幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

被災と瀬戸内寂聴の言葉

2011年05月02日 23時59分05秒 | ひとりごと
 父の病室から「週間ポスト」なるものを持ち帰った。

このての雑誌を読んだ事はなかった、が

「東日本大震災」というみだしの言葉に引かれ
なにげなく開いてみた。



そのなかに

「 瀬戸内寂聴 卒寿の誌上説法

   忘己利他 誰かのために祈る 」

があった。


その説法の中で彼女は言う。


「被災しなかった私たちにはいったい
 今、なにができるのでしょう。

 私はこの場所で
 自分が被災していないことに、申し訳ないような気持ちを抱いています。

 何だか、すまないし、恥ずかしいような気持ちが
 どうしても湧いてきてしまうのです。」



・・・まさにこれなのだ。

わたしは、石巻に行き
被災者に直接、接し
言葉には出来ない複雑さのなかに放り込まれている。


自分が無事である事を
ただ、「ありがたい」と感謝できない
とても、重い何かといつも一緒にいる気がしてならない。


石巻で親しくなった被災者たち。

悲しくて、苦しくて、絶望的で・・・

だのに、私に感謝してくれて、
私を抱きしめてくれて、
「頑張るから、負けないから・・・」
と笑顔で送ってくれた人たち。

私には返るところがあり
帰ればもとの生活が出来る。


けれど、彼らにはそれがない。

帰るところも、元の生活も
何一つ残されてはいない。


あるのは、将来への不安と
現実の悲惨さ。


申し訳なくて、すまなくて、

「被災していなくてごめんなさい。
 結局は他人事で、ごめんなさい」

そう思わずにはいられないのだ。


だからといって、自分の全部を彼らのために投げ出す事もしない。

だのに、彼らのことが
脳裏から離れない。

毎日毎朝、

「ごめんなさい」を繰り返している。



寂聴さんは続けて説く。


「私たちは自分のできることを考えるしかないんです。

 三度三度のご飯を食べる事ができ、
 ちゃんとお風呂にも入って、
 暖かいお布団で寝る。

 それがどれほど有難く、もったいないことであったか。

 当たり前の便利さが、どれほど危ういものであったかを感じるだけでも違うと思うんですよ。

 考えて、何も出来なくたって、
 ほんの僅かな義援金なら出すことができるじゃないですか。
 例えば、早く寝て電気を消そうとすることもできるじゃないですか。

 日々の生活を振り返ってみれば、
 私たちはたくさんの無駄をしてきているでしょう。
 食べ物だって、いっぱいいっぱい残しているし、捨てている。

 そんなことを一つ一つ、これやめよう、これは贅沢のしすぎだと
 思うだけでも違う。

 そうやって、これまでの生き方を見直すんですよ」



・・・たしかに、それしかない。

自分の生活を、捨てきる事のできない私には
少しばかりの寄付をするか、
贅沢をつつしみ、感謝の心をより強くするしかない。


それでも、それでも、
被災地で目にした人々を思うと
そんな事ぐらいで済ませてよいのだろうかという気持ちはぬぐえない。


彼女はさらに説く。




「被災地で暮らす方々は、その日を生きるのに精一杯で、
 今夜の寒さをどうするか
 明日の食事をどうしようかと
 気持ちを高めて一日を乗り切っているのが現状である事と思います。

 心の痛みについて考えたり、感じたりしている時間はないことでしょう。

 けれども、しばらくたつと、悲しみや沈んだ気持ちなどがどっとやってくるわけです。
 気持ちも欝になるでしょう。

 そのとき私たちは、被災者のことを決して忘れずに、誰か一人でもいい、
 被災地に暮らしているお友達でもいい、
 話し相手になったり、ずっと付き合ったりしていく気持ちでいるべきです。

 人生にとって一番大事なのは目に見えないものですよ。

 心は目に見えないし
 神も仏も目に見えません。
 
 だけど、その目に見えないものが
 人生を本当に左右させているんです。


 ----- 略 -----


 だからこそ、いま最も疎かにしてならないのは心です。
 祈りです。
 そして知識ではなく
 人にやさしく振舞い
 困っている人たちを助けようとする知恵です。


 あらゆるものが消えてしまっても
 体が残れば必ず心は残る。

 心さえ失わなければ
 人は何とかやっていける。

 私たちはその心を大事にしていかなければなりません。
 
 自分のためではなく
 誰かのために祈る心。

 自分以外の人のための祈りは、いつか報われる時が来るからです」
 
 




被災地で、何のお役にも立てなかった私だけれど
ある婦人から
「昨日はありがとう。
 おかげで、気持ちが軽くなりました」
と言っていただいた。

そして、数人の大切な知り合いができた。



彼らを思えば
涙があふれ
おのずと祈らずにはいられない。


けれど
そんな祈りが
何になるというのかと、
虚しくもなっていた。


でも、寂聴さんの

「誰か一人でもいい。」

を信じよう。

「いま最も疎かにしてならないのは心です。
 祈りです。

「自分のためではなく、誰かのために祈る心。
 自分以外の人のために祈る心は
 いつか報われる時が来るからです」

を信じよう。


そうして、祈ろう。

彼らの幸せが一日も早く戻る事を。


頑張らなくたっていい。
泣きたい時は泣けばいい。

でも、
あきらめないで。
くじけないで。

ふんばって、ふんばって。

いつか、必ず、晴れるから。


・・・そんな思いを精一杯こめて
毎朝、毎夕、
いえ、事あるごとに
彼ら一人ひとりの顔を思い浮かべながら祈ろう。



祈りは波動なのだから、
その波動は必ず繋がるのだから、

祈ろう。

心をこめて祈ろう。

被災した大勢の人のために。

亡くなったたくさんの方々のために。


心をこめて、心をこめて。

 

二つのシンクロナイズ

2011年05月02日 22時43分22秒 | ひとりごと
 大腿部骨折で父が入院した。

骨折したのは私が石巻へ入る前日の深夜。



老人のご他聞に漏れず
真夜中にトイレに立ち、布団の上で転んで骨を折った。

そのまま救急車で運ばれて入院。

しかし、気の毒に
色々な事情から、手術をしてもらえたのは翌々日。
その間、痛み止めで、もたされていたらしい。




私がその事を知ったのは
石巻に向かう途中、福島に入ってからだった。




・・・実はこの日の朝
金田さんと落ち合う地点へ向かう車中
私はずっとあることを心の中で念じていた。



「おとうさん、がまんしてよ。

 なにか、起こるとしても
 私が帰ってくるまでの2週間はがまんしてね。
        
 具合が悪くなるにしても2週間後にしてね。

 たのむわよ、おとうさん。

 途中で帰ってくる事はできないからね」




・・・なぜだかわからないが、
私はこの言葉を心の中で繰り返し念じていたのだった。




本当は、前夜から・・・と言ったほうが正しい。



この頃、おとうさんは寝てばかりいる。
どうも具合があまり良くないらしい・・・


と、母から聞かされていたせいもあり
2週間と言う、主婦にとっての「長期」の留守が
やや心配でもあったのだろう。


そのせいか、私は出発前日の夜から
なぜか父の事が気にかかり
この朝の念じとなっていたのだ・・・と思っていた。



が、本当は父の骨折の波動がすでに届いていたのかもしれない。




ただ、幸いな事に
それを知った時点で
私にはもう、引き返すと言う選択は残されてはいなかった。

金田さんにも話したけれど、
彼女も「仕方ないね」の一言だった。



実際
福島まで来ていてはどうしようもなかった。


それに
弱っている身体で全身麻酔に堪えられるかと言う心配以外には
命に関わる症状ではないし
第一、私がいたとてどうなるわけでもない。
お医者様に任せるしかないのだから
心配したとて始まらないではないか、

と、自分を納得させた。


そして、それ以後
心配するのを止めた。


手術の日
麻酔からきちんと醒める事ができたかどうかの確認の電話を入れた事意外は
2週間の間、一切、父のことを考えなかった。



“私は石巻で2週間を過ごす。

だから、その間は、ここでの事以外を考えない”

そう決めたのだった。



・・・それにしてもこういうのを
「むなさわぎがした」
とでもいうのだろうか。





ところで私。
この3月に限って
なぜか、髪をいつもよりずっとずっと短く切って貰っていた。

まるで
少年のように
いつもの2倍くらい短く切ってもらったのだ。



もちろん、切る時には何の考えもなかった。

ただただ、もっと短くしてみたかっただけだった。

さすがに出来上がった姿を見て

「ちょっと、切り過ぎたかしら・・・・

 全く持って女らしさのかけらもないわねぇ~」

などと思ったものだった。




ところがだ。


このおかげで
石巻にいる間
12日間もお風呂に入れず
髪も1週間以上洗えないと言う事態に陥っても
どうにか辛抱する事ができたのだ。



石巻行きのお誘いがあまりに急であり
美容院に行って髪を切る暇などは全くなかった。

それゆえに3月のカットの時に
いつもどおりに切って貰っていたなら
石巻にいる間にかなり伸びてしまい
収拾のつかない髪形になっていたに違いないのだ。


意図せずして
ただ、なんとなく
いつも以上に短くしてもらった髪型は
まさにグットタイミングだったとしかいいようがない。



以上、2点。

偶然と言えばただの偶然。


でも、私は
そうとばかりは言えない“何か”を思うのである。