虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

げんをかつぐ 法華経の力?

2007-10-06 | 日記
今日、不思議な体験をした。

ある用事を果たしたあとの帰り道、スタンドでガソリンを満タンにしたあと、5,6分ほど走って信号で停車すると、エンジンが止まっている。何度かエンジンを始動するもすぐに止まる。止まったまま。後ろから車が来る。停車ランプを点滅させるがこのままでは危険。すると、二人の人がやってきて、車を押してくれて、民家の道路わきまで移動することができた。そこで、さっそく、JAFに電話。電話していると、そこにぬっと現れたのが、近所の知り合いの(車を買った)店の人。「どうしました?」。年に1回も会うこともない人なのに、こんなところに偶然現れるなんて。JAFはすぐにキャンセルして、その人に頼んだ。車は、その人が修理工場へ、わたしは、その人の車で無事、帰宅。

エンジンがかからなくなる、なんて、ガス欠の経験はあるが、ガソリン満タンなのに初めての経験だ。びっくりした。しかも、ちょうどそのとき、車の修理屋さんが向こうから「どうしました」と現れたのも驚いた。まるで、仏さんか神様が助けてくれたよう。と、そう思うと、車の中に岩波文庫の「法華経」下巻を入れてあったことに気が付いた。そうか、法華経の効力だったか、と(笑)。

げんをかつぐというのでしょうか、かなり前、岩波文庫の「法華経」(坂本幸男、岩本裕訳)を読んでいるとき、いいことがあったような気がして、なにか絶対絶命のとき、「法華経」を手にすることがたまにあった。肉親が手術室に入った時にも、外で法華経を見ながら待っていた経験もある。そのときは成功した。今日も、ある交渉事があって、無事に終るといいなあ、と思って法華経を車の中に入れておいたのだ。お守りです。

といって、わたしは、法華経のなんたるかは知らない。これを持っていたらいいことがある、これを読んだら果報がある、などの効能書きばかりの内容で、とても諸経の王といわれる法華経の真価なんて読み取れない。はたして内容なんかあるのだろうか、と思うほどだ。信仰心はない。寺社にはよくいくけど、あまり手を合わせたこともない無法者です。

別に法華経の効力ではなく、いいことは、他にもいろいろ原因があるはずなんだけど、法華経だけが「これを持っているといいことあるぞ」と説いているので、それだけが頭に残っていたのかもしれない。

おおげさかもしれないけど、今日は、不思議なこともあるもの、神様仏様に助けられたという気持ち。いや、ほんとうは人に助けられたのかもしれません。人に感謝をしなければならないのでしょう。

法華経の中の観音経では、困ったとき、助けて!というとすぐ観音様が姿を変えて現れるそうです。今日はその効能を目の当たりにした気持ち(笑)。法華経には、ますますげんをかつぐことになりそうだ。
ともあれ、交通安全には気をつけましょう。自動車点検も必要です。
                               南無法華経
画像は三田永澤寺の観音像