虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

漱石の「二百十日」を認めたくない人たち

2011-08-08 | 読書
わたしが読んだ「二百十日」は旺文社文庫の「二百十日・野分」だが、その解説として、野村伝四という人が「二百十日」前後として、執筆当時の漱石の心境を書いていた(これは、昭和4年の岩波版「漱石全集」の月報から転載とある)。野村伝四とは、おそらく漱石の周辺に寄り集まってきた弟子の一人なのだろう。

この人は、「これを読んだときは、前後を通じて始終ハラハラした気分が去らなかった。それは、この作の随所に華族と金持ちという句が出てきてこの両階級がひどくやっつけられていて、つまり、今の文壇でいえば、プロ的分子とか、赤色とかの色彩がすこぶる濃厚に作中に出ているからである」

その理由について、先生の心境を語ってみたい、と書き出す。
野村氏は、漱石から「三女栄子が赤痢にかかったので、行く予定の葬式に代理で出席してほしい」という手紙をもらっている。

栄子さんの病気は軽いものであったけど、しかし、その間、家内の大消毒やらお役人の出入りやら、きっと先生の神経は高ぶっていたと思うと書く。

「栄子さんの入院から防疫院の大消毒という誰でもいやがるような事件に逢着された先生は、あたかも神経の発作がひどかった時であってみれば、「二百十日」が左傾的であるということも大いにあり得ることかと思う」

なーにいってやがる!と漱石は思うはずだ。この文章(月報)は昭和4年のものだが、たしかにその時代は漱石の「二百十日」「野分」は危険思想の部類に入るのかもしれないが、ここまで、この作品を否定するとは、それでも弟子か?

この月報の中で、「世間では僕を気違いだと言っているが、君らが言いふらすのではないか」とこの野村氏に聞いたことも書いてあるが、漱石の直観は正しかったのだ。

漱石自身は、「僕、思うに圭さん(二百十日)は現代に必要な人間である。今の青年は皆、圭さんを見習うがよろしい。しからずんば、碌さんほどには悟るがよろしい。今の青年はドッチでもない」と書いてある。

この漱石のメッセージを素直に受け止められず、左傾的なのにハラハラドクドキし、きっと子供の病気などで多忙で、神経がふつうじゃなかったのだ、とへたな言い訳をする弟子。そして、それを参考にする研究者たち。こうして国民作家漱石は、人畜無害な文豪に祭り上げられる。

「二百十日」は短編だが、「二百十日」の続編ともいうべき「野分」には漱石のメッセージがより深くこめられています。

「坊っちゃん」「二百十日」「野分」、この三作品は漱石の革命三部作だ(笑)。

しばらく(一週間ほど)「虎尾の会」のブログお休みになります。みなさん、お元気で!