ。
 
よかった~~~~~~~~あ。
無事だったんだ。

あっという間に気持ちがほぐれる。
本当に良かった。
彼が生きていてくれることがこんなに嬉しい。うれしい。



 

 彼も、こちらに気づき、意識している。

 こわがらせないように、遠巻きにそっと近づき
お魚の残りを見せるようにして少し離れたところに置いた。
そして、静かに後ずさりした。


 じっとそれを見ていた龍ちゃんは私との距離が10m位になった時
お魚のところへと走り寄りそれを食べ始めた。


 食べてくれた。
食べてもらえた。
嬉しかった。うれしかった。

 






 私は「「ユウ」に対するうしろめたさを抱いている。

 自由ネコだったユウをマンションに連れてきて
ずっと閉じ込めて飼うことは傲慢だと自分に言い聞かせ
向こうの家に置いてきた。
新しい住人と
彼が既に慣れていた隣のおばさんにくれぐれも、と託して置いてきた。

 けれど彼は三か月後に死んだ。
たった三日で、急に元気がなくなり、あっけなく死んでしまった。



 「もし」、はないけれど、でも、
もしここへ連れてきていたなら彼はまだ生きていたかもしれない。

そう思うと、後悔が生じてしまう。




 だから
城址公園の猫たちが
のんびりとお昼寝していたり
散歩していたりする姿を見ると嬉しくなる。

自由に
適度に仲間を持ち
わが人生を生きてます、って感じで
そんな彼らを見ているだけで幸せな気分になってくるのだ。



 




 今日も彼らがちゃんと生きている。
今日も彼らが生きられる環境が残ってる。

 


 飼い猫でなければ生きていけない環境って
何かがおかしいでしょう?

捨てるのはもってのほかだけれど
いろんな人に可愛がられながら
自由に「地域猫」として生きるネコがいたっていいと思う。

そんな猫たちが生きられる世の中の方が
きっと人も生きやすいのだと思うし。




 ま、こんなわけで、
私の今朝は
「心配」後「幸せ」のネコちゃん日和でした。

娘に思うお陰様

2015年02月05日 18時00分37秒 | 波動
先生さえいなけりゃ学校は楽しいと
  吾娘(あこ)に言わせる教師とは何



  娘が中学校2年生の時に詠んだ歌です。

  




わが内にまだ見栄のあるを知る
    娘を叱るその真っ最中



 これも同じころに詠みました。



 教師を批判する娘の見方に一利どころか何利もあると思いながらも
内申点の気になる私は娘の味方にはなりきれませんでした。

ゆえに彼女を学校の規格にはめ込もうとしたりもしました。
学校に合わせられない彼女を
まるで人として失格のように思ったときもありました。


それと同時に
「あなたのため」と言いながら
それは本当にこの子のためなのだろうか、
私の希望にすぎなかったり
親の見栄だったりするのではないだろうか、
といつも揺れていました。


わが子可愛さゆえに、いわゆる
今の日本での「得をする」生き方をさせようとしていたのでしょう。




 学校では教師に理解されず、押し付けられ、傷つけられる。
唯一の味方になってほしい母親はぐらぐらと揺れている。
彼女の毎日はどんなに苦しかったことでしょう。

思春期の自分自身を持て余し
いらだちと孤独感を募らせ
どんどんと厚い殻にこもるようになっていきました。



 彼女が中学、高校、大学と
大人を信じられず、人を拒否して生きていたころ
私もまた、毎日がつらくて苦しくてたまりませんでした。




 




 けれど、なんのきっかけだったか、
とにかく元気に生きていてくれるだけで幸せ、と思うようになりました。

そして、幸せにはいろんな形があるのだから
彼女の幸せの形を勝手に決めるのは止めようと自分に言い聞かせました。

私にできるのは彼女が
彼女らしい幸せを築くのを祈ることだけ

「大丈夫!!
 彼女は生命力が強い!!

 避妊していたのに生まれてくれた子だもの。
 切迫流産になっても生まれてきた子だもの。

 絶対に大丈夫!!
 彼女は幸せになる!!」


・・・そう、信じることにしたのです。




 もちろんだからと言って、それは簡単なことではありませんでした。

いわゆる「ひとなみ」ではないことばかりの連続は
いわゆる人並みに生きてきた私たち夫婦の理解の範囲を超えていましたから
しばしば衝突を起こしました。
そしてそのたびに
私たちが知らず知らずのうちにに身に着けていた「既成概念」みたいなものを
少しずつはぎとらなければなりませんでした。
簡単なことではありませんでした。
おかげで成長できたのです。





 


 この頃思います。

この世の「現実」というのは
自分が本当に信じたことが起こる。
しかも
私たちにはみな「お陰様」がついていてくださって
そのおかげ様に絶対的に導かれているのだから
何一つ心配する必要はないのだ、

と。

それどころか
心配するということは
お陰様を信じないということで
それって何て失礼この上ないのでしょう。




・・・そう思うようになってから
私はとても楽になりました。

「あの子は大丈夫。
 きっと幸せになる。

 私なんかよりはるかに豊かに幸せに暮らすわ。

 だって彼女のお陰様はお強いもの」

いつも、そう呟いていました。


就職も結婚も生活も
彼女の魂の成長に最適な状態になるのだから
己の観念で幸不幸を決めつけるのはやめよう。

全てそれでよし!!
なるようになるのだから、
それを信じればいい。
全てお任せすればいい!!



 何度も何度も
自分に言い聞かせているうちに
私は心底そう思えるようになってきました。

そして
そう信じられるようになった頃から
嫌なことはなにひとつ起こらなくなってきたような気がするのです。





 信じたことが現実になる。

そうなんです。
心から信じたことが鏡となってこの世に起きるから
「絶対大丈夫!!」
と心から信じた私には
大丈夫な事しか起きなくなってきたのです。



 同時に
娘の将来を安心し始めたころから
娘も確実に変わってきました。

今でも、
いろいろ小さな苦労(?)はしてはいますが
でも
「私は幸せよ」
と言い切る強さも身に着けました。



 母親が内心何を思っているか、
その大きなエネルギーが
子どもの現実を変えていくということを
つくづく
つくづく思うのです。



 もちろん自分の現実はもっと顕著です。

安心してお陰様を信じましょうね。

たぶんそれが
幸せでいる一番の方法だと思います。


ほら!!やっぱりね。

2015年02月02日 22時35分20秒 | 波動
 思ったことは現実になる。

でも、「~ように」と願ったことはいつまでたっても現実にはならない。
この差をきちんと把握しておかねばならない。




 昨日、一昨日と無性にチョコレートが食べたかった。
が、わざわざ買いに行くのも面倒だった。
ま、そのうち来るわ、と思うことにした。


 明日の教室のレッスンの見本を作るのに
クッキーが2,3枚必要だった。
でも、あいにくとストックは一枚もなかった。

「誰かから貰いものが来たりして・・・」
なんて、調子の良いことを一瞬考えた。

が、なんせ仕事上のこと。
間に合わないと困るので
出かけたついでにケーキ屋さんによって調達した。



 

 帰宅すると思わぬ人からのプレゼントが宅配ボックスに入っていた。


「ちょっと早いけれど
 ご主人様にバレンタインのチョコレートを」

「クッキーは北海道のお土産です。
 ほんの一枚ずつですけれど・・・」


そんなメッセージとともに
東京のとあるパティシエのお店のチョコレートひと箱と
北海道土産のクッキーが2枚


ほら、やっぱりね。 
一瞬の思考が現実化したね。


あ~あ、クッキー、買ってこなきゃよかった。

チョコレート、こんなおいしいのが頂けるなんて超嬉しい!!
待ってみるものね。








 「~ように」は「~ように」と祈りたくなる状態を望んでいることになる。
だから「~」はいつまでたっても現実にはならない。
「ように」という未然形でちゃんと思いがかなっているのだもの。


「~したりして」は「~した」という思考と同じだから「~」は現実として起きる。



ちょっとややこしいかもしれないけれど
この違いをきちんと理解し、
どういう形で考えるか、どう言葉にするか
くれぐれも気を付けましょうね。

一瞬の思考の形が現実を変えるのですぞ。



わくわく??????

2015年02月02日 22時13分36秒 | ひとりごと
 今年のわたしの目標は「毎日ワクワク」と決めた。
で、書初めにした。

 どんな小さなことでもいい。
それを楽しみとして、ワクワクすることを習慣化しようという意味だ。



 ところが!!
そう決めた途端に、いきなりビックリ!!な出来事が起きた。



 なんと、娘の結婚宣言!!

   突然の結婚宣言 春一番



 彼女は
今年の夏で31歳
そりゃあ、有難いお知らせではあるけれど
恋人のこの字もないと思っていたのに、ちゃんと恋愛していたというからビックリ!!

しかも、お相手のおうちにはとっくに伺っていた、・・・らしい。
向こうのお母様からはX'masカードまで頂いていた(~_~;)


 が、しかし
スイス国籍とニュージーランド国籍を持ち
英語のほかに5か国語ほどを話すのに
日本語は全くダメなんだとさ(~_~;)

娘婿とどうやってコミュニケーションとれっつーの?!


 おまけに身長191センチだと。
どんだけ見下ろされるの?!



 は~~~~~ぁ、
わくわくどころか、あんぐり、である。





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