北海道美術ネット別館

アート、写真、書など展覧会の情報や紹介、批評、日記etc。毎日更新しています

■須藤明子写真展「邂逅」 (9月28日まで)

2007年09月27日 23時29分19秒 | 展覧会の紹介-写真
 個人的な感想から始める。

 外国に行って撮ってきた写真で構成した写真展は数多い。
 でも、半分は嫌いだ。
 たいてい、土地の青年や子どもがこちらに人なつっこい笑顔をむけている1枚がある。
 行った先が発展途上国なら
「貧しいけれど子どもたちの笑顔は輝いていた。モノに囲まれた豊かな日本。でもどちらが幸せなのだろう」
などと、クリシェそのものの文章がついたりする。

 要するに、旅で行っているくせに、旅人として土地や風景を見ているということをわすれているやからが多すぎるのだ。もちろん、旅人にしか見えないものもあるだろうから、短い滞在期間で写真なんか撮るなというつもりはない。ただ、旅人には決して見えないもの、生活しなければわからないものがあるということを認識していない写真は、素人の記念写真とどこも違わない。
 須藤さんの写真展が良いのは、そのへんをきちんとわきまえているからではないか。

 会場に貼ってあった文章。

旅での出会いは笑顔や優しさに包まれている事が多い。
実際に彼らと甘ったるい紅茶を飲みながら過ごす時間は私たちのそれと何も変わらない日常。
そんな出会いは旅を楽しくさせてくれる。
でもその出会いの瞬間は異様なまでの強い眼差しと不思議な緊張感そのもの。
「やぁ」とか「さぁ」とか言葉を交わす前の一瞬を写真でとどめていく。
頭の中を通り過ぎてしまう記憶に残らないとても短い時間。
日常を過ごす彼らと非日常を楽しむ私。それは生活と旅。
それらを隔てる目に見えないものの存在を感じないわけにはいかない。

 撮影場所 イエメン共和国
 撮影時期 05年12月-06年1月


 市場の男たち。こちらを見て走り去る少女。狭い車路をすりぬけるように走るおんぼろのトヨタ車。
 乾いた風。
 家畜といっしょに車の荷台に乗った少年たち。
 銃をわきに置いた男たちもいる。
 レンズに笑顔を見せている人は、ほとんどいない。

 なにより衝撃的なのは、首を切られて血を流し斃れている茶色の牛をとらえた1枚だ。

 わたしたちはみなきょうだい、ことばは通じなくても理解し合える-というのは、理想としては美しい。しかし、誰もがきょうだいであり、その一方でなおかつ他者でもあるという痛切な体験なり認識を欠いたままであるならば、おたがいを真に尊重する機縁は生まれないのではないか。
 じぶん(たち)の認識の枠組みを他者に押しつけてはいけないこと、異物は異物として、他者は他者として、うけとめることのたいせつさを、須藤さんの写真は、無言のうちに語っているように、筆者は思う。


07年9月18日(火)-28日(金) 9:00-17:30 土、日、祝日休み
キヤノンギャラリー(北区北7西1 SE山京ビル 地図A)

http://akikosudo.com/index.html


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。