虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

腕に覚えあり2

2007-12-04 | 映画・テレビ
おっ、テレビ番組欄で「腕に覚えあり2」を見つけた。これもやってくれるのか、見よう、と思った。
「腕に覚えあり」1シリーズは7,8年前再放送したことがあるけど、シリーズ2やシリーズ3はしてなかった。今回、腕に覚えあり2ははじめての再放送になる。
腕に覚えありのシリーズ2は1よりもおもしろかった記憶がある。すっかり忘れているが、2は黒木瞳が出てきて、3ではヨメさん(清水美砂)が殺されるんだったけ。シリーズ3もぜひ続けて放送してもらいたいものだ。
「風の果て」はどういうわけか見ていない。

三国志と中国革命

2007-12-03 | 読書
わたしは、今のところ、1949年に中華人民共和国が成立してからの中国にはあまり関心はない。新しい革命政権ができるまでが知りたい。それは、ロシア革命なら、ロマノフ王朝、臨時政府を倒して、ソビエト政権ができるまでで、そのあとのことはあまり関心がなく、明治維新なら徳川幕府を倒すまでがおもしろいと感じるのと同じ。

そういう意味で、中華人民共和国ができるまでの中国史は実におもしろい(おもしろい、というのは、その歴史の中で不運にも命を落とした何万という人々には酷ないいかただけど)。

まるで三国志の世界だと思った。いや、三国志以上だ。
清朝が倒れてからは、国民党、共産党、日本軍の3者が覇権を争う。これに、中国軍閥も加わり、欧米やソビエトも背後で暗躍する。無名の無数の学生、農民、労働者、兵士たちが動乱に立ち上がる。英雄、志士、暗殺者、裏切り者、美女、策士、三国志に出てくるような人物はすべて登場するのではないか。

アヘン戦争から新中国成立までの動乱の歴史は、おそらく中国史を通じて最大のドラマ、大叙事詩になるだろう。だが、そんな本がまだ生まれていないのが残念だ。

最近、毛沢東の悪を暴露する本も出ているようだ。毛沢東の非を指摘するのはかまわない。ただ、毛沢東に悪罵を投げつけることによって、あの100年にわたる中国革命も否定されてしまっては困る。かつてスターリンとかレーニンの悪が大々的に論じられて、わたしは、ロシア革命自体への興味や関心もなくなったことがある。ロシア革命は失敗だったのだ、誇るべき歴史ではなかったのだ、という風にも錯覚してしまう。そうではないだろう。ロシア革命でも、中国革命でも、一部の指導者はいざ知らず、多くの人々は、自由、平等という理想を求めて立ち上がり、死んだ。世の中や政治に対してよりよいものを求めて人々が立ち上がるのはよいことなのだ。革命への興味、関心をなくさせるのは、そういう人々の動きを否定することにもなる。

日本の明治革命なら本はある。大仏次郎「天皇の世紀」、海音寺潮五郎「西郷隆盛」。しかし、中国革命にはまだない。わたしが知らないだけか?


ニム・ウエールズ「アリランの歌」

2007-12-02 | 読書
岩波文庫の「アリランの歌ーある朝鮮人革命家の生涯」。

著者は、「中国の赤い星」を書いたエドガー・スノーの奥さん(のち、離婚しているが)。スノーが延安で毛沢東を取材したあとに、延安に入り、そこで、一朝鮮人革命家キム・サン(仮名)に出会い、聞き取りをして書いたものだ。

本は前から買ってあったけどまだ読んでいなかった。中国革命に関心が出てきて、やっと読む気になった。これは中国革命の物語でもあるのだ。中国で中国の革命運動に命をかけていた多くの朝鮮人たちがいたのだ(日本人もいたと思うのだが)。

小田実の「毛沢東」の冒頭で、延安の革命博物館にいき、ここに朝鮮人が住んでいた洞穴はないのですか、と質問すると、言下に「朝鮮人なんかいなかった」といわれた、と書いてある。この「アリランの歌」のキム・サンだけではなく、延安には他にも朝鮮人がいたのに。中国でのいろいろな革命運動に朝鮮人は数多く参加し、重要な働きをした。しかし、どうも、幕末の薩摩や長州が維新後、草莽を切り捨てたように、無視しているのかもしれない。15年戦争は、日本と中国との戦いだが、それは朝鮮人との戦いでもあったのだ。

革命家の自伝としては、トロツキー、クロポトキンの自伝があるが、これは無名だけど、人間の立派さとしては、有名人に劣らぬ、いや、それ以上に親近感を感じさせる自伝だ。あまりにもおもしろく、内面の記録も実に生き生きとしているので、聞き取りをかなり脚色してるのではなかろうか勘ぐりたくなるほどだ。

圧巻は、広州コミューンの戦いに参加し、そこから脱出する壮絶なところだけど、いろいろな革命家群像の描写、女性との恋愛、牢獄の場面など、興趣は尽きない。とても、短文では紹介しつくせない。

著者はトルストイファンで、活動中もたえずトルストイを読んでいたという、誠実な人。革命家に結婚は必要ではない、結婚すれば女性を不幸にすると常にいい、仲間からは「ピューリタン、坊主」とからかわれていた著者が、ある女性の積極的な攻勢にあって、一緒になるところなど、おもしろかった。女性は何人か出てくるが、ちょっとしたセリフ、行動の描写が実に的確で、どの女性も忘れ難い印象を残す。鉄のような強靭な意志をもった革命家だけど、女性をひきつけるやさしさを持った人なのだろう。

日本人もちょこちょこ出てくる。
逮捕され、朝鮮に送還されるとき、日本領事館の私服警官(早稲田出身)がつきそうのだが、この警官は朝鮮人好きで、それも命を捨てて革命に生きる人に関心があるのか、しきりにキム・サンに話を聞きたがる。奥さんは朝鮮人であるという。この警官が、「インターナショナル」を歌ってくれとたのむと、キム・サンは「インターナショナルは勝利の歌だ、歌う気にはならない。そのかわり、死と敗北を歌う歌、アリランの歌を歌ってあげると、低い声で歌いだす。警官はこれまで聞いた中で一番美しい歌だ、と感想をいう。
「あなたの奥さんはこの歌を知っています。何代にもわたってすべての朝鮮人が伝えてきた歌です。もし、奥さんがこの歌を一人で歌っているのを聞いたら、新しい服を買ってあげてやさしくしてあげてください」と伝える。

アリランの歌は300年も昔から歌われてきた民謡だ。李王朝の時代、ソウルにアリランといわれる丘があり、そこは刑場になっていた。大部分が圧政に抗した貧農たちだが、この丘の刑場にいくとき、このアリランの歌をうたったことになっていた。囚人がつくった歌らしい。

この人は、33歳で、トロツキストということで、党によって、処刑されたそうだ。

なお、小田実も(ヨメさんも)、この本を愛読書の一つにあげている。

小田実「毛沢東」

2007-12-01 | 読書
小田実の「毛沢東」(岩波書店)を図書館で借りた。そういえばあったな。でも、読んでないな、と思った。もちろん、閉架書庫に眠っていて、ひっぱりだしてもらった。
20世紀思想家文庫の1冊だが、小田実の本の中でも最も売れなかった本のひとつではなかろうか。

出版は1984年。毛沢東、周恩来はすでに死に、文革の功罪が語られ、小平の開放政策がすすめられている時代だ。毛沢東や革命などには人々の関心が向かなかった時代。

小田実は一面、国際大ジャーナリストでもあると思っているので、中国に半年滞在して書いた本には、随所に有能なジャーナリストとしての小田の見聞がある。しかし、それでも、むずかしい。なんといっても毛沢東。しかも、新中国成立後の文革までの毛沢東が中心だ。

わたしは、文革はおろか、毛沢東も知らない。毛沢東伝の基本的なあらすじを知っておかないと、ちょっとこれは読みにくい。わたしは、まだ孫文が活動しはじめたころの中国しかかじれていない。小田実の毛沢東を判断する知識がこちらにない。

中国革命で、小田実だから借りたのだけど、まだ孫文あたりが清朝を倒すために奔走しているあたりの歴史をさまよっている。毛沢東はまだまだ先のことだと思っている。一通り、中国革命の全体をつかんだら、また再読しようかなと思う。

しかし、この本のようにある時代にその土地を訪れて考えて書いたジャーナリスチックな(一部だけで、小田一流の思索を書いているのだけど)本は、鮮度が古くなるので、再販されることないかもしれない。小田の本はこのような運命の本も多い。

小田実はあとがきで書いている。毛沢東ははやりを過ぎた。近くの大きな本屋に行っても、毛沢東も「中国革命」の本は影もかたちもなかった、と。これが20年前の話だ。

今、独裁者毛沢東を暴露する、という本はあるものの、「中国革命」の本などやはりどこにもない。しかし、中国革命は、他国はいざ知らず、近代日本を理解するには避けて通れないと思うのに。








鈴江言一と兆民の孫娘

2007-12-01 | 読書
鈴江言一の経歴については、東洋文庫「中国革命の階級対立」の解説で初めて知った。へー、あの時代にこんな日本人もいたのか、という驚きだ。

米騒動に参加し、官憲に追求されるが、日本脱出を思い立ち、北京に旅立つ。25歳のころ。北京では5・4運動の中核となったグループと交際し、中国共産党に繋がりをもち、武漢政府の成立にも参加、危険な目にもたくさんあった革命家だ。中国革命に参加した日本人として貴重な体験の持ち主だが、自己については語らなかった。

1894年(明治24年)、島根県の農村に生まれる。父親(代議士)の事業が失敗し、母と共に、京都で貧困生活を送る。小学校を卒業したあと、単身上京して、書生をしたり、土工をしたり転々。18歳のころ、車引きとして働きながら明治大学に籍をおいていたらしい。中国にわたるまでは中国には何の関心ももっていなかったようだ。

中国では、名前も中国名をつけ、中国人になりきった生活をしていたようだ。中国で、中江丑吉を知り、兄事する(中江が2歳上)。中江は鈴江について「あれの学問だけは人が切れる。切れば血の出る学問だ」といっていたそうだ。中江は鈴江を弟子というよりも、畏友として尊敬していたと思う。

こんな話がある。「2年ほどの間、陋屋の土間に桶を並べ、その上に戸板を一枚敷いてベドとして寝み、起きるとその上にキチンと座って勉強され、食物はほとんどオートーというトーモロコシのマンジューと漬物と、時とすると街頭に出て、1銭か2銭で足りる羊の腸をゆでた固い奴を酢醤油で食うのを楽しみにしていた」(加藤惟孝「北京の中江丑吉」)


中江が死んだとき、鈴江はその葬儀のため、中江の姉千美の家を訪ねるが、そこであったのが浪子という千美の娘。たった10日で婚約したという。このとき、鈴江は50近い年齢だったと思う。鈴江は50歳で病死するので、結婚生活は2年で終る。

鈴江言一の写真を見た。学者、インテリの顔ではない。書斎人の顔ではない。土工の親分でもつとまりそうなたくましい面だ。しかし、顔細長く、鼻高く、眼光ただならぬ美男子なのだ。異相の人。
自分流の生き方を貫き、きらいな人とは一切口を聞かなかったり、頑固であり、ちょっと傍若無人な快男児を思わせる。兄事していた中江丑吉も「変人」といわれていたそうだけど。


言一のヨメさん浪子さんは、平成11年5月に90歳でなくなった。

なお、みすず書房から出ている「中江丑吉書簡集」というのは、半分が、この鈴江言一にあてた書簡だそうだ(これは見ていないが)。

なお、二人とも敗戦も新中国の成立も知らずに病死する。ついでだけど、二人とも、荘子を愛読したようだ。