虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

打抱不平

2007-11-10 | 読書
打抱不平(ダーバオブーピン)。
中公新書の「中国革命を駆け抜けたアウトローたちー」(福本勝清著)で知った言葉だ。この本は学者の書いたものだけど、おもしろい(知らないことがいっぱいあった)。

「打抱不平」とは、他人が不公平に扱われることに我慢ができず、あれこれ世話を焼く、という意味のようだ。中国人にはこういう人間に価値を置くところがあるらしい。清代の例えば天地会などを支えていたのはこういう人間たちだという。また、緑林といわれる山林や沼沢に集まり官吏や土豪に対抗した武装集団は、「打富済貧」(富めるものから奪い、貧しい者にほどこす)をスローガンにしていたという。今の中国に賀龍公園というのがあるらしいが、その賀龍という人物もこうした緑林の出身らしい。

弱い者のために官や権力者に対抗するという「侠」の伝統が中国にはある。
日本にも水滸伝は輸入されて人気はあったけど、こういう「侠」の歴史というのはあるのだろうか。広大な中国と違って、日本では武器をもって立てこもることができず、せいぜい、大塩平八郎か国定忠治くらいか。

力のない人々に何の組織も連帯もないことをいいことに、金があり力がある者たちの勝手な政治が続く世の中だ。

この本のあとがきで、著者は義兄弟になる筋立てを書いている。

「あなたがもし「打抱不平」な人間であり、収穫した米なり、落花生なり、大豆なりを金に換えようとして市に持っていったとする。市では、場所代、手数料、諸税の取立て、秤のごまかし、地回りの嫌がらせなど数々の困難が待ち受けている。同じように収穫物を持ち込んだ貧しい農民が、買い手に難癖をつけられひどく安い値をいわれ、売るに売れずに困っている。そばで見ていた正直そうな農民が一言、二言、口を挟んでみても無駄であった。「打抱不平」なあなたは見て見ぬふりはできず、思わず声をかけ、結局、彼の肩を持ち、仲買人とひとしきり口論し、周りの農民たちも、そうだそうだと応援し、買い手はしぶしぶまっとうな値段をつけて引き取り一件落着となる。-中略ー市の帰り、あなたがた3人は居酒屋で一杯ひっかけながら話し込むうち、隣村に住み年もそれほど離れていない各々が、わずかな土地しかなく、頼る親戚もないことを知る。そこで、改めて一席設け、同じ日に生まれなかったけれども死ぬ時は一緒に・・・・と誓うことになる」

おい、そこのあにさん、一席設けて義兄弟になろうではないか、と新しい相互扶助の動きが日本でも必要かもしれないなあ、思うこのごろ。水滸伝を読みたくなった。

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