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■国立美術館巡回展 日本の現代陶芸~伝統と新風の精美~ (9月19日まで、江別)

2011年09月16日 22時05分25秒 | 展覧会の紹介-工芸、クラフト
 やきもの好きや工芸・クラフトのファンは必見、他分野の美術愛好者もできれば見ておきたい展覧会。
 東京、京都の両国立近代美術館から、20世紀・21世紀初頭の名だたる陶芸家の作品が集まるという、北海道ではめったにない機会だからだ。
 もちろん、これまで道内で作品を見ることができた陶芸家も少なくないが、半数以上は初登場ではないかと思う。

 会場の江別市セラミックアートセンターも、年1、2回の力の入った展覧会では、1階の常設展示室(北のやきもの展示室)を、特別展用に明け渡す。今回も、1階と、2階の企画展示室と、ふたつにわかれた構成になっている。まあ、2階の企画展示室はあまり広くはないので、大型の展覧会では当然の措置だと思う。
 その関係で、今回おもしろく感じられたのは、1階の展示室は、伝統を踏まえた近代陶芸、2階の特別展示室は八木一夫以降の現代陶芸と、すっぱり傾向が二分されていたことだ。なんだか「A室が団体公募展系絵画、B室が現代アート」っていう感じで、ふたつの展示室がこれほど性格を異にしているのも珍しい。



 ところで、1階展示室を見ながら考えたことがある。

 こちらの展示室に並んでいる作品は、第2室のように作者の個性を全開にしたものではなく、江戸期以前の伝統的な陶器を発展させたり、あるいは、復活させたりしたものがほとんどである。 
 そして、その際に参照されてきた古い作は、多くは名も無き作者の手になるものである。
 古い陶を復活させるからには、その古いものに価値があるという思想が基盤にあるのだろう。
 にもかかわらず、オリジナルの作者は名前がわからないままで、追随者のほうが名前が顕彰され、作品も高く売買される。これは、なんだか、妙な事態ではないか。

 そもそも、その古陶がすぐれているという判断は、どうやってなされるのだろうか。
 絵画や彫刻と同一の基準だとは、とうてい思えない。
 2階の部屋の展示作は、まだ彫刻とおなじ価値基準が適用できそうな気がする。
 しかし、たとえば北大路魯山人というのは、いったい何が評価の対象となっているのだろう。
 もし古陶との近似が評価の理由だとしたら、ではその古陶が称賛されるわけはなんだろう。

 話がややこしいのは、民藝というのは、旧来の価値観を「見る側」「使う側」からひっくり返したところに成立するわけで…。
 しかし、もともと二束三文であった雑器が評価され、しかもそれを模した器が、作家の作品として流通するのだから、なんだか妙なのだ。


 まあ、いいや。

 あれこれ考えてもなかなか結論が出ないので、それぞれの作品について少し。

 川喜田半泥子はんでい し「志野茶碗 赤不動」
 わずか胴径13.5センチ。その中に複雑な景色が広がる。微妙な形状のかいらぎ、白砂糖のような長石釉。金つぎもされている。見ていて、飽きない。

 金重陶陽「備前焼耳付水指」
 ずっしりとした存在感ある形状。炎が焼き焦がした表面は、焼き締めという備前焼の魅力を十分に語っている。

 藤原啓「備前窯変水盤」
 ゆがんだ、アンシンメトリーの美は、16世紀の日本が世界に先駆けて発見したものだろう。それが新しいカノンとなって、20世紀の作家には守るべき規範となったのだろう。

 三輪壽雪じゅせつ「鬼萩割高台茶碗」
 これも小さいながら美しい。とくに長石釉の白さが光る。

 富本憲吉「白磁壺」
 シンプルな美のきわみ。

 岡部嶺男みね お 灰青瓷盌はいせい じ わん
 複雑な貫入こそが装飾のカギ。同じ作者の「総織部大鉢」は釉薬の沈んだ色調が美しい。

 清水卯一「窯変天目釉茶碗」
 黒の中に青や緑の光沢をたたえた色彩は大型のアゲハチョウのよう。この複雑な色調こそ、長年多くの作家が追い求めてきたものであり、写真では絶対に再現できまい。

 島岡達三「塩釉象嵌縄文大皿」
 図録によれば「焼成中に焚口から食塩を投入し、窯内に食塩蒸気を満たし、その作用で素地内にソーダガラス質の被覆面を生成させる」とのこと。複雑な表面の模様と色調は、息を呑む美しさ。

 板谷波山「朝陽磁鶴首ちょうようじつるくび花瓶」
 どうやったらこんなに微妙なグラデーション(色の移ろい)が出せるんだろう。

 以下、第2室。

 荒木高子「砂の聖書」
 個人的にはこれが一番好き。悠久の時間を感じさせる。土というものの持つ根源的な時間性がここに提示されている。

 藤平伸「楼蘭吉祥」
 はるかな古代の街の風景のような広がりを持つ。

 中島晴美「WORK-0602」
 ポップで叙情的。2006年の作品。

 田嶋悦子「Coruncopia 02-XI」
 ガラスと、白化粧した陶土の組み合わせ。異素材の導入で、旧来の陶芸の概念はますます変容しつつある。


 ともあれ、イチオシです。


2011年8月6日(土)~9月19日(祝・月)午前9:30~午後5時(入場~4:30)
江別市セラミックアートセンター(江別市西野幌114の5)

観覧料 一般700円(560円)、高校・大学生300円(240円)
( )内は20人以上の団体。小・中学生、身障者手帳受給者は無料



・中央バスの都市間高速バス「高速あさひかわ号」などで「野幌」降車、約1.6キロ、徒歩20分
参考:江別市セラミックアートセンターに、公共交通機関で行く方法
(札幌から行く場合、かなり便利。少し歩きますが)
・江別駅前から(野幌駅前を経由)ジェイアール北海道バス「江92 北広島駅行き」、新札幌駅から(大麻駅、野幌駅南口を経由)ジェイアール北海道バス「新29 野幌運動公園行き」で、それぞれセラミックアートセンター前降車
(江92は平日1日7往復、土・日・祝日は3往復のみ。新29は土・日・祝日は1時間に1本=新さっぽろ駅はおおむね毎時40分発)


 参考までに、チラシより。

 明治維新以降、陶芸界は新展開を迎え、万国博覧会への出展による伝統技術の賞賛と批評、近代窯業技術や技法の導入を経て大きく環境変革しました。そして造形や装飾法の研究が盛行、文展などの開催により個人作家の意識が萌芽し、その後西洋技術を受容れるなかで東洋伝統への回帰、桃山陶発見による「茶陶」への関心、古窯研究、中国古陶磁研究、前衛作品の誕生と今日につながる日本陶芸は、伝統的事象を守り伝える流れと、新たな流れを作り出そうとしている過程といえます。
 本展は、明治以降の日本陶芸の様相について国立美術館所蔵品を展示し、日本陶芸の現代に至る過程を俯瞰(ふかん)するとともに、地域の鑑賞機会の充実と美術普及をはかり、地域文化振興の一助とするものです。


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