虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

横山十四男「義民」

2007-07-14 | 一揆
三省堂新書の「義民」(横山十四男)は、全国の義民の碑や墓、祠などを訪ねて、その一揆の指導者を簡単に紹介しているよい本だ。こういう本はあるようで、ない。
「東洋民権百家伝」を継ぐ試みだろう。
掲載されている義民は、以下の通り。写真がついているのもいい。
・佐倉惣五郎(千葉)
・磔茂左衛門(群馬)
・松木荘左衛門(福井)
・多田加助(長野)
・世直り様(三好四郎右衛門)(宇和島)
・お秀・与右衛門(徳島)
・滑甚兵衛(兵庫)
・文殊九助(京都)
・生板の三義人(茨城)
・武左衛門(愛媛)
・小山磯之丞(長野)
・新井宿の義民六人衆(東京)
・山中一揆(岡山)
・増田与兵衛(長野)
・半平、浅之丞(長野)

この本が出版されたのは、昭和48年。しかし、このころでも、こうした一揆の伝統は忘れかけていたのだから、いまは、もっと風化はすすんでいるだろう。

この本を読んで、姫路の置塩神社(滑甚兵衛)は、すぐそばの塩野温泉知新荘の主人が神社を建てるべく努力をしていたことを知った。この本の筆者が知新荘を訪ねたときは、「年老いた女主人清水清子さんが、置塩神社に対して若い人があまり強い関心を示してくれないと、静かに語ってくれた」と書いてある。

塩野温泉の知新荘は今でもあるだろうか。ネットで調べてみると、やっぱり廃業していて、その後は更地になっていることがわかった。置塩神社もこれからどうなるか、わからないぞ。

特に最近は市町村合併だとかで、村のこうした古い碑や墓ががかえりみられなくなり、忘れられる傾向が大だ。

画像は滑甚兵衛の供養碑。下の小さい写真は、甚兵衛とコンビを組んだ利兵衛の供養碑。ネットで置塩神社を調べて写真を見た。無断借用、おゆるしください。