森信雄の写真あれこれ

日々の生活や散歩、旅の写真を掲載しながら、あれこれ思いを語ります。

生駒の夕暮れ

2005-10-09 23:21:02 | 旅の写真 国内篇
「夕暮れの写真は撮ったら駄目」と言われる前の写真だ。大阪と奈良の間の生駒から暗峠に下りる夕暮れ時だった。私は夜道は恐くて苦手なので、山に行ったときなどは目にも止まらぬ(?)駆け足で降りる。このときもそうだったが、夕陽の写真を撮るどころでなく走っている最中に、あまりの見事さにどうしても一枚だけと思って立ち止まったのだ。
 日が沈むとまずい。暗闇は後ろから何かが追いかけてくるような錯覚をする。
 「暗闇が恐いのは、暗さがすべてを包み込むからだ。暗闇でも、あるものはあり、無いものは無い」そんな言葉があった。自分の意識外のことに出くわすと、いったい何が起きたのか状況がわからないから不安になる。
 今の時代は暗闇の恐さで無く、明るい太陽のもとで、人間が恐いもの知らずで何かを壊しているような気がするのは考えすぎなのだろうか。暗闇よりもやっぱり一番恐いのは、人間なのだと、今日もあれこれ取り越し苦労をする。
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高野山のお地蔵様

2005-10-09 00:37:25 | 旅の写真 国内篇
 何かに耐えている、とってもつらそうなお地蔵様である。
ある冬に雪の高野山で撮った写真だ。人っ気も無くて、寒さも厳しかったが、何故か訪れたくなって足を運んだ。具体的に深刻な悩みがあったわけでないが、でもやりきれないものがあったのかもしれない。
 夕暮れ近く、高野山の墓所の道を暗い気持ちでひとり写真を撮る姿は、自分でも不気味だと思うが、何だったのだろう。
 このお地蔵様に出会ったとき、寒さも忘れて夢中でシャッターを切ったのを記憶している。人間の思いはちょっとしたことで、くつがえる。妙な安心感を覚えて、駅に向かって、帰って行った。
 写真の恐さだろうか。ときどきファインダーを覗くと、我を忘れて別の世界に入っていくような錯覚をすることがある。
 目に見えないものは、無いと思えば無いし、あると思えばあるのかもしれない。
 でも何かに畏れを抱く感情は、私の心の奥深くに確実にあると思う。暖房の電車に乗り込み、ほっと一息つく。
 危ないものが去って、暖かい缶コーヒーを飲む。人は生身なのだ。
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