虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

三国志と中国革命

2007-12-03 | 読書
わたしは、今のところ、1949年に中華人民共和国が成立してからの中国にはあまり関心はない。新しい革命政権ができるまでが知りたい。それは、ロシア革命なら、ロマノフ王朝、臨時政府を倒して、ソビエト政権ができるまでで、そのあとのことはあまり関心がなく、明治維新なら徳川幕府を倒すまでがおもしろいと感じるのと同じ。

そういう意味で、中華人民共和国ができるまでの中国史は実におもしろい(おもしろい、というのは、その歴史の中で不運にも命を落とした何万という人々には酷ないいかただけど)。

まるで三国志の世界だと思った。いや、三国志以上だ。
清朝が倒れてからは、国民党、共産党、日本軍の3者が覇権を争う。これに、中国軍閥も加わり、欧米やソビエトも背後で暗躍する。無名の無数の学生、農民、労働者、兵士たちが動乱に立ち上がる。英雄、志士、暗殺者、裏切り者、美女、策士、三国志に出てくるような人物はすべて登場するのではないか。

アヘン戦争から新中国成立までの動乱の歴史は、おそらく中国史を通じて最大のドラマ、大叙事詩になるだろう。だが、そんな本がまだ生まれていないのが残念だ。

最近、毛沢東の悪を暴露する本も出ているようだ。毛沢東の非を指摘するのはかまわない。ただ、毛沢東に悪罵を投げつけることによって、あの100年にわたる中国革命も否定されてしまっては困る。かつてスターリンとかレーニンの悪が大々的に論じられて、わたしは、ロシア革命自体への興味や関心もなくなったことがある。ロシア革命は失敗だったのだ、誇るべき歴史ではなかったのだ、という風にも錯覚してしまう。そうではないだろう。ロシア革命でも、中国革命でも、一部の指導者はいざ知らず、多くの人々は、自由、平等という理想を求めて立ち上がり、死んだ。世の中や政治に対してよりよいものを求めて人々が立ち上がるのはよいことなのだ。革命への興味、関心をなくさせるのは、そういう人々の動きを否定することにもなる。

日本の明治革命なら本はある。大仏次郎「天皇の世紀」、海音寺潮五郎「西郷隆盛」。しかし、中国革命にはまだない。わたしが知らないだけか?