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弓指寛治「輝けるこども」 あいちトリエンナーレ:2019年秋の旅(75)

2020年01月16日 09時15分53秒 | 道外の国際芸術祭
(承前)

 超長期連載となっている「2019年秋の旅」だが、冗談でも何でもなく、4カ月も前のことはかなり忘れかけているので、先を急ぎたい。
 幸か不幸か、アート関連の記事は、もうあと数本しか予定していないから、簡略にいきます。

 四間道・円頓寺 し け みち  えんどう じ エリアで、SNSなどでの評判が高かった発表を二つ、前日に見ないまま終わっていた。
 ひとつは、弓指寛治ゆみさしかんじ の発表である。

 公式サイトには、つぎのように解説してある。

展示空間の中は仮設壁で空間が区切られ動線が作られ、合計で180点を超える絵画が展示されています。入ってすぐの空間に掲げられた大きなクレーン車の絵にはじまり、子どもや自動車といったモチーフが繰り返し描かれ、多くのテキストがちりばめられています。一つ一つの作品が独立しているというよりも、全体で一つのテーマを取り上げているインスタレーションです。絵画を中心としながらも時間軸を持った表現となっています。最後の空間には、車に乗る子供の絵があり、車の周りには色とりどりの鳥と、鶴が一羽描かれています。

本作は、実際に起きた自動車事故を題材にしています。てんかんを患っている男性が発作を起こして事故が発生し、6名の小学生が亡くなりました。この事故をきっかけに、自動車運転死傷行為処罰法が施行されるなど、社会的な影響もありました。作家は、調査に基づいて交通事故の「被害者」だけでなく「加害者」にも触れ、そして、日常的に使用される自動車の持つ暴力性に言及しています。


 一般のタブローを並べた絵画展では、もちろんない。最大の違いは、次の2点だろう。

・絵画でありながらリサーチを主体にしていること

・子どもが描くような画風を採用していること

後者は、とりわけ美術教育を受けた人であればかえって描くのがむつかしいように思うが、どうだろうか。

 作者のメッセージについては、異論はない。
 自動車は、運転免許を持っている限り、誰でも加害者になり得る。この、つい忘れがちであるが、当たり前の視点を、しっかりと胸に刻み込んでくれるという点で、良かった展示だと感じる。

 ただ、ひねくれ者の筆者としては、あんまり賛美一辺倒だと
「ちょっと待てよ」
と言いたくなる。
 この手法は、子どもっぽい絵(いうまでもなく、これはほめ言葉です)を除けば、新聞の社会面がしてきたこととまったくといっていいほど、同じなのである。

 大きな事件・事故が起きて何人もの人が亡くなれば、遺族に取材し、命を落とした人の横顔を紹介する。
 これは、昔から何度も繰り返されて紙面に載ってきた記事の手法なのである。
 新聞は、前から読めば硬い記事が載っているけれど、後ろから読めば、お涙頂戴、といって悪ければ、読者の感情に訴える記事で埋まっている。だから、テレビ欄のほうから順々にめくっていく読者が多いのだ。

 なので、筆者は弓指さんの作品を批判するつもりはない。
 そうではなく、評価する人に対して
「いやこれ、むしろ古典的な手法の記事だよ。皆さん、ふだん新聞を読んでないの?」
と言いたくなっちゃうのである。


 何十年も新聞記者をやってきた筆者が言うのもおかしいが、新聞社の価値判断というのは独特で、いまだに慣れない。
 大事な家族を失った、という観点でいえば、病気だろうと事故だろうと事件だろうと遺族にとってはおなじではないかと思うのだが、新聞記者が取材に出向くのは、大きな事件・事故や珍しいタイプの事件・事故に限定される。
 交通事故で1人が死亡すればベタ記事だが、4人とか5人が一気に亡くなれば、社会面に大きく掲載され、命を落とした人たちの生前の様子までが根掘り葉掘り聞かれて紙面を飾ることも珍しくない。

 弓指さんの作品が胸を打つとすれば、早世した子どもたちの人となりを紹介するにあたって、いかにも「仕事です」という感じではなく、心から伝えたいという気持ちで取り組んでいることが画面と文章から伝わってくるからだと思う。

 凡庸な感想かもしれないが、こと交通事故に関しては
「自分は絶対大丈夫」
と言うことはあり得ないということを、あらためて肝に銘じたくなる展示だった。


□Sur-vive! https://www.yumisashikanji.com/
□ツイッター @KanjiYumisashi



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