らんかみち

童話から老話まで

犬も歩けば女に当たる、人も歩かないとね

2009年01月08日 | 暮らしの落とし穴
 今年最初の陶芸教室でした。1日1個作るのを目標にしているんですが、粗製濫造に走ってしまいました。というか、高台作りをする作品が無かったのと、年が明けたら菊練りがプロ並みになっていて時間に余裕があったからです。
 うそです、一晩寝て菊練りができるようになるはずがありません。年末に年越し蕎麦を打って近所に配ったので、蕎麦で菊練りの練習をしたんです。つまり元から菊練りができるんです。
 
 でも時間があったからといって、やっぱり良い物はできませんね。プロの技をyoutubeで観てイメージトレーニングをして教室に行くんですが、いざ現場に出てろくろの前に座ると頭の中が真っ白になってしまいます。ゴルフの打ちっぱなしでならやれることが、実際のティーグランドに立ってギャラリーを背中に背負ったら、朝一のショットはたいがいチョロなのと似ています。
 
 今日の教室には珍客がありました。メンバーの一人が飼っている若いオス犬がやって来て教室中を走り回った挙句、一人のおばちゃんをたいそう気に入って粗相をしでかしたのです。恥をかかされた飼い主に叱られて切なそうな声を上げるのを聴くと、こいつも青春しとるんじゃの~! となんだか我が身の若かりし頃が懐かしくなるのです。
 
「青春とは人生の一時期のことではなく心のあり様のことだ。若くあるためには、創造力・強靭な意志・情熱・勇気が必要であり、やすきに流れようとする自らを戒め、冒険心を忘れてはならない。人は齢を重ねたとき老いるのではなく、理想を失くしたときに老いるのである」
(故)松下幸之助翁の言葉ではありません。アメリカの詩人、サミュエル・ウルマンという方の詩だそうです。いい詩ですよね、確かにろくろに向かっているときは年齢を忘れてますもん。今日は犬に啓蒙されました。

デートDVなんていっぱいいるよ

2009年01月07日 | 男と女
 デートDVって何? とつい最近まで知らなかったぼくですけど、恋人間の暴力のことだとか。結婚したらデートが取れて単にDVとなるだけのことなら、ぼくの知り合いにもいますよ。
 
 相手の携帯を取り上げ、怪しげなメールは無いかと探り、見つけたら速攻メルアドを消すように指示する。服装に駄目出しをするだけでなく、自分で買い与えて着せ替え人形の真似事をする。腹が立ったら殴る蹴るは当たり前。金を与えて服従させようとするだけでなく、おまえはバカだから守ってやっているんだ、と相手を洗脳しようとする。
 
 傍観する立場からするとなんであの二人が付き合っているのか不思議に思えるけど、付き合っている当事者はどちらも「この人しかいない」と思い込んでいるのかもしれません。殴る側が愛情表現だと思えば、殴られる側も愛されているゆえに殴られるのだと思っているのでしょう。
 
 そんな関係が5年ほど続いたらしいけど、ぼくの知り合いはついに相手から引導作法をされたとか。こんなやつ、いつでも振ってやる、くらいの高飛車な気持ちでいたら、相手から振られたのだとか。それで曰く、
「いつまでもあんなアホ男と付き合ってたら駄目だと思うのよね。わたしもそろそろ還暦だから、いいかげん男は卒業しなきゃ……」

水イカはイカの水子

2009年01月06日 | 酒、食
 水イカの季節がやってまいりました。といっても、水イカというれっきとした名を持っている連中ではなく、水子みたいに育っていないイカという意味だと解釈しています。細長いやつが大きくなったらたぶん、剣先イカと呼ばれ、丸っこいのは耳イカになり、真ん中のは針イカと呼ばれるようになるのでしょうか。といっても大きくなったって剣先イカ意外は今と大して変わらないんです。
 
 この三種類のイカは底引き網とかで獲られ、スーパーで1パック298円で売られています。もう少し後ならそれぞれ別のパックに詰められ、名前を変えて店頭に並ぶんですが、今の段階では全て水イカと呼ばれてクズ扱いです。といっても三種類のイカを同時に格安で買えるなんて、今を逃したら来年まで待たないといけません。
 
 この連中は見た目と同じく肉質も違い、同じように調理はできません。剣先イカはいかにもイカの味がして、ゆでたらイカ臭さを感じます。針イカは肉質が厚くてプリプリとした歯ごたえが魅力です。耳イカはその中間なんですが、墨をやたら持っていて、ゆでたら何もかもを真っ黒に染め上げてしまうものの、その風味は群を抜いてます。
 
 今回はゆで時間を調整っしたものの、フライパンにバターを引いて塩コショウで味付けっしました。単純だなと思われるか知れませんが、各々の味を堪能するならシンプルな味付けが推奨です。というか面倒くさいので一気に味付けしたんです。とはいっても目玉や、からすとんび、甲はちゃんと除きます。じゃないと一口で食えません。
 
 こうやって手間をかけて旬の味覚を楽しむんですが、まだ大きな問題が待ち構えているんです。なぜならこいつらは一網打尽にされる関係で、体内からオキアミのような海老が出てくるんです。海老、蟹、ホタテなどにアレルギーのあるぼくが食べると、咽がヒリヒリしてえらい目に遭います。
 とはいっても旬のものをいま味わわないでどうするよ。と、まるでフグでも食うみたいな気分の今夜でした。

ギャル語も勉強すべきか

2009年01月05日 | 社会
 今朝の朝日新聞は声欄に、正しい言葉を伝えよう、という主張がありました。日本語が正しく伝わっていないのではないか。例えば、アメリカ合衆国は本来ならアメリカ合州国と表記すべきだとか、燃費は燃比と書くべきではないか、といった事例を挙げてました。なるほど、ぼくなんかアメリカは「民衆」主義の国だからと、深く考えたことがなかったので驚きました。
 
 また、バスのアナウンスなどで、「カードを触れてください」というのも変だと主張します。ごもっとも、確かに変に聞こえます。だからといって、気功じゃあるまいし、「かざしてください」では機械が読み取らず、「当てて下さい」というとカードの角を当てる人がいるかもしれない。「触れさせてください」というべきでしょうが、それは「さわらせてくれ」とも聞こえるので、「ら」抜き言葉のように「させ」抜き言葉にしたのでしょうか。
 
 そもそも「ら」抜き言葉は若者の使い始めた表現なのに、若者におもねて道路看板を「次のインターで出れます」と表記するのは我々の世代でしょう。「触れてください」にゴーサインを出したのもそうじゃないでしょうか。
  
 言葉が時代とともに変遷するのは理解できます。しかしだからといって、ギャル語を取り上げてもてはやすメディアもどうしたもんか。
 本来なら古い世代が、「今どきの若い者の言葉は……」と、苦言を呈してしかるべきところを、我々の世代が率先してギャル語を習得し、まるで言葉の進化を目の当たりにしているかの気分に浸ってはいないでしょうか。
  
 ユナイテッド・ステイツを直訳すれば合州国とすべきところを、わざわざ衆の字を当てて「アメリカは民主主義の国である」ことを表し、燃比と訳すべきなのに費の字を当て、「単なる比率のことではなく、効率のことだよ」と教えてくれるセンス。
 こういった先人の創意工夫に我々が光を当て、考えることによってはじめて正しく日本語を伝えられるのだと思います。ギャル語を研究するのは次の、そのまた次の世代に任せておきましょう。

シャブ食わにゃ、やってられるかい!

2009年01月03日 | 社会
 今朝の朝日新聞によると、交通事故死が1970年のピーク時に比べて三分の一に減り、政府目標を大幅に下回ったそうな。つまり年間に15000人の死者が出ていたのが5000人ほどに減ったらしいです。危険な道路が改善され、飲酒運転の取締りが強化されたのはもちろん、燃油高の影響でマイカーを乗り回す機会が減ったからでしょう。
 
 この数字を発表したのは警察庁ですが、運送会社のトラックが惹き起こす事故は減っているんでしょうか。むしろ増えているような印象を受けるのはぼくだけでしょうか。年末年始の帰省車にトラックが突っ込むような痛ましい事故は相変わらずに思えますが、新聞にはその辺の事情は書いてません。
 
「あなたはシャブを食ってトラックを運転したことがありますか?」
 だれも正直に答えてくれるとは思えませんが、そういうアンケートをドライバーにしてみたらどうでしょう。
 とうに時効だと思うから言いますが、知り合いもそういうことをやっていて、「シャブ食わにゃ、やっとれるかい!」という実情がトラックドラーバーにはあるのだとか。
 
 彼は注射違反でしばらく臭い飯を食った後に更正したんですが、現役で活躍しているドライバーはどうなんでしょう。警察庁は当然こういう実態をつかんでいるんでしょうが、公表したら世間に与える影響が大きくてできないんでしょうか。
 
 それはさておき、交通事故死が減った理由のひとつに、「車を運転したい人が減ったから」というのはないのでしょうか。車を運転するのが格好良かった時代は終わりを迎えようとしているのでしょう。趣味は? と聞かれて「ドライブです」というより、「サイクリングです」といった方が格好良く響く時代ですよね。
 警察庁の発表には、この辺りの事情を差し引いて拍手を送りたいと思います。

新年からつまずいたよ

2009年01月01日 | 暮らしの落とし穴
 新年明けましておめでとうございます。というか、頌春と書いて「こうしゅん」って読んでいた赤面の半世紀に別れを告げたと思ったのも束の間。元旦早々、昨年の暮れに買ったデジカメは選定ミスだと判明して売り飛ばしました。わずか1週間ほどで5000円くらい損をした勘定の船出に、前途多難の予感!
 
 そもそもデジカメなんて写真が撮れれば良いわけで、動画はおまけと割り切った方がすっきりするのに、多くを求めたゆえの失敗でした。たかだか2万円ほどのカメラにビデオカメラの代打は無理。でも半年も待てば必ず良いものが発売されるだろうから、それまで今のカメラで辛抱しようかと思うものの、その頃には半世紀プラス1年が訪れるのです。
 
「子どもの一年は長いが、大人の一年は早い」とは良く言ったもので、残りの人生を指折りながら生きていると、何かとあせって失敗を重ねるのでしょうか。
 年賀にそんなミステイクを促すような一文がありました。曰く、「今年こそ良縁に恵まれますように……」
「バカヤロー! てめえこそ、えぇ加減にフィリピーナと再婚しやがれ」などと毒づいてはみたものの、すでに奴は残りの人生を守りに入っているようです。
 
 そんなこんなで、シュトラウス親子のワルツなど聴きながら酒を飲んでいると、ああ今年も同じ過ちを繰り返すのかな、と正月番組に骨抜きにされたみたいに責任転嫁する自分を発見して、あかんな! 
 人生を守りに入れるような実績も無く実りも無いぼくですので、ここらで一念発起といきたいところですが、どうなりますことやら……。