虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

貞享義民記念館

2007-08-08 | 一揆
ここは貞享3年(1686年)、松本藩を相手に年貢増長に抗議して、多田加助らを首謀者として約1万人が松本城下におしかけた一揆を記念して建てられた。
10年ほど前、「ふるさと創設基金」とかで建てたようだ。

立派な建物だ。ここは、多田加助の屋敷のそばらしく、前には、多田加助たちを祭る貞享義民社(明治時代に建てられる)や多田加助の墓もある。
記念館の横には、「義民そば」という名のソバ屋も。大丈夫やろか。人ごとながら、採算がとれるか心配だ。
記念館の裏には、一揆の密談をした神社もある。

入ると、まず若い美人の女性スタッフがシアター室に案内してくれて、ここで20分ほどの影絵風映像でつづった一揆の物語を見せてくれる。
このシアター室は、一揆の相談をした神社の本堂を模して作られ、一緒に一揆の相談をしている雰囲気を味わえるように作られている。床にあぐらを組んで見た。
映画が終ると、館長さんが展示室でひとつひとつていねいに説明してくれる。
他にはだれもいない。めったに入館者はないにちがいない。

館長さんの説明が、松本藩はそんなに圧政ではなかった、と松本藩を弁護するように聞こえるところがあったので、え、まさか、「新しい歴史教科書を作る会」のような考え方の人だろうか、と一瞬思ってしまったが、わたしの誤解だとは思う。

ここは教育委員会の施設であり、「一揆」をどう人々に伝えるか、かんたんではあるまい。この安曇野市の教育方針が、どういうものか知らないが、天下の法度を破り、お上にたてつき「強訴」をした事件をどう教えるのか。自由民権期のように松本藩の悪政を云々するのもはばかれるのかもしれない。
松本城は年間、何万人もの観光客が集まり、松本のシンボルだ。ここは、その松本城におしかけ、糾弾し、藩によって28人が処刑された人の土地。
貞享義民記念館の立場もむずかしいと思うがどうなのだろう。

(政治が)「革新でないところはこういうのはやりにくい」と館長さんはいっていた。

当時の藩主水野家には多田加助の像を作り、それを祭っていたそうだが、その像(模造品だが)も展示してある。
多田加助の子孫の方は、今でも多田という名で、ここの近くに住んでいるそうだ。

立派な建物だけど、今は、だれも訪れる人はいない。しかし、赤字だからといって、明治以来の郷土の伝統を消滅させてはいけない。誇るべき郷土の施設だと思う。




霧が峰

2007-08-08 | 日記
土日をはさんで信州を走ってきた。
八島湿原、霧が峰(車山高原)、美が原高原。
霧が峰は初めてだ。黄色いニッコーキスゲが咲き乱れていた。
すばらしい景色だった。
このブログでは、画像は一枚しかのせられないのが残念。

小田実の告別式には何人集まるのだろうか(何千だろうと思ったが)、信州で新聞を見て800人と知って、え、たったこれだけ?と思った。葬儀場という制限もあり、こんなものなのだろうか?

8月11日にはNHKBSで追悼番組として小田実が出た世界わが心の旅「ベルリン」の再放送をするそうだ。
来月、どの雑誌が小田実の追悼特集を組んでくれるだろうか(「世界」かな?)。
いや、市民が小田実の特集本を出すのがいいのかもしれない。
小田実の作家活動や市民運動を記念して小田実記念館みたいなものがいずれできるのではなかろうか。当然、つくるべきだ。

小田実を過去の人にしてはならない。おっと、ぜんぜん霧が峰の話ではない。