虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

佐渡一国騒動

2007-07-04 | 一揆
石見銀山のライバルとして佐渡島もある。ここも世界遺産登録をねらっているらしい。いってみたいところだ。金山も見たい。

佐渡は、相川に奉行所があって、この奉行が佐渡一国を支配していたようだ。なにせ、金山はあるし、孤島なので他国者に遠慮はなしで、ここに赴任する奉行は実に勝手なことをしたようだ。石見銀山の井戸さんとは大違い。

天保八年、あの全国的な大飢饉のとき、奉行は桑山十兵衛じゃなくて、篠山十兵衛という御仁。この飢饉のとき、人々を救うことはおろか、反対に、私的に、勝手に年貢をふやして私腹をこやそうとする。

佐渡一国の村々が嘆願書を作り、ちょうど、江戸からの巡見使が佐渡に来たので、善兵衛という人が一国惣代となって、巡見使に渡す。しかし、この巡見使、奉行所役人たちにまるめこまれたのか、詮議もしないで、そのまま佐渡を立ち去ろうとする。善兵衛は牢屋に入れられたので、憤激した百姓たちは、善兵衛の釈放を求めて、うちこわしに。
善兵衛は釈放されたものの、篠山十兵衛は、高田藩兵を連れて、騒動の鎮圧に乗り込み、善兵衛は再び、逮捕される。江戸から役人がきて、百姓、奉行所役人を江戸に連れ帰り、審議したが、善兵衛は獄門、奉行は、軽いお咎めだけで、下役人の責任にしたそうだ。これは、「東洋民権百家伝」をざっと読んだおおまかな流れなので、正確かどうかは知らない。今日では、もっと研究が進んでいると思う。
「東洋民権百家伝」では、篠山十兵衛は、善兵衛を毒殺し、江戸の役人たちには、1万両の賄賂をまきちらした、と書いてある。

騒動がおきたときには、篠山十兵衛は転任になっていて、鳥居八右衛門が奉行だったそうだ(これ、鳥居耀蔵との縁者ではなかろうね?)。
この一揆のあとに赴任したのが、あの有名な川路なんとかさん(漢字がでない)。

佐渡には、この一揆の史跡もあるようだが、残念ながら、観光スポットにはしていない。一揆を観光スポットにしてるところって、どこだろう。佐倉宗吾の成田、武左衛門の日吉村?うーん、あんまり知らない。一揆は、どこの土地にもあるのだから、もっと光をあてるべし。

画像は佐渡奉行所。ネットの画像をはじめて自分のブログにのせた。こんなことができるんだな。知らなかった。しかし、勝手にのせてもいいのか?ちと心配。