虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

ロマン・ロランと小田実

2007-08-22 | 読書
二人は、まったく縁がないようだけど(小田実はロマン・ロランを読んだこともないかもしれない)、二人に影響を受けた者としては強引に関係づけるけることができる。

作家にして反戦の旗手としては、トルストイは別にしてロマン・ロランにまず指を屈しなければならないだろう。ロマン・ロランは第一次大戦中、戦争に反対し、知識人たちを結集しようとした。ロマン・ロラン以前に、反戦運動はなかったのではないだろうか。しかも、その反戦は、社会主義でもキリスト教からでもなく、どんな党派にも属さない、個人の良心から出発したものだ。

学生のとき、ロランの「社会評論集」(「戦いを越えて」「先駆者」などのロランの政治論がおさめられている)を読んだが、小田実やベ平連の考え方に共通するものが多かった。もちろん、小田実の方が、より具体的、実際的、日本的だったが(ロランは宗教的すぎるというか、精神性があまりにも高すぎる)。

その小説が、文壇や文学の玄人筋からは黙殺されたのも似ている。(最近、文学者が新しい世界文学全集を立ち上げたそうだが、その中には、ロマン・ロランは振り落とされているらしい。おそらく、フランス本国でもすでに読まれなくなっているのかもしれない)

たとえば、文の書き方で、ロランは次のような方針を持つ。(「ジャン・クリストフの序)

「率直に語れ!虚飾も気取りもなく語れ!理解されるように語れ!一群の繊細な人々からではなく、多くの人々から、この上もなく単純な人々から、この上もなくつつましやかな人々から理解されるように!そして、理解されすぎることをけっして恐れるな!影もなく、ベールもなく、はっきり、しっかり語れ!必要とあれば、重苦しく語れ!おまえの思想をよりよく打ち込むためには、同じ言葉を繰り返すのが有効なら、繰り返すがいい。打ち込むがいい!他の言葉は捜すな!一語ともむだにするな!おまえの言葉は行動でなくてはならぬ」

ロマン・ロランの小説は実際、饒舌だ。同じことを何度もくりかえす。たしかに、小説としては、いやになるところはある。しかし、一部の玄人だけでなく、できるだけたくさんの人々に自分の思想を伝えたい、という文章の平民主義は小田実とも似ているではないか。

ロマン・ロランの小説は、1人の雄々しい人間の物語だが、革命と戦争にまきこまれる市民の物語でもある。

小田実同様、ロマン・ロランも自国からは反仏分子、ドイツのスパイ、ロシアのスパイなどと様々の中傷をあびたことも似ている、ともいっておこう。

画像は白根山の湯釜