森信雄の写真あれこれ

日々の生活や散歩、旅の写真を掲載しながら、あれこれ思いを語ります。

牛の舌

2005-10-01 23:31:40 | 動物と花
 牛の舌は長い。ペロリとなめ回し、よだれとともにグニャーと伸びる。柵の傍に寄ると、ときどきなめられてしまうこともあるのだ。この写真も牛が首を伸ばしすり寄ってきて、思わず身を引きながら、あわてふためいて撮った。そのせいかどうか露出がオーバー気味だ。(明るすぎて色が飛んでいる)
 目はいたずらっぽく、脅かそうと思ったわけではなかろうが、侵入者を好奇の目で見ているのだろうか。半面、大変お茶目な表情にも見える。よだれが飛び散って来そうな写真だが、柵から出した頭を上手に引っ込める器用な牛君なのだ。
 動物の表情はおおらかさや怒りと悲しみ、不安はあっても、笑う表情はない。至って真面目なのだ。でも思っている以上に、人を見抜いたり、自分の運命がわかっていたりする。本能が鋭いのだ。目を見ると何を物語っているのか、想像できるかもしれない。
 動物社会も掟は厳しい。群れからはずれると生きていけないし、群れでは順位付けの争いが絶えないのだ。
 生き物は、もともと生存競争が激しいものなのかもしれない。淘汰されると言う言葉があるとしたら、現代という時代は何を淘汰され、どこへ行こうとしているのだろうか。
 恐る恐る牛君に近づいて顔をなでようとしたら、素早く引っ込められた。
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稲刈り

2005-10-01 00:31:33 | 日々の写真
昨日ドライブした西宮市山口町のコンビニで買い物をしていたら、子ども達のはしゃぐ声が聞こえてきた。垣根越しに覗くと、課外授業の稲刈りのようである。
 せわしなく動く脱穀機のぐるりを、引率の先生と農家の人の指揮の下で、子ども達がせっせと稲を運んでいた。写真を撮ろうとしたが、デジカメの欠点で天気のいい日は画面が光りすぎて見えない。山勘で数枚シャターを押す。
 秋の風物詩のような行事なのだろう。稲の香りが漂ってくる中、心地よい光景だった。
 私の祖母の代までは農家だったので、幼い頃に田んぼに連れられて行った記憶がある。そばでSLも走っていて、通るたびに煙から逃げないとと言いながら面白がって、走って付いて行った。いつのまにか田んぼも売り払って、そこも運送会社の倉庫になってしまった。
 お遍路さんをよく見かけたのも、その頃である。
 祖母は私が結核の疑いで寝込んでいるときに、亡くなった。熱にうなされながらお葬式にでたとき「信雄ちゃんの代わりに死んじゃったのだなあ」と身内の人の話す声が聞こえてきた。そうかもしれないと思った。
 結局、肺炎だったのだが、祖母が自分を守ってくれている、その心情は今も心の片隅に残っている。
 私が帰省したとき、祖母はいつもタバコの束を持ってトコトコ歩いて来てくれた。「何もいらないから」と言うと、道に捨てる仕草をして「いらなかったら、その辺の道端に捨てといていいよ」と笑顔で答えてすぐに帰って行った。
 いつのころからか、そのシーンが頭にこびりついていて、気持ちと言うのは相手側でなくて、自分の側の問題なのだと思うようになった気がする。
 「いらんかったら、道端に捨てたらええんよ」安心する言葉だった。
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