自分にエールを贈るために書く。
だからすみませんが黙ってお付き合いください。
***
密かに英彦山に向けて継ぎ接ぎだらけの飛び地の時間を何とか
やりくりして頑張っていたのですが前半の連休明けから完全に
Out。水曜日から資料作りでほぼ徹夜に近い状態でTV会議
レビューと修正作業の繰り返し。この3連休も仕事、仕事。
英彦山にはなんとか・・とついさっきまで頑張ったけど、、、
「明日午後にレビューするから」のひとことですべてが終了。
これがサラリーマン稼業。
3流の仕事しかできない出来の悪い部下なんで仕方ない。
頑張っているけどOutputでないよね・・。
ひび割れに亀裂も加わり・・・疲れ果ててしまった。
でも、、まだ、、まだ、沈むわけにはいかない。
ここで持ち堪えたい。
だから「頑張れ! 自分!」
***
***
当時誰もが目標にし、いちもく置いていた私が勝手に師匠と敬愛する
御仁は、本当に自分に厳しく背中で語るタイプの人でした。良いことも
悪いこともめったに語ってくださることはなく、その影響もあったとは
思うけどチェブロの日曜練習会と言えば集合の挨拶こそきちんとすれど
そのあとは無駄口なんて皆無で、ただひたすら速く、相手を完膚無きま
でに叩き落とす正に毎回が真剣勝負の場でした。
そんな練習会とは露知らず参加したひょっとこの私。
圧倒的な力量差の前に完全にお荷物状態。ツールド北海道やJAPAN
CUPにも出場する人も含めた巨人5人組。彼らにしてみれば断れない
筋から紹介で仕方なく受け入れた私。毎度のパターンで1回目で懲りて
二度と現れないだろうとの思いもあったのしょう。初回は名前さえも
聞いてもらえず、名前も教えてもらえず、、そしてこれから行くコース
さえもわからず今にして思えば完全に「招かれざる客」扱い(笑)。
8:30集合で解散17:00。
途中昼食休憩30分。本当に佐賀の山中を引きづり廻され(というより
登りが始まれば1秒で単独走行:道も知らないので本当に顔面蒼白)ボロ
ボロになり解散場所まで連れて帰ってもらいました。そして何も言われず
そのまま解散(大笑)。
ただこれまでと違ったのは「私が何も知らないひょっとこだったこと」。
次の日曜日も集合場所に現れてしまったこと(笑)。そして笑顔で今日も
よろしくお願いします、と挨拶したこと。1秒でいなくなり、ボロボロ
で引きずられて帰ってくるくせに、翌週また元気に現れる・・。
どんな変なやつなんだろう?と見てみれば、必死に登って着いてこよう
としている。しばらくすると、ひとり単独で登ってくる私を全員が迎え
にきてくれるようになり、それからまたしばらくすると黙って前を引いて
くれるように。そして、、、登り口までは会話をしてくれるようになり、
迎えにきてくれて併走しつつアドバイスをいただけるようになった。
受け入れてもらえて本当にうれしかったことは今でも覚えている。
練習会もメリハリがあり”流し”の区間では私のキャラもあり会話も
弾むように(ここで伝説の1万円紛失事件も聞けた)。でも相変わらず
気合いが入ったところでは私は瞬殺。ただただ私は仲間に入れてもらえ
ることが本当にうれしかった。だから1秒でも速く・早くなりたかった。
1流どころに3流へっぽこが混じるとそれをリングにして「自分も・・」
という人間が現れる。そして3流どころが世話人になり最初のうちは緩衝
材になり次第に輪は広がっていく。新規参入は1流もいる。そんな人は
最初から巨人と競い合い抜き身での凌ぎあいがはじまる。
3流どころは、”流し”のつなぎ区間をはじめとして先頭を引くことで
自分を追い込むことを覚える。福重交差点から八反田までを先頭固定で
ひたすら引く(当時はその引きでATを遥かに超えていました)。
誰かが先頭交代をしようものなら先頭の奪い合いがはじまる。流し区間
なのにハァハァ言っているアホが毎回2名(笑)。
***
時は流れ巨人5人組も就職云々で散り散りになるも要である我が師匠は
健在。その師匠を目指して世代交代で面子が入れ替わり、ひょっとこ組
も増えて、力量に応じてA班、B班、C班と自己申告によりチーム編成
がなされるように。コースもメインルート(B班)を基本に難易度に応
じて3つに枝分かれしているのだが、驚くべきことに何も目印がない
山の中の交差点で班が時間をまったく同じにしてクロスオーバーするよ
うに設定されており師匠の参加者全員が均等に練習になるように、それで
いて一体感を失わないようにというオーガナイザーぶりには神業をみる
ようでした。
ひょっとこも力量はまったくもって向上していないけど年次的にみれば
中堅どころ。そうなると甘えが出てきてしまう。いつの間にか真剣勝負
であることを忘れて”遊び=余暇”という気持ちが芽生え、今日のこの
調子でA班に参加しても迷惑になるし・・という”相手を思うあまりの
都合のいい口実”を自分に与え、立場的にもそう主張できるように。
自己申告はスタート時点で挙手により決定するのだが人数のバランスや
力量を考慮して最終的な差配はお師匠に一任されていた。最初のうちは
私の挙手を黙認していたお師匠様。
ある時、、、A,B,C班が合流して観音峠を舞鶴9から登っていると
私の横につけていたお師匠様がサングラス越に私をじっとみつめて
いきなりアタックされて行った。それを見送った私はあろうことか、
A班連中に「おいおい、お師匠様がいかれたぞ。追えよ!」とけしかけ
て自分はマイペースを決め込んでしまった。頂上で合流した私を見ても
お師匠様は何もおっしゃられなかったし、私はお師匠様のお気持ちに気
づきもしていなかった。
そんな一件があって暫く。
超久しぶりに元大巨人S口君が練習会に参加。旧交を温めつつ今日も私
はB班挙手。久しぶりに自転車に乗るというS口君はA班希望。
「さすがに巨人は違うや」と私。その日の練習会も終盤。最後の長野峠
の佐賀側からの登り返し。目の前には、ボロボロになったS口君。
今まで見たことも見せたこともない衝撃の姿。目はうつろでフラフラで
蛇行気味。私の真横にお師匠様が並んで一言。
「見てごらんなさい。あの姿を。今のあなたに出来ますか?」
「いつまで自分に甘えているんですか!」
そういわれて一気に加速されて見えなくなった。
そのあと、顔から火が出るかと思うくらい恥ずかしくただただ逃げたく
なった。その日、そのあとどうしたか?は全く覚えていない。
お師匠様が放たれた一撃は、私を深くえぐりその傷はしばらく癒えること
はなかった。次の日曜日までの間、私は仕事もそこそこに自分を見つめ
直した。そして自分の甘えに、それを許してしまった自分に深く失望し
、こと、自転車に関してはもう二度と自分を甘やかさないと決意した。
お師匠様のためでもなければ誰のためでもない。自分のために。
だらだらと無意味に時間を垂れ流すことなく、一緒に走るメンバーとは
ひょっとしたらもう二度と走ることはないかも知れない。だからこそ、
一期一会の精神で毎回毎回毎回、今の自分が出せる全力でお接待(挑む)
しよう。それが自分の生きている証。すなわち”今を生きる”ことになる
のだから・・。
お師匠様が転勤(ご栄転)されてから早幾年。
お師匠様からチェブロ練習会を日曜練習会として託され、引き継ぎ私が
2003年8月に転勤するまでの間、決意を忘れることなく、流れそう
な時はお師匠様から受けた傷跡を思い出し触り再び自分を鼓舞して頑張
ってきた。2006年4月に期せずして再び福岡に戻ってこられたとき
から2008年10月まで、口やかましいおせっかいじじいとして厚か
ましくも「だぁ~めじゃん」と仲間をいぢめ(すんません)、嫌な思い
も抱かせたでしょう(反省しきりです)。ただそう言えるだけ私は自分
に厳しかった。
そう、私は自分を甘やかすことは許せない。
確かに私は鬱になり一時は自分でも自分がどうなるか?わからないくらい
に精神状態がおかしくなった。でもそれも一時的なことで君は頑張って
回復に向かって今に至っているんだよ。
いいじゃん。仕事ができなくったって。
大丈夫だよ。たかが仕事だよ。いざとなりゃ殴ってやめりゃいいじゃん。
あとは何とかなるよ。ただ、早くして逝った友(つい最近も衝撃の訃報を
きいたじゃん)や3.11でお亡くなりになられた方々にあわせる顔がない
ようなことは絶対にしちゃだめだよ。家人もいるんだから・・。
人間万事塞翁が馬。
なるようにしかならないって(笑)。
でも、自分に甘えちゃだめ。
ただ、なんでも思いつめちゃいけない。 きつかったら休みなよ。
甘えたままダラダラと流されるんじゃないよ。ひと休みするだけだよ。
そう、まだまだ君は大丈夫だよ ^ ^¥
****
あ~~でもなぁ~~~明日、英彦山は出たかったな・・・。
打倒池本さん! なぁ~~んちゃって(笑)
だからすみませんが黙ってお付き合いください。
***
密かに英彦山に向けて継ぎ接ぎだらけの飛び地の時間を何とか
やりくりして頑張っていたのですが前半の連休明けから完全に
Out。水曜日から資料作りでほぼ徹夜に近い状態でTV会議
レビューと修正作業の繰り返し。この3連休も仕事、仕事。
英彦山にはなんとか・・とついさっきまで頑張ったけど、、、
「明日午後にレビューするから」のひとことですべてが終了。
これがサラリーマン稼業。
3流の仕事しかできない出来の悪い部下なんで仕方ない。
頑張っているけどOutputでないよね・・。
ひび割れに亀裂も加わり・・・疲れ果ててしまった。
でも、、まだ、、まだ、沈むわけにはいかない。
ここで持ち堪えたい。
だから「頑張れ! 自分!」
***
***
当時誰もが目標にし、いちもく置いていた私が勝手に師匠と敬愛する
御仁は、本当に自分に厳しく背中で語るタイプの人でした。良いことも
悪いこともめったに語ってくださることはなく、その影響もあったとは
思うけどチェブロの日曜練習会と言えば集合の挨拶こそきちんとすれど
そのあとは無駄口なんて皆無で、ただひたすら速く、相手を完膚無きま
でに叩き落とす正に毎回が真剣勝負の場でした。
そんな練習会とは露知らず参加したひょっとこの私。
圧倒的な力量差の前に完全にお荷物状態。ツールド北海道やJAPAN
CUPにも出場する人も含めた巨人5人組。彼らにしてみれば断れない
筋から紹介で仕方なく受け入れた私。毎度のパターンで1回目で懲りて
二度と現れないだろうとの思いもあったのしょう。初回は名前さえも
聞いてもらえず、名前も教えてもらえず、、そしてこれから行くコース
さえもわからず今にして思えば完全に「招かれざる客」扱い(笑)。
8:30集合で解散17:00。
途中昼食休憩30分。本当に佐賀の山中を引きづり廻され(というより
登りが始まれば1秒で単独走行:道も知らないので本当に顔面蒼白)ボロ
ボロになり解散場所まで連れて帰ってもらいました。そして何も言われず
そのまま解散(大笑)。
ただこれまでと違ったのは「私が何も知らないひょっとこだったこと」。
次の日曜日も集合場所に現れてしまったこと(笑)。そして笑顔で今日も
よろしくお願いします、と挨拶したこと。1秒でいなくなり、ボロボロ
で引きずられて帰ってくるくせに、翌週また元気に現れる・・。
どんな変なやつなんだろう?と見てみれば、必死に登って着いてこよう
としている。しばらくすると、ひとり単独で登ってくる私を全員が迎え
にきてくれるようになり、それからまたしばらくすると黙って前を引いて
くれるように。そして、、、登り口までは会話をしてくれるようになり、
迎えにきてくれて併走しつつアドバイスをいただけるようになった。
受け入れてもらえて本当にうれしかったことは今でも覚えている。
練習会もメリハリがあり”流し”の区間では私のキャラもあり会話も
弾むように(ここで伝説の1万円紛失事件も聞けた)。でも相変わらず
気合いが入ったところでは私は瞬殺。ただただ私は仲間に入れてもらえ
ることが本当にうれしかった。だから1秒でも速く・早くなりたかった。
1流どころに3流へっぽこが混じるとそれをリングにして「自分も・・」
という人間が現れる。そして3流どころが世話人になり最初のうちは緩衝
材になり次第に輪は広がっていく。新規参入は1流もいる。そんな人は
最初から巨人と競い合い抜き身での凌ぎあいがはじまる。
3流どころは、”流し”のつなぎ区間をはじめとして先頭を引くことで
自分を追い込むことを覚える。福重交差点から八反田までを先頭固定で
ひたすら引く(当時はその引きでATを遥かに超えていました)。
誰かが先頭交代をしようものなら先頭の奪い合いがはじまる。流し区間
なのにハァハァ言っているアホが毎回2名(笑)。
***
時は流れ巨人5人組も就職云々で散り散りになるも要である我が師匠は
健在。その師匠を目指して世代交代で面子が入れ替わり、ひょっとこ組
も増えて、力量に応じてA班、B班、C班と自己申告によりチーム編成
がなされるように。コースもメインルート(B班)を基本に難易度に応
じて3つに枝分かれしているのだが、驚くべきことに何も目印がない
山の中の交差点で班が時間をまったく同じにしてクロスオーバーするよ
うに設定されており師匠の参加者全員が均等に練習になるように、それで
いて一体感を失わないようにというオーガナイザーぶりには神業をみる
ようでした。
ひょっとこも力量はまったくもって向上していないけど年次的にみれば
中堅どころ。そうなると甘えが出てきてしまう。いつの間にか真剣勝負
であることを忘れて”遊び=余暇”という気持ちが芽生え、今日のこの
調子でA班に参加しても迷惑になるし・・という”相手を思うあまりの
都合のいい口実”を自分に与え、立場的にもそう主張できるように。
自己申告はスタート時点で挙手により決定するのだが人数のバランスや
力量を考慮して最終的な差配はお師匠に一任されていた。最初のうちは
私の挙手を黙認していたお師匠様。
ある時、、、A,B,C班が合流して観音峠を舞鶴9から登っていると
私の横につけていたお師匠様がサングラス越に私をじっとみつめて
いきなりアタックされて行った。それを見送った私はあろうことか、
A班連中に「おいおい、お師匠様がいかれたぞ。追えよ!」とけしかけ
て自分はマイペースを決め込んでしまった。頂上で合流した私を見ても
お師匠様は何もおっしゃられなかったし、私はお師匠様のお気持ちに気
づきもしていなかった。
そんな一件があって暫く。
超久しぶりに元大巨人S口君が練習会に参加。旧交を温めつつ今日も私
はB班挙手。久しぶりに自転車に乗るというS口君はA班希望。
「さすがに巨人は違うや」と私。その日の練習会も終盤。最後の長野峠
の佐賀側からの登り返し。目の前には、ボロボロになったS口君。
今まで見たことも見せたこともない衝撃の姿。目はうつろでフラフラで
蛇行気味。私の真横にお師匠様が並んで一言。
「見てごらんなさい。あの姿を。今のあなたに出来ますか?」
「いつまで自分に甘えているんですか!」
そういわれて一気に加速されて見えなくなった。
そのあと、顔から火が出るかと思うくらい恥ずかしくただただ逃げたく
なった。その日、そのあとどうしたか?は全く覚えていない。
お師匠様が放たれた一撃は、私を深くえぐりその傷はしばらく癒えること
はなかった。次の日曜日までの間、私は仕事もそこそこに自分を見つめ
直した。そして自分の甘えに、それを許してしまった自分に深く失望し
、こと、自転車に関してはもう二度と自分を甘やかさないと決意した。
お師匠様のためでもなければ誰のためでもない。自分のために。
だらだらと無意味に時間を垂れ流すことなく、一緒に走るメンバーとは
ひょっとしたらもう二度と走ることはないかも知れない。だからこそ、
一期一会の精神で毎回毎回毎回、今の自分が出せる全力でお接待(挑む)
しよう。それが自分の生きている証。すなわち”今を生きる”ことになる
のだから・・。
お師匠様が転勤(ご栄転)されてから早幾年。
お師匠様からチェブロ練習会を日曜練習会として託され、引き継ぎ私が
2003年8月に転勤するまでの間、決意を忘れることなく、流れそう
な時はお師匠様から受けた傷跡を思い出し触り再び自分を鼓舞して頑張
ってきた。2006年4月に期せずして再び福岡に戻ってこられたとき
から2008年10月まで、口やかましいおせっかいじじいとして厚か
ましくも「だぁ~めじゃん」と仲間をいぢめ(すんません)、嫌な思い
も抱かせたでしょう(反省しきりです)。ただそう言えるだけ私は自分
に厳しかった。
そう、私は自分を甘やかすことは許せない。
確かに私は鬱になり一時は自分でも自分がどうなるか?わからないくらい
に精神状態がおかしくなった。でもそれも一時的なことで君は頑張って
回復に向かって今に至っているんだよ。
いいじゃん。仕事ができなくったって。
大丈夫だよ。たかが仕事だよ。いざとなりゃ殴ってやめりゃいいじゃん。
あとは何とかなるよ。ただ、早くして逝った友(つい最近も衝撃の訃報を
きいたじゃん)や3.11でお亡くなりになられた方々にあわせる顔がない
ようなことは絶対にしちゃだめだよ。家人もいるんだから・・。
人間万事塞翁が馬。
なるようにしかならないって(笑)。
でも、自分に甘えちゃだめ。
ただ、なんでも思いつめちゃいけない。 きつかったら休みなよ。
甘えたままダラダラと流されるんじゃないよ。ひと休みするだけだよ。
そう、まだまだ君は大丈夫だよ ^ ^¥
****
あ~~でもなぁ~~~明日、英彦山は出たかったな・・・。
打倒池本さん! なぁ~~んちゃって(笑)
自分も北九州から月に一度は出ますので
また一から鍛え直してやってください。
自分も「結婚」を口実にかなり自分に
甘えがあって自己嫌悪です。
なのでボロボロになるくらい練習して
また表彰台を目指します。