幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

眺めましょう

2011年09月30日 23時23分49秒 | 波動
「静観」という言葉があります。
静かに、口を出すこともなく、しっかり見ているのに、
でも見詰めているのではないのです。
この「静観」が大事なのだと気づかせて頂きました。


 一昨日
静岡県袋井市の秋葉山可睡斎で
座禅を組ませて頂きました。
写経も致しました。

その時
指導してくださった雲水さんの言葉。

「座禅を組む時
 目は開けていてください。
 目を閉じると眠ってしまいます。

 一メートルほど先に視線を落とし
 そこを眺めていてください。

 見詰めてはいけません。
 見詰めると吸い込まれてしまいます。 
 ただ、眺めるだけにして下さい」



 ああ、そういうことだったのか。


と、私の中で何かがはじけました。

目を閉じたりそらしたりしては見えなくなってしまいます。
場合によっては眠ってしまいます。


けれど、あまりにもひとつのことに見つめすぎると(こだわりすぎると)
その事象の中に吸い込まれてしまうのです。


事実を〝事実”として受け止め、状態を把握し、
「知り」「眺める」
・・・これが
普段の生活においても大事だということです。


何か、嫌なことが起きたとき
あまりにも「そのこと」に気を取られすぎると
その中に吸い込まれて、わけがわからなくなり
大変な心境になってしまう、ということでしょうね。


「ああ、私は今、○○を感じているな」
と、〝何かを感じ、体験している自分”を静観することが大事だということですね。
喜びであっても、悲しみや怒りであってもです。


それができれば
何が起きても冷静でいられるということなのでしょう。


その
心静かに穏やかにいられることこそが
「幸福」への近道に違いありません。

これに感謝の思いを加えられれば
私たちはすぐにでも
「幸せ」の真っただ中に「在る」ことが可能になります。



 

 さらにもうひとつ。
これは写経を始める前の彼の言葉です。


「うまく書こうとか
 早く書こうとか思ってはいけません。

 ただただ、一画一画を
 一本の棒だと思ってなぞってください。

 その一本一本を
 丁寧に真剣になぞって最後まで無心になる。

 それこそが
 禅の修行なのです」




 ここにも
人生の秘訣がありました。


目の前に来ること
今、与えられていること、
成さねばならないこと
それらを
一つ一つ丁寧に
ただただ、
一生懸命に修める。

その繰り返しが
私たちの人生を仕上げてくれるということです。



 ただし
写経は
きちんと掃除がなされ
整然と整えられた部屋と机で行います。

雑多なものがあっては気が散るからだそうです。

日常の中の
不必要な事柄をあえて切り捨て
一番大事な「一本の棒」を邪念なく成す。

それこそが
今生で
己が書き上げるべき充実した人生となるのかもしれません。



 
 
 あがったりさがったり、
晴れたり嵐だったり
人生には毎日いろいろあるでしょう。

そんな中で
いつも心穏やかに
それを眺める自分を育て
成すべきことを一つ一つ
丁寧に、精いっぱいこなしていく、
それが
その人の「幸せ」なのだということに気付けば
何が起きても問題はないのです。

ただ、
私たちはどうも
「掃除」もされない「雑多の環境の中」に入ってしまう事が多いようです。

時々
今の自分の環境を
「掃除」して「整える」必要はありそうです。
「忙し」すぎるのは
漢字そのままに「心」を「亡くす」ことになりますから。





 今日も
あなたが
「心が穏やか」という「幸せ」の中で
写経の「一画」を書くような一日を積み上げられますように・・・。

突然のBMW

2011年09月23日 22時20分19秒 | ひとりごと
「今日、BMWが届くから・・・」

朝、娘が突然そう言った    


「B,BMWが届くって、あなた・・・
 相談もなく、いったいいつ買ったの?」


目が、飛び出るほどびっくりした。




我が家には
今でも車が2台


駐車場が一台分しかない我が家では
もう一台の分を借りている。

近頃は近所に空地もなくなり
また駐車場を借りようとすると大変なのは目に見えている。
いったいどうするつもりなのか!! 



 それよりも何よりも、
27歳になった今も我が家に同居し
月々2万円しか家に入れないパラサイトまがいの身で
一言の相談もなく
いったい何を考えているのか    



あ  もしかして
私をかつごうとしている  



などと、頭の中をいろいろな思いがUFOのように飛び交った。





と、ピンポーーン 

・・・ドアホーンがなった。



「あ、来た」

嬉しそうに
娘は飛び出していった。




うそ~~~~~~

やっぱりホントなの   


駐車場、どうすんのよぉ~~~~~~





  

鼻歌交じりで娘が戻ってきた。

段ボール箱を抱えている。




   ???


中から出てきたのはエスプレッソマシーン。



・・・
「もしかして、BMWってそれのこと?」


「うん、そう
 これ、BMW製なの」








ご存知でした?
あのBMWがエスプレッソマシーンも作っているということを・・・ 



フラワーエッセンスの効果

2011年09月22日 20時26分54秒 | 波動
 夫や父に対する「受け入れ難い何か」や
「わけのわからぬイライラ」をなんとかしたくて
7月の末にフラワーエッセンスを購入し、服飲している。



Bachの「Beech」;寛容・・・グリセリン(植物性)80%、水、ピーチ

「Vine」;インスパイア・・・グリセリン(植物性)、水、パイン


この二つを購入しBeechは三分の二ほど飲んだ。
Vineはまだ三分の一ほどしか飲んでいない。


始めはお茶や水に溶かして飲んでいたが
そのうち面倒になって
一、二滴ずつを舌の上に直接たらすようになった。



甘い。
花の味や香りは分からない。




 一、二度で、効果の出る人もいるらしいが
私の場合、直後は何の効果もないように思えた。

それでも
これ以上、病気の原因を作りたくないと
藁にもすがる思いで毎日服用した。


で、このごろ気づいたのだが
夫に対してあまりイライラしなくなっているのだ。

バッチフラワーを飲用し始めてそろそろ二か月になるが
イライラしなくなったのは
もっと前ではなかったか。

9月の初め頃には
なんとなく
彼らの言動に関しての
いろいろな事が受け流せていたような気がするのだ。


つまり
「寛容」になれたということか・・・・・?



フラワーエッセンスが効いたのか?!

それとも単に
そういうバイオリズムなだけか・・・。


はっきりしたことはわからない。

ただ、言えるのは
7月以前ほど
夫に対してイライラしていないという事実である。



結局、効果のほどは
あくまでも「なんとなく」としか言えないのだが、
しかし、それでも

「こんな方法もあるよ。
 騙されたと思って試してみたら?」

と、今後
自分の感情を持て余している人に勧めてしまうだろう、と思う。

しあわせになろうね

2011年09月21日 14時41分49秒 | 波動
 苫米地英人の「スピリチュアりズム」を読んだ。

難しかった。

そもそも、彼の肩書そのものが難しい。

脳機能学者、計算言語学者、計算機科学者、離散数学者、認知心理学者etc.・・・

計算言語学・・・???・・・なんのこっちゃ・・・?!
離散数学・・・わからん・・・・・

私が無知(?)なだけかい?????


なんでも、カーネギーメロン大学大学院在学中に
世界初の音声通訳システムを開発した人らしい。



 以前に偶然この人の本を読み
その中で今回読んだ本を書いていることを知り

「いつも読んでいるのとは真反対の主張も知って
 自分の偏りに均衡を保たなくては・・・」

と考えて取り寄せたのだった。


思った通り脳学者の彼は「死後の世界」や「臨死体験」はすべて
「壊れていく脳」の状態の一つだと主張し
よって、そんなものは存在しないと言い切っている。


彼はとくに江原啓之氏を否定し
「スピリチュアル」はオーム真理教につながる、と説いている。
さらに、転生やカルマがカースト制度や民主差別を生み出しているのだともいう。


う~~~~ん、難しくてよくわからん   

というのが正直な感想。

でも、彼の主張が正しければ
今後私は「スピリチュアル」という言葉は使いたくないな・・・
と思った。



それでも、わからないなりに結構面白かった。

オーム真理教のサリン事件で
本当は一番罪を負わねばならない○○大学の教授が
いまだに糾弾されることもなくテレビに出たりしていること、
死に目に会うと、どうして「走馬灯のように人生の全て」を見てしまうのかという脳の仕組み
それに
江原氏の胡散臭さ・・・

実は私も江原氏には?がいっぱいで、
なんだかレベルが低すぎるような気がしていた。

それでも彼には「見える」のだから
ま、どうでもいいか・・・と思っていたのだが
苫米地氏の解説は実に痛快に彼を分析していた。

氏に言わせれば
江原氏は「悪気のない自分探し君」が
「たまたまマスメディアの視聴率アップに利用された」だけらしい。

このあたり、ご興味のおありの方はぜひこの本お読みくださいませな。




 で、私が今日言いたいことはこんなことではない。

実は「スピリチュアリズム」を全面否定するこの本の中に
とても興味深い一文を発見したのである。



〝 私の想像ですが、おそらく、はるか昔から
 情報空間に対して脳と心(意志)を使って働きかけることが
 できる能力を人類は持っていて
、進化もそれで引き起こされたのではないでしょうか。
 遺伝子が書き換えられるというのはまさにそういうことなのでしょう。

 -------略ーーーーーーー

  人間の脳は、本来、そうした情報空間に対して
 影響を与えられる能力を持っていると私は思います

 その能力を開花させる秘技を三蔵法師らが中国に伝え
 そこに留学した唐の時代の最澄、空海が学び、そして密教という
 一つの方法論として日本に伝わり、国家鎮護のため
 彼らが結界を張ったとも言えるでしょう ”

座禅や瞑想は、快、不快の伝達物質である「ドーパミン」を多量に出させるための方法に過ぎない、
と言い切り
その状態がいろいろな非現実をみさせるのだと言い切っている彼なのに
「結界」を肯定していることに(!!)だった。

そしてもっとも
「ヤッホー!!」って思ったのは
意志(脳)は目には見えない「情報空間」へ働きかけることができる
ということでした。



ほらね  

スピリチュアル的のみならず
脳科学的にも
「思い」は「情報空間」に影響を与えることができるってさ

だからね、
自分が何を思うか
どんな言葉を口にするかで
情報空間は変わってくるんだよ。

ということは、やがては
物理空間にだって変化が出るということでしょう?!

だから
考えることや、口にすることはとても大事!!


さあ、しあわせになろうよ 

ポジティブな考え方で幸せ因子を作り出そうよ 



〝ありがとうございます

 愛しています、大好きです

 感謝です、幸せです、うれしいです

 ラッキー、大丈夫、うまくいきます ”



これらの、幸せ言葉で自分を満たしてくださいね。

考えることは気持ちの良い事のみ

〝 成功、信頼、安心、平和、順調、光、明るい、
 健康、おいしい、自信、自尊、自由、楽天主義・・・”


いつもいつも
自分の辞書は前向きな言葉だけにしましょうね。


ポジティブな言葉こそ幸せを導きます。

なんたったって、脳機能学者のおすみつきですもの。

ね、みんな、しあわせになろうよ、

簡単なことだもの。


言葉を選んで脳を改革して
情報空間に作用して
みんな、みんな、しあわせになろうよ

御縁は難しい?!

2011年09月21日 13時36分31秒 | ひとりごと
 仕事の一つとして
「あなたへの手紙」という
毎月の通信のようなものを発送している。

その月々に、心に浮かんだ「あるテーマ」を
自分の拙い経験や失敗談などに込めて書く、いわば随筆のような文章と、
購読者個々人にあてたメッセージをセットにして送るのである。


 


 今月のテーマは「御縁」であった。


〝 御縁 御縁
 
  つながる御縁 切れる御縁

  一瞬の御縁 長い御縁

 
  全てはその時に
  必要あって与えられる ”  




〝 あれも これも それも

  大きなことも 小さなことも

  嬉しいことも 悲しいことも

  みんな御縁 みんな御縁



  私の一生を紡ぐ大切な一瞬 ”




こんな言葉を添えて
訪れたり去って行ったりする御縁の
共時性と有難さを意識してほしいと願った。


いつも書いているように
どんなことも
全てが必要だから与えられると考えれば
そこから自分が何を学ぶかが見えてくる。

そしてその気付きを与えてもらえていることに感謝ができる。

そうなれば
この世の中に
「本当に不幸な事」「どこまでも辛いこと」「嫌な事」は
なくなってくる。

しんどい出来事の中にも
必ず「感謝すべき有難いこと」は潜んでいるし
それに気付くことさえできれば
その時自分が「幸せである」ことを確認できるのだ。

その「幸せ」感こそが
「幸せ」の青い鳥であり
いつだって「幸せ」でいられる最大の秘訣なのである。





 私たちは人間。
人と人の間で生きる人間。

人と人の間で生きてこそ
いろいろなことを体験し学び、ほんとうの「人」になっていく。

そんな私たちの学びは、多くの場合
「人様」を通して運ばれてくる。


だから
相手がいい人で
素晴らしいラッキーを運んで下さるときは勿論
嫌な出来事のきっかけになったとしても
それも
大切な〝御縁”にほかならないのだ。





 
 昨日
購読者の一人から返信があった。



〝 「御縁」の難しさ

  年を重ねるごとに感じています。


  ・・・九月のたよりで感じたこと ”


と記されていた。




 読んだ瞬間に心が重たくなった。


思い過ごしであってほしいが
彼女の閉塞感を感じてしまったのだ。




「ほんとうに
 皆様のおかげで、
 と
 年を重ねるごとに感謝です」


・・・同じ妙齢の女性の言葉とつい比べてしまう。



「難しい」としか思えないお付き合いは
「難しい」と思ってしまう捉え方そのものに原因があることに
彼女は気付いているのだろうか。


せっかくのいろんな御縁を
「年を重ねるごとに難しいと感じる」と
言わざるを得ないような「自我」を
大きく育ててしまっているのではないだろうか。


自分の物差しで人をはかることをやめ
「自我」を小さくし
「こうあらねばならない」を捨てさえすれば
ずっとずっと楽になるし
「私は人様の良い所のみを受け取る」と決めてしまえば
周りはみんな良い人になっていくのに。



「御縁」は決して難しいものではないだろう。


一見「腐れ縁」だったり「悪縁」に見えたとしても
その裏に潜んでいるほんとうの「御縁」」に心を止めれば
「御縁」はいつだって「有難い」物になりうると
と、私は思っている。



誰かを介して
ちょっと嫌な出来事が起こってしまった時
私ならこう言いたい。



「ほんとうに
 いろいろな御縁を頂戴するのおかげで
 たくさん学ばせて頂けます。

 ありがたいことです」






 彼女の葉書から受けた重苦しさが
私の勝手な思い違いであることを願ってやまない。