虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

聖断

2007-08-27 | 読書
ブックオフで半藤一利の「聖断」を手に入れた。昭和天皇と鈴木貫太郎という副題。総理大臣鈴木貫太郎が天皇に聖断をあおぎ、二人三脚で終戦に導いたというノンフィクションだ。昭和60年代に出版されているから、これはわたしの父親も読んでいたと思う。

わたしは、小田実に触発されて読んでみたいと思った。「わたしの身はどうなろうと、国民のために受諾する」と天皇がいった、というところを確かめたかった。
たしかにある。「国民が玉砕して君国に殉ぜんとする心持もよくわかるが、しかし、わたくし自身はいかになろうとも、わたくしは国民の生命を助けたいと思う・・」と。

ポツダム宣言の受諾が遅れたのは、ただただ国体護持のためだった。いや、沖縄決戦に負けた後の戦争目的は、ただ国体護持だけだったのではないか。わたしは、戦後教育を受けた身だから、国民の命よりも国体(天皇制)護持だけを願う当時の支配者たちの気持ちが理解できない。

小田実がくりかえし体験を語る8月14日の大阪大空襲のことはこの本ではむろん一切ない。14日の時点で、すでに天皇は国体の維持できることを知っていたことも、ニューヨークタイムズの記事もでてこない。

ただ鈴木貫太郎は「老子」が大好きで、総理大臣室の机にはいつも1冊の老子の本のみが置かれていた、というのが興味深かった。鈴木貫太郎は、このとき79歳だったというから驚く。

戦記ものを書く人はどちらかというと保守家が多いから、この人が憲法改悪に懸念の発言をしていたときには、おやおやと思った。
この人は、戦後憲法の平和な天皇の支持者なのかもしれない。本の中でも、天皇は一貫して戦争に反対で平和への願いをもっていたと、昭和天皇をたたえることを忘れない。

この人は、小田実より2歳上だが、まあ同世代といえるかもしれない。
しかし、同世代でも、一方は天皇制を否定し、一方は天皇制を支持する。ちがうものだ。小田実が、出版などマスコミからちょっと忌避されていたのも、ここにあると思っている。

父親と戦記もの

2007-08-27 | 読書
父親は、どちらかといえば、反文学的なタイプであまり本を読まない方だったが(働く親父はみんなそうかもしれない)、ただ、松本清張と太平洋戦争の戦記ものだけはせっせと買って読んでいた。10年前に亡くなったが、たしか、亡くなる一月前も新聞広告で陸軍参謀長長勇の伝記があることを知り、わたしに買ってきてほしいとたのんだ。これが最後に読んだ本だった。

昭和2年生まれ。城山三郎と同じく呉で海軍の練習生だったそうだ(なにせ、過去のことを穿鑿したことがないので、詳しいことはわからぬ。大学も中退した、ということも亡くなってから10年ほどたってから知ったくらいだから、まったく親に無関心な子どもだ)。

幼いころから家に伊藤正徳の海軍シリーズなどがあり、わたしも軍艦の写真などを見ていた。東条をはじめ、当時の将軍たちの伝記から兵士の体験記など、太平洋戦争ものといえば玉石混合でなんでも集めていた。海軍好きである。酒に酔うと、ヨウソロー、とか軍隊式敬礼の真似をしていた。歌はもちろん、軍歌だ。実はおもちゃの軍刀も持っていた(笑)。「たった3カ月くらいしか訓練受けてなく、戦争も経験してないくせに」とわたしたちは笑っていた。

小さいとき、絵を描いてとたのむと、軍艦の絵を描いてくれたこともかすかに覚えている。

東宝の戦争映画にはよく連れて行ってもらった。国のために青年が勇敢に戦う場面では、必ず涙を流していた。考えると、今のわたしよりもずっと若い年齢だったのだ。

といって、右翼でも軍国主義者でもなかった。そういうイデオロギーはない。この年代の人は、こういう人も多かったのではなかったのか。なんといっても、青春時代が戦争だ。たとえ、練習生であったとしても強烈な体験だったのだろう。しかも、ノモンハン、ミッドウエイ、ガダルカナルなど戦いの実相は、戦後になってはじめて明らかになった。戦後の大人たちが、戦記ものを欲したのも当然だろう。戦記ものは一定の需要があったと思う。きっと、こんなことがあったのか、という驚きで読んでいたこともあったにちがいない。あの時代の真実を知りたかったにちがいない。

あれから、空襲体験をもった人すら少なくなった昨今、戦争はどう語られるのか。
父親が戦記ものを読んでいた時代は、まだ当時の将軍たちも生きていて、戦争体験者もたくさんいた。昭和2年生まれは今年は80歳になる。今後は戦争を知らないものが太平洋戦争の記録を書くことになる。はたして書けるのだろうか。また、どんな戦記ものが作られるのか。

画像はエーデルワイス