幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

今生の記憶

2018年04月30日 17時48分06秒 | 空からのささやき

                                今更ですが・・・・・桜、きれいでした


いつか忘れてしまうかもしれない今を大事にしよう

                            今津正美「七福神で夢をかなえる」より
今更ですが、
8年も前に書かれた本です。

それを今、ようやく手にして・・・・・
なんと遅れていることでしょう。
写真の桜と同じです。


でも、その中の一つ一つに
今やっと気づかされ、感動している私。

遅いんですねぇ~
やっとなんですねぇ~
笑えるぐらいため息がでます。


私と同じように
気づきのやっとの方なら
きっとこの本は身に染みると思いますよ。
今津正美氏のお人柄が伝わってほっこり致しますしね。
おすすめです。


さてさて、
冒頭の言葉に戻りましょう。

過去世の記憶がある、とか
未来の予想ができる、とか
そういうことばかりに「すごい」と反応したりするけれど
「今」だっていつかは過去になり「過去世」」でのことになるんです。
つまりは来世では記憶にない、ということでしょう?

そんな当たり前のことにハッとしました。

過去世を気にして
「だからこうなんだ」とか、「そういうことだったのね」と偉く納得するけれど
こうして過ごしている「今、この瞬間」だって
来世や来々世では思い出すことのできない「過去世」になってしまうのです。

ということは
来世で気にするかもしれない一瞬を「今、この瞬間」に作っているということです。

大切にしなきゃね、この瞬間を!!
大事に生きなきゃね、今生のこの一瞬を!!



楽しんでいますか?

愛していますか?

やりたいことをやっていますか?    

来世でやり直さなければ、と思うような後悔につながってはいませんか?

遊ぶように本を読む

2018年04月30日 17時03分19秒 | ひとりごと
「遊ぶように本を読んでほしい」

先日見ていたNHKの「仕事の流儀」という番組で取り上げられていた北海道の本屋さんの言葉。

いい言葉だなあ、と思ってすぐにメモした。

でも、今、そのことを語ろうとして
「あれっ?」って思えた。



読書などというものは趣味の一つであり、すなわちもともと遊びではないのか。
例えば研究者たちが資料としての本を読むときだって
研究にかかわりのあることを知りえる楽しさがあるに違いない。

それをわざわざ言葉にしなければならないのはどういうこと?!



ああ、そうか・・・・
これは中学生たちに向けて放たれていた言葉だった。

すると
中学生にとっては「本を読む」というと、イコール「お勉強」になるからなのか?

そして、その「お勉強」は決して楽しいことでも喜びでもなく
むしろ「苦痛」であり「つまらないこと」とになるのか?

遊び=楽しいこと
読書=勉強=苦痛

こんな図式が成立するのかな?
なんだか気の毒。

本当は読書も勉強もとても楽しいことなのに・・・・・。

しかし、考えてみれば
学生時代の「お勉強」は
確かに苦痛でこそあれ、楽しいと思ったことは一度もなかったっけ。

あの頃は
本=教科書、参考書
になってしまっていたような気もする。

ま、たまには漫画や小説で息抜きもしていたけれど・・・・・。


今の学生さんたちにとってもそうなのかしら?

読書は勉強であり、「ねばならない」ものであり、苦痛を伴うもの?

だとすれば
読書なんかなるべくしたくはないだろうし、
情報社会の現在だもの、
わざわざ長々しい本を読んで学ぶ必要がない、のかもしれない。

                              



今の私には「ねばならない」ことは何もない。
すべては「したいからする」ことばかり。

だから「お勉強」も「読書」も
したくて楽しいこと。
つまりは遊びなのである。


本の中の世界にいるときは夢中で楽しい。
こんなに楽しい遊びに夢中になれる時間のある大人になれてよかった、とつくづく思う。


紛れもなく
本を読むことはこの世の遊びのひとつだ。

青空に燕

2018年04月27日 17時59分12秒 | ひとりごと

                                    2018.4.26

青い空に
燕がやってきた。            


ツバメの巣作りには
粘り気のある水田の土が適しているという。


田んぼなんて全く見当たらないこのあたりで巣作りをするツバメは大変!!

土がぱさぱさと乾くから
折角こしらえても
途中で崩れたりして・・・・・・


それでもツバメは一生懸命、
高く低く、
あちらこちらを飛び回る。

ごめんね、こんな世の中にしてしまって。

許して下さい、人間の傲慢を。

ありがとう、それでもこうして訪れてくれる。

ありがとう、それでも一生懸命、営んでくれる。

愛しています、愛しています。

空が教えてくれたこと 子育てへの後悔

2018年04月27日 17時13分30秒 | 空からのささやき

                       4月25日  11;29
晴れ上がった空の下、
幼稚園児たちが
手をつないで
岸辺を歩いていきます。

今日は黄砂もなくて
本当に美しい空になりました。


園児たちが楽しそうに笑っています。

ふと、娘が幼かった頃を思い出しました。

今思えば
彼女はとてもかわいくて愛おしくて、
どの瞬間も
大切な宝物だったと思います。

でも
当時の私は
自分だけの時間が全くないことにイライラし
家事と子育てだけの生活に疲れ、
幼い娘につらく当たることもしばしばでした。

二度とない時間だから大切にしなくっちゃ、と
一方ではちゃんとわかっているのに
気づけば
彼女を泣かしていたりするのです。


今、思い出しても胸が締め付けられます。

幼い娘は
どんなに悲しくやるせなかったことでしょう。

ごめんね、ごめんね、ごめんなさいね。




私は
そんな自分をずっと後悔してきました。

不出来な母親だったと
ダメな人間だと
ずっと自分を責め、否定してきたのです。

いまでも、
そのことを思えば涙が溢れます。



でも!!
この頃は
自分を責めるのをやめることにしました。

あの頃はあの頃で、私も一生懸命だったのです。

未熟な私が
見知らぬ土地で
頼る人もなく
必死で子育てしていたのです。

よくがんばったねと、
褒めてあげてもいいのではないでしょうか。

未熟ではあったけれど、
それでも懸命に我が子を愛し育てていたでしょう?!
と、
頑張った自分を認めてあげてもいいのではないかと思うのです。


それに
娘の魂は
そういう未熟な母であることさえも承知の上で
私を選んで生まれてくれたのだと
今は信じたいのです。

彼女に与えた傷も,括りも
そうなることを知っていて
母娘になることを選んできてくれたのだと、
そして、
それらは
彼女にとっても必要なことであり、
すべては私と彼女の魂の成長のための組み合わせであり、
光の世界のお約束だったのだと・・・・・

                                                            

だから、
自分を責めるのはやめました。
この世の現象だけで考えるのもやめました。


すべては神図らい。

すべては予定通りうまくいっている!!



ただ、
一日も早く
人生の前半の「括られる日々」から
自分で気づいて「目覚める日々」へ
彼女がバージョンアップしてくれることを願ってやみません。

今の私は
そういう考え方を選択したいと思います。

小さな幸せ 暗い朝に

2018年04月27日 16時57分52秒 | 暮らし
数日前の朝
前日からの激しい雨がまだ止まず
朝食の時間にもどんより暗かったのでした。


朝食といっても
我が家では大した物もいただきませんが
それでも一応テーブルには着きます。


そんな時、空が青いとすごく気持ちがよくて
それだけでとても幸せな気分になります。

反対に
雨が降っていたり
どんより曇っていたりすると
気持ちまで沈んでしまいます。

だから、朝はやっぱり晴れてくれたほうが嬉しいです。

でも、
この日はふと思いついて
小さなランプを灯してみました。     
                          

 

オオデマリの花一輪と一緒にテーブルの真中へ・・・

あら、ちょっといいじゃない?!

うふふ、すてき。

・・・・・ひとり悦に入って
今日も小さな幸せ見つけました。