らんかみち

童話から老話まで

ドラマ「瞳」を評価できない節穴?

2008年05月21日 | エンタメ
 つづき

 あさのあつこさんの文章を一言で決め付ける暴挙が許されるなら、「冗長な文章だ」といえるでしょうか。ふんわり始まった話がだらだら進み、いつの間にやらクライマックスを迎えているのに、大げさな表現とか、極端に興奮したような様子は描写されません。まるで井戸端会議に集まったおばちゃんたちの、取り留めも無い話が止め処も無く続くのに似ています。
 
 それが女っちゅうもんや、といわれればそうなんでしょうが、主人公の心情を吐露するあたりは、うまいな! って唸らされます。登場人物のキャラが明確に書き分けられているのも退屈しない要因でしょうが、なんといってもLOVE(恋愛感情)が全編に亘って貫かれているのは、大きい。
 そして最後は勧善懲悪で一巻の終わり。悪人を一人も登場させない作家もいますけど、このシリーズにかぎれば、悪人は何らかの罰を受けます。それがときには増長する人類であったり……。
 
 もしかしたら「瞳」も腰を据えてずっと観ていれば途中からおもしろくなるのかもしれません。でも銭をとっているプロの脚本家や演出家なら、最初のつかみがいかに重要か十分に理解しているはず。
 名の通った役者さんを使っているから視聴率は良いだろうと、安易に見切り発車したみたいな「瞳」には金を払えんぞ! と怒る方にシンパシーを覚えます。
 
 これほど観ていて腹の立つドラマも少ないですね。もしかしたら歴史に残るかもしれません。そうなったら我々は時代の証人ですが、ひょっとして外国で受けたらどうしましょう。「瞳」が時代の先端のその先を行くドラマだったら、我々はドラマを観る目が無かったということになります。亡くなってから初めて評価された画家ゴッホの作品を、当時の人が評価できなかったように。

 おわり