2019/6・22 池田湖より開聞岳を望む
さとうみつろう 著 「金持ち指令」
2016年発行?の本です。
図書館で目について借りてきました。
その中にこんな一節が・・・・・・
〝 『私が金持ちである、36の理由』って本を出すんだ。
書いているうちに勘違いが進む。
すると、「私は金持ちかもしれない」と本気で思い始める。
そこから、逆転劇は始まるんだ。
あなたがそう信じたのだから、現実でもあなたは金持ちになる。
そのうち、【私は貧乏だ】という証拠がだんだんと見つからなくなる。 "
で、ちょっとやってみようと思います。
本ではないけれど
36の金持ちの理由。
・・・ここから先は読んでくださらなくて結構ですよ。
時間の無駄?!・・・・・かもしれませんので。
上の二枚の写真、本当はこんな風景。 でも、どれも真実の風景。アングルが違えば見え方が違う。
自分に起きることもこれと同じということですね。
あなたもせっかくですから
「自分がお金持ちである36の理由」をノートに書いてみませんか。
今までの思い込みが外れるかもしれませんよ~~~~~~
はい、では。
「私がお金持ちである36の理由」
世界中の誰もに与えられていながら、なかなか自分の思い通りに使えない時間を私は十分に持っている
1、 時間を誰かに仕切られることなく自分で自由に使っている
2、 朝のラッシュアワーに揉まれることなく生活できている
3、 こんなブログを書いている時間がある
4、 好きな時に心行くまで空を眺め写真を撮る時間を所有している
5、 一日のスケジュールを自分の納得のいく方法で決めている
6、 好きな時に好きな本を読む時間がある
7、 ゆったりとお風呂に入る時間がある
8、 誰にも邪魔されず、一人になって自分と対話する時間がある
十分に気に入っている住まいがある
9、 ずっと望んでいた「空の広い」家に住んでいる
10、 ずっと望んでいた「朝日と夕陽の見える家」に住んでいる
11、 ずっと望んでいた「水の見える家」に住んでいる
12、 窓から大きな木の見える家に住んでいる
13、 元お城の三の丸の中、春には桜、夏には花火の特等席となるベランダのある家に住んでいる
14、 セキュリティーのしっかりした安心マンションに住んでいる
15、 欲しかった大きな無垢の木のテーブルと真っ白な革張りのソファーがある
16、 高級(?)ギャッベも敷いてある
17、 冷暖房が整ってる
18、 大きなガラス張りで室内はとても明るい
19、 アンティークのシェードが雰囲気を醸し出す照明になっている
食の環境もまあまあだ
20、 大好きなnikkoの白磁器を使用している
21、 どれも夫と二人でギャラリーや旅先で選んだ食器である
22、 自然栽培のササニシキをお取り寄せして食べている
23、 ガスと土鍋で毎回、炊き立てのおいしいご飯を食べている
24、 きちんとセッティングして、美しく環境を整えた食卓を維持している
25、 果実酒、みそ、など手作りのものにも親しみ、無添加の、体によさげなものを意識して取り入れられる環境にある
26、 その日、食べたいと思うものが食べられる
27、 いつも空腹を満たすことができている
人間関係
28、 最近の夫は穏やかで気配りが細やかである
29、 夫と一緒にいて幸せを感じられる
30、 娘たち一家も不自由なく、健康に、平和に暮らしている
31、 老いた二人の母も、自分のことは自分で出来ている
32、 特にもめることもなく、一族がそれぞれに平和に暮らせている
33、 同じマンション内でも争いごとはなく、言葉を穏やかに交し合える人々に恵まれている
その他 寄付など
34、 隣の神社のお稲荷さんに鳥居一基とお狐様一対寄進できた
35、 大きな震災やチベット子供村、自然保護などへ時々寄付できる
36、 お賽銭を時々千円、たまに一万円、常時百円ずつだせている
・・・・・ほかにも、こと立ててあげるようでないことを並べればきっときりがないのだと思う。
「お金持ち」に限らず
「豊かである」と項目を変えれば
もっともっとたくさんの「恵まれていること」を上げることができるだろう。
それくらい私は既に「豊」だということなのだ。
「お金がない」とか「貧乏だ」とか、
そっちの思い込みが強いけれど
みつろうさんの教えに従い
「私はお金持ちだ」の思い込みを育て上げていけば
きっと、もっともっと豊かにお金持ちになっていくのだろう。
そういえば
インドのチベット自治区に行ったとき
「ああ、こんな私でもここでは値段を気にせずに買い物ができるお金持ちなんだわ!」
といたく感動したことを覚えている。
世界のお金持ちはあんな感覚で
桁の違うお金と向き合っているのでしょうね。
今、すでに、
幸せでお金持ちの私!!
…と言いきれれば
私たちはすぐにも豊かにもお金持ちにもなれるのですね~~~~。
「お金持ち」の基準をどこに置くか、
それは自分次第、ということでしょう。