虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

当麻寺 中将姫

2008-09-06 | 日記
当麻寺前の駐車場はお金をとられる(500円)。

拝観料もとられる(本堂・講堂、金堂の中を拝観できる)が、ここまできたら拝観しないわけにはいかない。
本堂には中将姫が蓮糸で織ったとされる曼荼羅が本尊としてかざられている。4メートル四方の曼荼羅。鉄の網でかこってあるので見にくいけど、こんな大きな曼荼羅を見るのは初めて。しかも、これを17歳のとき、一晩で織ったらしい。女性の外国人が一人でこの曼荼羅を拝観していた。

古代、奈良や平安などの知識はまったくなく、またまだ興味も持てないのだけど、この中将姫は継子いじめにあい、この寺に仏門に入ったそうな。29歳のときに浄土から迎えにきたとあるから、29歳で亡くなったのだろう。ここは折口信夫がしばらく滞在していた寺らしく、小説「死者の書」は中将姫をテーマにしたそうだ(読んでいない)。

講堂や金堂にも仏像があり、それぞれ見ごたえがある。本堂の曼荼羅や講堂の仏像もカメラにとりたかったけど、撮影厳禁なのが残念。仏像は少し好きになりかけている。

三重塔も西塔と東塔の二つあり、天平時代の創建当時から現存するのはここだけらしい。いい姿だ。
画像は当麻寺の西塔。
当麻寺から大阪の北摂まで1時間で帰れます。


叡福寺から当麻寺へ

2008-09-06 | 日記
叡福寺(えいふくじ)とは、聖徳太子のお墓がある寺だ。太子町という聖徳太子ゆかりの町にある。近くには、推古天皇の墓や小野妹子の墓、近つ飛鳥博物館などもある。
思ったよりも広かった。駐車場は無料。拝観料もとられない。聖徳太子御廟には宮内庁の文字が。

そのあと、竹内街道を走って当麻寺へ。竹内街道とは、日本最古の国道で、大阪堺と奈良飛鳥を結ぶ道路で、遠くシルクロードともつながる文化伝達の街道だったらしい。司馬遼太郎の「街道をゆく」はたしか「竹内街道」から始まったのではなかったか?司馬も好きな街道にちがいない。

途中、竹内街道資料館というところに寄った。館長さんらしき人物が近寄ってきて、当麻寺にいくならそこに車を置いて石光寺にいき、その石光寺の裏に碑が立っている。その碑は五木寛之の「風の王国」という小説に出てくる。見てみたらいい、と言ってくれた。だいたい、人の話はいつも半分くらいしか理解できない男なので、その碑がなんなのかはわからなかった。

叡福寺から竹内街道を30分ほど走り、竹内峠を越えると奈良の当麻寺だ。近い。
当麻寺に来ると、さすが叡福寺の記憶は消えてしまう(叡福寺もよかったのだけど)。ここは建物だけでなく、曼荼羅、仏像なども見ることができ、さすが有名な当麻寺だ。ここだけで十分。石光寺には寄らなかった。

画像は叡福寺。見てのように、ほとんど人がいない。このブログは画像は1枚しかのせられないのが残念。