虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

ゴーリキーが読みたい

2009-01-23 | 読書
ゴーリキーが読みたい。

ロシア文学には、トルストイとドストエフスキーの他に、プーシキン、ツルゲーネフ、ゴーゴリ、ゴンチャロフ、ゴーリキーとかいろいろいるはずなのに、トルストイとドストエフスキーの二人の巨人がその前後周囲の作家を蹴散らしてしまった感じだ。トルストイとドストエフスキーの大作品を前にすると、ツルゲーネフでも(あれほど、一世を風靡した文豪なのに)読もうとは思わなくなる。

ゴーリキーもそうだ。だいたい、わたしは、ゴーゴリとゴーリキーの区別もあいまいだった。ゴーリキーは革命政権時代の作家で、ロマン・ロランとの交渉などもあったことは知っていたが、なんか近づきにくかった。政権と近い存在だったからかもしれない。ゴーリキー、ここ何十年か、書店には姿を現していない。はやらない文学だったのだろう。

でも、読んでみたい、と思う。かれはナロードニキにあこがれ、革命運動に身を投じた闘士だ。貧しさを知り尽くした作家だ。底辺の労働者の生活を描いた作品は、いまこそ、日本人に読まれるべきかもしれない。

かれの急死は、スターリンの指令による毒殺だった、ということも今まで知らなかった。ゴーリキーについて何も知らないできた。